Miyuki Museumブログ

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Miyuki Museumのひとりごと

オノ・ヨーコ&ショーン・レノン

2017-09-16 | 音楽
(Sat)
先月8/18、録画していたNHKファミリーヒストリー
「オノ・ヨーコ&ショーン・レノン」を鑑賞tv

ショーン・レノンさんの母親を気遣う優しい様子に
一番、感動したかもしれませんclover


※画像/NHKサイトより

オノ・ヨーコさんのお祖父様は日本興業銀行総裁、
お父様は東京銀行の常務取締役、
お母様は安田財閥の孫にあたる家系と紹介されておりました。

お父様はピアニストを断念され銀行家になられたそう。
出勤前、お母様にピアノを弾いて聴かせていた、というエピソードがステキclover

疎開先の長野から東京に帰るとき
お母様に代わって、12歳のオノ・ヨーコさんが車の調達を交渉したというエピソード、
驚きました。
12歳、凄くしっかりしてる~exclamation2

お母様のことをお嬢様すぎて、というようなニュアンスで語っていました。
「彼女はプリンセスなの。何もできないの。
12歳で東京に帰る段取りをして、母は私に感謝するのみだったの」と。

オノ・ヨーコさんのお父様お母様のお写真を拝見。
美男美女でしたよ~kirakira
ヨーコさんの弟さんご夫妻、妹さん、いとこさんのお話も
伺えました。
皆さんお上品で温かな雰囲気でステキでしたsymbol3

大正から昭和へという時代の
祖父、小野英二郎さんのスピーチが素晴らしかったです。
「すべての国と人々は平等だ。 互いに助け合うべきだ」と。

その映像を見つつ、ショーン・レノンさんが
「お祖父さんの思想がママに似てるね」って言ってたのが印象的でした。
ショーン・レノンさん、映像を見ながらの
「オモシロイデスネ」「ヨカッタデスネ」がほんわかとyellow1

オノ・ヨーコさんの芸術は当時、評価されず
バッシングにあったと。
あの当時、時代のほうがまだ追いついていなかったのでは……
それくらい、先を行かれていたオノ・ヨーコさんの芸術だったのかもしれません。

ジョン・レノンとの出逢いはロンドンでヨーコさんの展覧会がきっかけでしたね。
有名な天井の「YES」の文字。
ジョンはズッキュンsymbol4ときたのですねyellow1

ジョン・レノンの名曲「イマジン」のミュージックビデオが流れたとき
ヨーコさんが「I miss him」と呟いていたような。
その時、ショーンさんが「Me too」と返してたような。
なんかジーンと……yellow15

「イマジン」はヨーコさんが昔、創った詩から誕生していたそうです。
その詩を書いたものが年号とともに残されていました。
「ジョンにあげたの」と。
「当時、私も書いたんだってことになったら
あのイマジンという歌は消えちゃったと思うの。
だからやっぱり良かったと思うの。ジョン・レノンということで」と。

検索すると昨年2016年6月のニュースに辿り着きました
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【ジョン・レノンの名曲「イマジン」、オノ・ヨーコさん共作と認定】

『ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンの1971年の名曲「イマジン」について、
米音楽出版社協会が妻のオノ・ヨーコさんを「共作者」として認めた。
米誌ビルボードなどが15日伝えた。

レノンはかつて「(イマジンの)歌詞もコンセプトも多くがヨーコからのもの」と
英BBCのインタビューで語っており、
「レノン/オノ作」のクレジットを付けるべきだったとの考えを示していた。

ニューヨークで14日に行われた年次総会には84歳のヨーコさんと
息子のショーンさんも出席。
同協会のイスラエライト会長は
「四十数年後に記録を訂正する栄誉を与えられた」と宣言した。

ショーンさんはフェイスブックに当日の写真を載せ、
「人生で一番誇らしい日だった」と書き込んだ。』
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ショービジネスに疲れていたジョン・レノンが
また創作する気力となったのは、ヨーコさんの影響が多大だと感じました。
出会うべくして出会ったお二人、天才同士の運命的な出会いであったと
感じさせられましたよんlight

あと印象に残ったお言葉。
ヨーコさんは「不運に見せかけた幸運」と言うそう。

困ったこと悪いことと思えることも
本当は一番よいことかもしれない、と。
ポジティブな思考の転換、心に留めておきたいな、とanimal1
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