大変に楽しんだ金魚ちょうちん祭ですが、なんだか不思議です。
金魚を前面に押し出したこの祭、私みたいな金魚オタクの人以外(おそらく大半の参加者)は「なぜに金魚??」と疑問には思わないのでしょうか?
やりすぎ感のある「金魚トンネル」
なんなら金魚オタクの私でさえ、ふとした瞬間に考えてしまいます。
いったい金魚になんの借りがあってこんなにフィーチャーしているのか?
私の頭の中から『宵山万華鏡』の山田川みたいに妄想があふれ出してこんな金魚祭りを作り上げちゃったのか?(笑)
ということで、「金魚ちょうちん」の由来を調べてみました。
柳井市のHPによると、金魚ちょうちんの由来は
江戸時代から明治にかけて、ロウソク屋を営んでいた熊谷林三郎という人が、青森のねぶたにヒントを得て「金魚ちょうちん」を作り始めたと言われています。
林三郎の死後は、息子の定治が宮本の姓となり、看板屋を営みながら「金魚ちょうちん」を作りました。そして定治の息子は小間物屋を営みました。
本町通りで洗張り業をしていた長和定二という人が、宮本定治から作り方を習い、第二次世界大戦頃まで「金魚ちょうちん」を作っていましたが、その後は作らなくなり途絶えていました。
しかし、長和定二が昭和三十七年に他界される直前に、文献により柳井に昔「金魚ちょうちん」というものがあったことを知った周防大島町小松に住む上領芳宏さんが、「金魚ちょうちん」を復活させました。昭和三十七年七月のことです。
とのこと。
さらに鈴木克巳先生は著書『金魚と日本人』で、柳井の方が津軽の金魚ねぷたを模倣したのには、当時柳井を含む長州で大流行した疱瘡が関係あると指摘されています。
津軽の金魚ねぷたのような真っ赤な金魚の玩具は「赤物」という意匠の一つとして考えられ、子どもの疱瘡除け、または疱瘡からの回復祈願として用いられていたのだそうです。
「わが子が生まれれば、赤物の玩具を求めて疱瘡神の回避を祈った。万一、愛児が疱瘡にかかれば、紙を赤く染めた紅紙燭を枕元に灯し、周囲を赤い色ずくめにして、かなわぬながらも疫病に抵抗しようとした。「赤物」の玩具には、こういう役目があった。」
津軽では「津軽錦」の存在もあって、金魚が「赤物」の意匠として用いられ、それが同じく疱瘡に苦しめられた柳井に伝えられたのではないか、という指摘です。
「治療法のない疱瘡にかかてしまった不運な患者は、赤い紙燭を通す赤い光に照らされ、まわり全部を赤ずくめに囲まれて寝かされて、ひたすら病魔が去るのを待つしかなかった。赤い「金魚提灯」をわが子の枕元に吊るして、赤いろうそくの灯を灯し、回復を祈願した親たちの気持ちは、どんなだっただろうか。」
祭自体はそんなに古いものではないようで、1997年出版の同書に
「柳井市といえば・・・(中略)。最近は町興しに熱心で、金魚提灯をずらり三千個も市街に飾り、大きな金魚型の山車を練り歩かせる新しいイベントを企画していると聞く。金魚提灯がふるさとの振興に役立つという発想は現代的で、明るくて、愉快である。」
とあります。
そう考えると、ただ金魚がユーモラスなだけの祭りではないですね・・・
金魚ちょうちんに沢山照らされたので、今年は元気に過ごせるようにします。
さて、大のお気に入りとなった金魚風船ですが「インズバルーン」という商品のようです。
実は心惹かれたのは、『宵山万華鏡』にも似た風船が登場するということもあるんです。
ふわふわと漂う丸い風船に金魚鉢のような水草や砂利の絵が描かれており、中には水が詰まっているらしい。風船の中を小さな金魚が漂っている。面白く思って眺めていると、金魚は鰭をゆらゆらさせて身を翻した。
あぁ、幻想的。
(引用元)
鈴木克巳『金魚と日本人』三一書房、1997年。
森見登美彦『宵山万華鏡』集英社、2009年。