紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

あのおっさん。

2009-06-25 23:54:00 | ファミリー
 森絵都の『つきのふね』という小説で、主人公の少女たちが「あのおっさん」といまいましげに呼んでいたノストラダムス。でも、実はいまいましいのは、そんな昔の人物ではない。

 70年代の少年少女たちを、恐浮フどん底におとしいれたのは、『ノストラダムスの大予言』を書きベストセラーにしてしまった五島勉である。しかもその本の、でかい広告スペースには、めちゃめちゃコワい挿絵が付いていたのだ!

 だからその本を読んでもいなかった(広告の挿絵がコワすぎて本にすら触りたくなかった!)私でさえ、けっこうなトラウマだったりしたのだ。
 1999年に人類滅亡だったら、40歳まで生きられないんや~と人生計画(!?)に老後の人生を加算しなかったくらいである。

 当時本当にノストラダムスブームだったのだ。もしかしたら、平安時代の末法思想ブームだったときも、こんな感じだったのかもしれない。

 だからか80年代には、精神世界とか新興宗教とか流行ってたなあ。終末論がもてはやされ、ハラハラどきどきしながら1999年を迎えたもんなあ。

 というような事を思い出したのは、食後、魚焼きグリルを洗いながら、私がしゃべったことを「え?ノストラダムス??」と聞き間違えたH氏の返事から、突如、まだ少女だった頃に新聞広告を見た記憶が鮮やかに蘇り、五島氏への怒りがこみあげたのだった。

「恐浮フ大王が降りてくる、って、それ、あんた(五島氏)のことや! もう73年にしっかり恐浮フ大王降りて来たわ!!」

「『恐浮フ大王は五島勉だった!』っていうのが、今日のブログネタやね」と、「ノストラダムスの大予言」話で盛り上がる夫婦。

「ところで、あんたが、たぬき亭に持って行った予言やけど」

「(予言?)・・・」 この時の私を図化するなら、
こんな感じである☟
     
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しばしの私の重い沈黙の意味を数秒後に理解したH氏は
「ノストラダムスの予言の話してたし、ヤカンをヨゲンってゆーてしもたー! ノストラダムスのせいで失敗したー!」

天然で笑いが取れるようになったら、かなりのお笑い上級者かもよ(笑)



ばーちゃんリアリティ

2009-06-24 23:00:00 | ノンジャンル
 今日は読書会で、用事の合間を縫うように1時間だけ出席。

 幼稚園児のお母さんなら、下のお子さんを連れての会員の方もいらっしゃる。0~2歳児になるわけだが、さほど子ども好きではない私も、なんだか最近はちいさいお子さんを見かけると、うわーカワイイっ!!と本能的に思ってしまう。

 でもオトナの女性として「お世話してあげたい」とか「かわいがってあげたい」とかではなく、「一緒に遊びたい欲」だったりする。母性本能を刺激されるのではなく、そうだな、どちらかといえば良寛さまのライン寄りと思ってもらっていい。そう、イイ歳のじーさんになっても、子どもと一緒に毬つきしたり、かくれんぼしたりした、あのお坊さんである。

 隣の会員さんの2歳児の女児さんと遊んでいると、子育ては人生を生き直しているんだなぁとしみじみ思った。

 実際に子育てをした方には同意していただけると思うのだが、人生を再度生き直せるのだ。
 もっともこれは、「自分の人生と同様になぞる(コピー)」のではなく、
さりとて「自分の実現できなかった夢への再チャレンジ(敗者復活戦)」でもない。その子自身の人生に同伴させてもらう、という感じか。子どもに自分の人生を貼り合わせるのではなく、フォローしつつ共に歩む。

 その子独自の個性に驚き、才能を見つめ、成長を喜ぶ。これだけなんだけど、これがどんなに同伴者であるオトナを後押ししてくれるものか、知っている人は知っている。少なくとも、自前の人生と平行しつつなので、人生を2倍経験できるし。

 でも体力的にも精神的にも子育てには過酷な部分があるので、手放しで「楽しいですよ♪」とも言えない。そう言える人は、人並み以上に心身ともにパワフルなのか、それともおばーちゃんステージにランクアップ(笑)しつつある子離れした女性かもしれない。
 つまり私はそんなステージに入りつつあるようなのだが。うれしいような、かなしいような。
 

夏は朝顔 梅雨にはウメ。

2009-06-23 00:11:00 | 季節
 先週、お地蔵様用の造花を探しに日曜大工センターに出かけた。

 あいにく目的のものは見つからなかったが、売れ残りの朝顔の苗を3本買う。15センチ以上蔓を伸ばし、一つは早くも蕾まで付けていた。ついでにひとつの株から何色もの花を咲かせる不思議なセキチクもお買い上げ。

