非天の笑み

a suraのえみ
  

落ちのびる

2011年07月06日 | 近詠
 
落ち入りしもののふはひた上りゆく深山(みやま)水さへ天指す峰を 






     

                    


  


 紀州や奈良 四国の 山々 山里を尋ねるとき

  昔々、いくさに敗れて 分け入った人たちをしみじみと思う。


 「落ちる」ということは、「負ける」ことではないのだね。


 

 
 狐狸も姿見せぬ深山へと落ちのびる・・・そのときの武者の心にあるものは如何。


 再起か。仮に、それが万に一つもかなわないのが現実であったとしても、
 

 最期に討たれるときも、自刃するときも 悔いや生き延びる打算はないだろう。
 (そういう者は山などに入らず、勝者に低頭して命乞いするはず)


 おそらく、決起したときの志は 
 たとえもはや戦うことなくとも寸毫も濁るどころか、いよよ高く澄んでいたのではないかとさえ思われる。


 死に場所を求めたのではないとも思う。


落ちのびる

という言葉に不思議な、清々しい生への純な希求を感じてしまう。



現在の私たち。

もし治らぬ病を得たら・・・(その可能性にぶち当たるような思いがけない経験をして・・・)


このところ日々考えた。



死闘や、ファイトアウトは しない。負けたことに目をそらさない。




わたしは死ぬ日まで、落ちのびる


いや、病などなくても、そういう生き方が、あることも知った。












 

 




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2 コメント

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Unknown (Joe)
2011-07-07 04:36:23
さうですね。Joeなどは「落ちのび」はおろか、まう人の世から「落ちこぼれて」居りまする。
それも楽し
Joeさん (sayu)
2011-07-07 20:08:17
ようこそ

まさか、ご謙遜!

あ、でも、むりっくりに這い上がろうとするご時世、
逆に引力に逆らわず「落ちる」のも心地よし・・かもですね。

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