非天の笑み

a suraのえみ
  

岬の分教場

2012年03月29日 | 近詠








こはれものの心はたしか置き去りにせしまなびやよ 岬の分教場







朽ちかかる悲しみの芯に筒袖の子ら散り遊ぶ 唱歌二限目



                 
                                





                             


こういう「まなびや」は私の親たち・・世代のものなのに・・・・


あの「ゆりの花」のようなアルミ弁当箱なども、持った記憶は、自分自身、あるかどうか・・・



私の小学校時代は、東京オリンピックの活気に全国があふれ。
三種の神器 テレビ 冷蔵庫 洗濯機が普及して、


子供らは、アニメ・・・とよばないテレビ漫画  インスタント食品をおもしろがりながら


一方で、路地裏のかくれんぼ 原っぱのチャンバラごっこ 蓙を敷いたままごとあそびや唄付きてまりあそびなども大いに健在だった時代。


なのに、その明るい時代をとおく杳く、遡った親世代の風物をなぜにこんなに「かなしみ」とノスタルジーを込めて慕わしくおもうのか・・・。




昭和二年生まれの父親がついに病気で倒れた。



これからは自分たちが、若い世代にとっての、ノスタルジーの住人になっていくのだろう。