森絵都の『つきのふね』という小説で、主人公の少女たちが「あのおっさん」といまいましげに呼んでいたノストラダムス。でも、実はいまいましいのは、そんな昔の人物ではない。
70年代の少年少女たちを、恐浮フどん底におとしいれたのは、『ノストラダムスの大予言』を書きベストセラーにしてしまった五島勉である。しかもその本の、でかい広告スペースには、めちゃめちゃコワい挿絵が付いていたのだ!
だからその本を読んでもいなかった(広告の挿絵がコワすぎて本にすら触りたくなかった!)私でさえ、けっこうなトラウマだったりしたのだ。
1999年に人類滅亡だったら、40歳まで生きられないんや~と人生計画(!?)に老後の人生を加算しなかったくらいである。
当時本当にノストラダムスブームだったのだ。もしかしたら、平安時代の末法思想ブームだったときも、こんな感じだったのかもしれない。
だからか80年代には、精神世界とか新興宗教とか流行ってたなあ。終末論がもてはやされ、ハラハラどきどきしながら1999年を迎えたもんなあ。
というような事を思い出したのは、食後、魚焼きグリルを洗いながら、私がしゃべったことを「え?ノストラダムス??」と聞き間違えたH氏の返事から、突如、まだ少女だった頃に新聞広告を見た記憶が鮮やかに蘇り、五島氏への怒りがこみあげたのだった。
「恐浮フ大王が降りてくる、って、それ、あんた(五島氏)のことや! もう73年にしっかり恐浮フ大王降りて来たわ!!」
「『恐浮フ大王は五島勉だった!』っていうのが、今日のブログネタやね」と、「ノストラダムスの大予言」話で盛り上がる夫婦。
「ところで、あんたが、たぬき亭に持って行った予言やけど」
「(予言?)・・・」 この時の私を図化するなら、
こんな感じである☟
? ?
? ?
? ?
? の の ?
O ) ?
しばしの私の重い沈黙の意味を数秒後に理解したH氏は
「ノストラダムスの予言の話してたし、ヤカンをヨゲンってゆーてしもたー! ノストラダムスのせいで失敗したー!」
天然で笑いが取れるようになったら、かなりのお笑い上級者かもよ(笑)
70年代の少年少女たちを、恐浮フどん底におとしいれたのは、『ノストラダムスの大予言』を書きベストセラーにしてしまった五島勉である。しかもその本の、でかい広告スペースには、めちゃめちゃコワい挿絵が付いていたのだ!
だからその本を読んでもいなかった(広告の挿絵がコワすぎて本にすら触りたくなかった!)私でさえ、けっこうなトラウマだったりしたのだ。
1999年に人類滅亡だったら、40歳まで生きられないんや~と人生計画(!?)に老後の人生を加算しなかったくらいである。
当時本当にノストラダムスブームだったのだ。もしかしたら、平安時代の末法思想ブームだったときも、こんな感じだったのかもしれない。
だからか80年代には、精神世界とか新興宗教とか流行ってたなあ。終末論がもてはやされ、ハラハラどきどきしながら1999年を迎えたもんなあ。
というような事を思い出したのは、食後、魚焼きグリルを洗いながら、私がしゃべったことを「え?ノストラダムス??」と聞き間違えたH氏の返事から、突如、まだ少女だった頃に新聞広告を見た記憶が鮮やかに蘇り、五島氏への怒りがこみあげたのだった。
「恐浮フ大王が降りてくる、って、それ、あんた(五島氏)のことや! もう73年にしっかり恐浮フ大王降りて来たわ!!」
「『恐浮フ大王は五島勉だった!』っていうのが、今日のブログネタやね」と、「ノストラダムスの大予言」話で盛り上がる夫婦。
「ところで、あんたが、たぬき亭に持って行った予言やけど」
「(予言?)・・・」 この時の私を図化するなら、
こんな感じである☟
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しばしの私の重い沈黙の意味を数秒後に理解したH氏は
「ノストラダムスの予言の話してたし、ヤカンをヨゲンってゆーてしもたー! ノストラダムスのせいで失敗したー!」
天然で笑いが取れるようになったら、かなりのお笑い上級者かもよ(笑)