早、如月
2月です
昨日と今日は都立高受験日だそうですが
スタッフと高校受験当日の話になって盛り上がりました
私の場合
高校はやばかったんです
危うく中学浪人になる所でした
中学生の頃はどこにでもいる野球少年で、まだまだ本当にプロ野球選手になると思っておりました
そして高校には当日甲子園常連だった東京の日大三高に行く❢
と信じ切っていたのですね
ところが
試験前日に40℃近い高熱を出してダウン、とても入試に行けるよな状態じゃなくなってしまいました
そこで父親が一考を案じます
姉妹校でやはり野球の強豪だった日大一高は試験日が翌々日、今から事情を話せば間に合うかもしれない
思った足で三高に掛け合いに行って願書を返してもらいその足で一高へ
ギリギリで締切に間に合わせてもらってセーフ
一日空けば様態も少しは治まるだろうと急遽一高入試と相成った訳です
が
様態はちっとも変わらず私は顔面蒼白、フラフラ状態で試験に臨みました
が(其の二)
自分の中学レベルと一高のレベルなのか、単に自分が勉強が出来ないだけか、はたまた高熱のせいか(きっとそうに違いない)試験問題がさっぱり分からない❢
試験時間中殆どただ時が過ぎるのを待っていただけだったのを今も憶えております
極め付きは最後の面接
面接の先生から
「君は当高校の規則をきちっと三年間守れますか?」
と言う質問に対して
当時から跳ねっ返りだった私はよしゃいいものを
「そんなものわかりませんね、時と場合によっては守らないこともありますよ」
と言ってしまいました
心の中で
〈フン、そんな押し付けなんか通用しねぇぞ〉
と言う思いがふらつく頭にあったような....
なんとまぁ
結果は火を見るより明らか
さぁ困った、日大に行くものと爪の先ほども疑っていなかったもんだから他に願書なんぞどこにも出してなかったんです
失意の中学校卒業間近の後藤君
学校で冴えない顔していると不意に担任が近づいて
「おい後藤、岩校(岩槻高校の事)にお前の分も出しておいたからな❢」
へっ?
「ど〜せこんなことになるだろうと野球部の連中まとめて願書出しといたの❢」
いや〜この時ばかりは担任に手を合わせて頭を下げたかどうかは記憶にございませんがこれで何とか中学浪人を免れた後藤君でした
まぁ結果的にはこの岩槻高校に入って良かったのかなぁと思っておりその後楽しい高校生活を送らせていただきましたよ
あ〜あん時の担任、石川先生、新任だったんですよね〜
まだ元気にしてるかな?
ちょっと話がそれましたが高校入試での思い出でした(^^♪