オークランド憂国日記

祖国を離れ米国人になった元日本人がアメリカ、日本を憂う日々を綴る

北の核実験への備えはあるのかにっぽん!!

2005-05-07 12:35:59 | Weblog
アメリカのメディアは北朝鮮核実験前夜という雰囲気でジョンイルの動向がトップニュースになっているが、なぜかインターネットで見る限り日本マスコミは静かなものである。実験くらいでは日本の安全保障には何の障害にもならないのだろうか?考えてみれば、北が核実験をしたからといって日本が何をできるわけでもなく、北のヤンチャな行動は静観するに限るということだろう。さてJR西日本の次から次へとでて来るボウリング、ゴルフ、飲み会の件。前回、規則より倫理が勝ると書いたものの、私も倫理・道徳という価値観?をどのように説明するべきかよくわからなかった。本日の勝谷さんの日記にて、戦後の日教組教育が道徳を教えないが為に次から次へ徳を欠く事件が連発するとのご意見をよんだ。果たしてそうであろうか?ETHIC、倫理道徳というのは学校で教わるのか?ここで私が言っているのは人と猿が区別をされるぎりぎりの常識的な倫理感・道徳感のことだ。たとえば、人を殺すのは悪いことだという認識。人をだますのは悪いことだという認識、盗むことは悪いという認識、困っている人を助けないのは悪いという認識。人種や国籍で人を差別するのは悪いという認識、人が血を流して倒れているのに助けないのは悪いという認識。
これらのことを認識する力を我々は学校で教わるべきなのか?多くの人間は悪いと認識しつつ以上のようなことをしているが、この認識する力を学校で教わった覚えはない。それは視力聴力などと共に知力として自身の命と共に生まれながらに備わっていたような気がする。 しかしJR西日本を始め、三菱自動車などの事件の登場人物たちにはこの認識力という知力が欠如しているように思われる。“悪い”という認識ができないのである。結局彼等は学校でこのような感覚は教わる以前に“道徳倫理感の認識力の不自由な方”なのだと思う。食生活の変化で体力が落ちてくる子供が多いように、何かの理由で倫理観という知力が落ちている人がふえているのだろう。道徳の時間で覚えているのは“きつねのてぶくろ”というお話だけだ。それも“てぶくろ”を反対読みすると“ろくぶて”だということ。。そういえ自身も不道徳な生き方をしている。(笑)