非天の笑み

a suraのえみ
  

あをき歌

2007年08月10日 | 


地を離れゆきし日輪炎熱の蒼天を駆る 破顔のごとし(春日井 建氏への追悼歌)



あはれ天の碧き膂力をおもふべし人人人人人になだるる



月読はをのこにあればおとがひの蒼きににほふ零落のあれ



透明なシトラスミントの碧い息今日は誰にも振りむかない日



高々とカイトゆく空ライトブルー振り落としたき願ひもあらむ(折句たからふね)



信号機青にて背には風立ちぬ 秋桜寺にわれ捨て子しつ



立ちつくす手に子はすがり「青空をめくれば何があるの」と聞けり



うしろめたさうに青空晴れ渡るいいんだ君にも諸般の事情








白き歌

2007年08月07日 | 



卓の上(へ)の白封筒の宛名なき 水にかへらば音たて初めん




白飯(いひ)に白菜漬けと冷たき手恋女房とはなりはぐれたる




乳色の笑みこぼしつつ眠りゐるおまへをくるまう屈葬の繭




さきはひはすべらかにあれ白絹をひきて歩めるそのまた先も




いもうとへ幾ばくの鈍(にび)哀しみをそへてゆづらる淡水真珠 




どくだみの白十文字はふり払ふさつき雨縷々いたはるごときを




下座囃子どどんとかいま見せる袖 吉朝師匠の白足袋が跳ぶ





                      ☆




あげた歌は連作ではありませんので、内容も季節もばらついています。

「白」がお題の歌会(なおひこさんち)に出したものがほとんど。


やっぱり「色」(色彩も色恋も)の歌は少ないです。




あかき歌

2007年08月03日 | 

 

 

髪匂ふ雨女おどおどと出で信号待ちせり点滅の赤

 

 

どうとでも生きてごらんな茉莉花の春赤裸々にわたしを愛す

 

 

 

地も空もクールダウンのひそやかさ脱ぎすててゆく夏の緋衣

 

 

 

頭上より朱(あけ)の文字(もんじ)のふるごとし痛覚なくてざくろの落花

 

 

 

言ひ訳はそこでおしまひ 板塀のカンナ 夏だけが往つてしまつた

 

 

 

よぢれつつ明くる一夜の手水冷ゆなか空赫き月を帰して

 

 

 

薄墨の山川草木慕はしき とり残されて赤き裸身(はだかみ)

 

 

 

秋の廊冷ゆれば妬し島原の太夫(こつたい)さんの紅きあなうら

 

 

 

杳(とほ)い森あかい実ンみをとりにいこ騙して負ぶへば息甘酸ゆき

 

 

 

    

       わたくしを覗いてごらん東雲の蓮華の紅(こう)に酔はせてあげる

 

 

                   

 

色に・敏感とは言えない。

実際にも下手だが、歌で絵を描く、のもやはり苦手。

 

色彩名を入れれば、歌がその色に染まる、ということではないだろう。

私の中では、「赤」はどこか哀しく恥ずかしい、心理の絵の具として使っているような気がする。