 昨日やっと植え替えて、玄関先の垣根に沿わすつもり。

 夏は朝顔、向日葵、トラノオソウ、金魚草、松葉牡丹なんかがあると、わけもなくうれしい。夏休みの終わり頃に、イチジクが実ったりするのもうれしい。ハチに注意しないといけないけど。

 同じ日に我家のささやかな梅の木に、梅の実がなっていたので収穫した。およそ400グラム。

 おばあちゃんが「梅酒にしたら?」といったので、そのつもりだったんだけど、ガラスの容れ物を熱湯消毒したら、みしみしとヒビが入り、キレイに瓶の底が円形に割れてしまい、夜中の10時頃頓挫。

 どうせ少量なので、むしろ梅シロップにする方が、(たとえ失敗しても他の材料はお砂糖だけなので被害が少ないこともあり)利にかなっているかも。頓挫した心を必死に持ち上げつつ、真夜中に砂糖をはかりにのっけてました。がんばれ、青梅!

のんびりごろごろ

2009-06-22 17:57:00 | 読書
 暑さもさることながら、問題はむしろ湿気。午前中は病院のハシゴをして、自分のカラダのメンテをし、午後からはごろごろの「休日」とすることにした。おあつらえ向きに『風光る』の19、20巻がお待ちかね♪

 19巻では「英明な」、けれど「理解不能」な徳川慶喜の、イケメンなお忍び姿で始まり、彼の「理解不能」と「英明さ」と、ちらりとではあるけれど「武士への嫌悪」が描かれる。彼はまだこのとき将軍職ではないし、今後もなる気はさらさらないのだ。なるほど「武士への嫌悪」かー! この伏線がのちのち効いて大きい事になるのかもなー・・・わくわく!

 そして20巻では、幕末の人気者、坂本龍馬が登場! いまだかつてない龍馬像に唖然、かつ喝采。少女漫画でウケそうな長髪メガネ男子ながら、けっこうダメダメで今回かっこいいという点では、いいとこなしなのだった。「えーひとやん!!」っていうのはありありなんだけど。

 他にも当時の最先端の舶来文化、写真をネタにした切ないエピソードあり、実は男装して新選組に入隊した主人公の少女の「お馬」(生理の事)ネタがうまくストーリーに反映され、そしてギャクとしても絶妙に織り込まれており、作者のノリノリさ加減がテン?ヌく伝わってくる。

 主人公が実は女子だということは、沖田(とあと若干の登場人物)以外には秘密のことなのだが、これが様々な喜劇を生み、まるでシェイクスピアの『十二夜』(男装する女性が登場。でもシェイクスピアの時代の俳優さんは全員男性なので、実際は少年が女性役をして、かつ男装するという「ややこしや~」な世界)みたい、とわくわくする。

 とくに斎藤一さんへの迄Mぶりは、ふだんが冷静、無表情、文武両道で抜群の切れ者なだけに、振り幅が大きくて面白すぎるっ! 作者だって斎藤さんが愛しくてしょうがないはず! なのに、さんざんなイジメっぷり(笑) これは作者の愛ゆえの迄Mと見た(笑)

 それにしても『風光る』を読むと、「歴史」というものは本来ニュートラルなものなのに、後世に伝わる時には勝者の視点で作られて(もしくは歪められて)行くものなんだなあと痛感する。歴史の流れの中では、悪とか善とか、どちらかが間違っているとかいう問題ではないのだなあ、と改めて考えさせられた。

はやくも夏バテ?

2009-06-21 23:15:00 | ノンジャンル
 金曜日くらいから、ものすごく体調が良くない。あろうことか食欲が落ちたのだ。肩こり→頭痛→歯痛→食欲不振というラインが進み、あと一歩で寝込みますという状態。

 それなのに土曜日は、あらかじめ仕事の休みをいただき、外せない用事で午後から京都へ。目的地は、暑くて、座れなくて、階段はいっぱい上らなければならず、息切れも激しかったので「もしかしてここで朽ち果てるのでは?」と、ちょっとばかり真剣に心配した。

 帰宅後はすこしだけおかずを作って、少し食べた後は、どうしようもなく唐黷驍謔、に爆睡。深夜12時前に、入れかわり帰ってくる男性たちふたりを迎えにいく。

 9時台に寝ておかなければ、居眠り運転の危険が増すので、前後不覚で眠ったにせよ、寝ていたのは正解。

というわけで、ちょっと早めに就寝します。今日の夕方より、ずいぶん持ち直してはいますが。

 おまけ:「キマグレン」が歌うテレビを見ながら、なにげなくKちゃんに話しかける。
「キマグレンって、パッと見、お笑いコンビみたいやな」

「私も最初そう思った! ツッコミとボケがはっきりしてるし」

と、即座に彼女の同感を得る。さすがは血がつながっているだけの事はある。私とはあんまり似てないけどね(笑)