(Tue)
岡本太郎さんの芸術観。
数々の言葉の中から『へぇ!!』『スゴイッ!!』『強烈~!!』『面白いナ♪』って心に響いたものを抜粋
人間は精神が広がるときと、
閉じこもるときが必ずある。
強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がるときがくる。
ぼくは、しあわせ反対論者なんだ。
つまりね、簡単に言ってしまえば、
人間がしあわせと思っているときは、死がいちばん遠ざかったときなんだ。
しかし、これは生きがいを失ったことになる。
そんなしあわせは、ぼくは欲しくないね。
ひとが「あら、いいわね」なんて言うのは、
「どうでもいいわね」と言っているのと同じなんだよ。
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。
ピカソは美しい。しかし、けっして、きれいではない。
不動のものが価値だというのは
自分を守りたい本能からくる錯覚にすぎないんだよ。
破壊こそ創造の母だ。
よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、
凡人には難しいという人がいる。
そんなのはウソだ。やろうとしないから、やれないんだ。
それだけのことだ。
よく”一流好み”の人がいるが、
それはつまりただ世間の、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがってることだろう。
誰がなんと言おうと、三流だろうが五流だろうが、
自分のいいと思うものはいい、という態度を貫かなければ、
”ほんもの”なんかわかりゃしないよ。
一流だから知りたい、好きになりたいなんていう、さもしい根性をもたずに、
自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだね。
その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように、
君自身、力を尽くせばいい。そうすると世界が変わってくるよ。
流行なんて、文字どおり流れていく。
子どもの図画は、とてもうれしい。
例えば太陽だって黒いのもあるし、青い太陽もある。
そういう、平気で描いた絵に出会うから。
うまく作る必要なんかない。
うまくできた作品なんて、面白くもへったくれもない。
かまわないから、どんどん下手にやりなさい。
その人独特の文体というものがあるはずだ。
絵ならその人の色。ダンスなら、その身体の動きの物語る世界。
それはじぶんが発見し、確かめていくもの。教わることはできない。
芸術は創造だというのはその意味だ。
芸術は本質的に、けっして教わることはできない。
弟子になろうなんてやつは、それだけで芸術家失格だ。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、
かえって人間は自在さを失ってしまう。
泥沼に入るなら入ったでいいじゃないか。
泥沼を怖れてヘッピリ腰、びくびくしながら、
彼女を恋い焦がれているんじゃ意味はないね。
芸術なんて、道ばたに転がっている石ころと等価値だ。
芸術に憧れたり、芸術が大変なものだと思っているやつに
芸術家がいたタメシはない。
自信なんてことを目標にしなくていい。また、すべきじゃない。
自信なんてことを考えるから、人の目が気になるんだ。
ぼくは自信があるとは思っていない。自信なんてものはどうでもいいじゃないか。
そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
本当は人なんか君のことを、全然見ちゃいないのかもしれないんだよ。
人の目を意識するような者に限って、
人から見られもしないし問題にもされていない場合がほとんどだ。
自信に満ちて見えるといわれるけれど、ぼく自身は自分を終始、落ち込ませているんだ。
徹底的に自分を追い詰め、自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たないように、
突き放す。
自分に忠実だなんて言う人に限って、自分を大切にして、
自分を破ろうとしない。
大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。
自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に舞い上がり、あとは無。
爆発するんだ。
全身全霊が宇宙に向かってパーッとひらくこと。それが”爆発”だ。
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。
いのちのほんとうの在り方だ。
芸術というのは生きることそのものである。
人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命を突き出し爆発する、
その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
”芸術は爆発だ”
岡本太郎さんの芸術観。
数々の言葉の中から『へぇ!!』『スゴイッ!!』『強烈~!!』『面白いナ♪』って心に響いたものを抜粋
人間は精神が広がるときと、
閉じこもるときが必ずある。
強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がるときがくる。
ぼくは、しあわせ反対論者なんだ。
つまりね、簡単に言ってしまえば、
人間がしあわせと思っているときは、死がいちばん遠ざかったときなんだ。
しかし、これは生きがいを失ったことになる。
そんなしあわせは、ぼくは欲しくないね。
ひとが「あら、いいわね」なんて言うのは、
「どうでもいいわね」と言っているのと同じなんだよ。
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。
ピカソは美しい。しかし、けっして、きれいではない。
不動のものが価値だというのは
自分を守りたい本能からくる錯覚にすぎないんだよ。
破壊こそ創造の母だ。
よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、
凡人には難しいという人がいる。
そんなのはウソだ。やろうとしないから、やれないんだ。
それだけのことだ。
よく”一流好み”の人がいるが、
それはつまりただ世間の、他人の評価を鵜呑みにしてありがたがってることだろう。
誰がなんと言おうと、三流だろうが五流だろうが、
自分のいいと思うものはいい、という態度を貫かなければ、
”ほんもの”なんかわかりゃしないよ。
一流だから知りたい、好きになりたいなんていう、さもしい根性をもたずに、
自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだね。
その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように、
君自身、力を尽くせばいい。そうすると世界が変わってくるよ。
流行なんて、文字どおり流れていく。
子どもの図画は、とてもうれしい。
例えば太陽だって黒いのもあるし、青い太陽もある。
そういう、平気で描いた絵に出会うから。
うまく作る必要なんかない。
うまくできた作品なんて、面白くもへったくれもない。
かまわないから、どんどん下手にやりなさい。
その人独特の文体というものがあるはずだ。
絵ならその人の色。ダンスなら、その身体の動きの物語る世界。
それはじぶんが発見し、確かめていくもの。教わることはできない。
芸術は創造だというのはその意味だ。
芸術は本質的に、けっして教わることはできない。
弟子になろうなんてやつは、それだけで芸術家失格だ。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、
かえって人間は自在さを失ってしまう。
泥沼に入るなら入ったでいいじゃないか。
泥沼を怖れてヘッピリ腰、びくびくしながら、
彼女を恋い焦がれているんじゃ意味はないね。
芸術なんて、道ばたに転がっている石ころと等価値だ。
芸術に憧れたり、芸術が大変なものだと思っているやつに
芸術家がいたタメシはない。
自信なんてことを目標にしなくていい。また、すべきじゃない。
自信なんてことを考えるから、人の目が気になるんだ。
ぼくは自信があるとは思っていない。自信なんてものはどうでもいいじゃないか。
そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
本当は人なんか君のことを、全然見ちゃいないのかもしれないんだよ。
人の目を意識するような者に限って、
人から見られもしないし問題にもされていない場合がほとんどだ。
自信に満ちて見えるといわれるけれど、ぼく自身は自分を終始、落ち込ませているんだ。
徹底的に自分を追い詰め、自信を持ちたいなどという卑しい考えを持たないように、
突き放す。
自分に忠実だなんて言う人に限って、自分を大切にして、
自分を破ろうとしない。
大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。
自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に舞い上がり、あとは無。
爆発するんだ。
全身全霊が宇宙に向かってパーッとひらくこと。それが”爆発”だ。
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。
いのちのほんとうの在り方だ。
芸術というのは生きることそのものである。
人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命を突き出し爆発する、
その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
”芸術は爆発だ”
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