非天の笑み

a suraのえみ
  

SAYURA百人一首  三十二

2008年10月19日 | 百人一首


神無月に逢はむ仔細はその節と書けり切手は「見返り美人」   塚本 邦雄


                          ☆



塚本信奉者たちが過剰に作り上げているきらいのあるカリスマ性とやらには・・多少辟易いたしますが・・


このようなお歌のみ見れば、とてもさりげなくて親しみやすく、永田和宏氏あたりのお歌かしらん、と思ってしまいます。


けれど、よくよく読むと、おっとりさらさらと詠まれたものでもなさそうな。
ちょっと思わせぶりな眼光の鋭さが見え隠れするような歌です。

一文の切れを二度も句の中間に挟んである、不定型リズムなども・・そのひとつ。


この秋の佳き日にはて「仔細」とはまたなんであろうか?
しかし、貼られた切手の菱川師宣の「見返り美人」をみれば
この書状の送り主は決して居住まいを崩さぬ典雅な「姿勢」で話されるのだろう

そんな想像がふくらみます。










夢へのメッセージ

2008年10月15日 | 
逆しまの空顕はれてとよもせり かたみにたづねあふ 生者(しゃうじゃ)死者


                     ☆

私自身は心霊現象とか、霊界とか、信じてません。そして信じて無くもいません。

どちらにも「根拠」がないからです。
つまり、「分からない」ものなのです。

が、死んだ人が夢に唐突にやってきて、なんかメッセージらしいものを託したりすることがよくあります。

人の夢の話ほどバカバカしいものはないので、ヒマでない方はこのへんでどうぞスルーして下さい。




秋のお彼岸頃でしたか・・
四半世紀も前に亡くなったAちゃんという友人が二夜連続で出てきました。

初めのは
緒形直人さんと私がドライブしている夢でした。(ここまではルンルン)私が運転しているのですが、運転席を死んだ友人がべったりへばりついて半分占領していて
「ちょっとぉ!Aちゃん 運転しにくいじゃない、どけてよ」なんて私。
それでものけないので、緒形直人に運転を代わってもらったのでした。


次の日の夢は
やはりその友人がすーーーっと入って行った旧い家があり
二階に銘仙のようなアンティークな着物が干されてあります。
その着物にも関心がわいて中にはいると、友人はいず、初老の紳士が一人。

「その着物お気に入られたら、持っていかれていいですよ。死んだ娘のものですが。ただ・・夜になると枕元で『殺してほしい・・』なんて声が聞こえるんですけどね。親の私は怖くもないですが・・」


(はあ・・親に先立ったわけね。でももう死んでんでしょ?死んでるのに殺してくれもなにもないわな)・・なんて夢で私はゆーれいさんにツッコんでるわけです。


久しぶりで出てきたAちゃん・・なにか言いたいことがあるのかな?

数えてみれば今年は25回忌。墓参りにでも来てほしいのかな・・。
だけど、なんでまた、四半世紀も経たいまごろ?
一度だけ墓参りに行ったのは、もう15年も前。
しかも海辺の田舎。だだっぴろい松林のなかに点在するお墓。
なんの目印もない。行っても探せるわけがない。

そう思いつつ夢のことは多忙に紛れて忘れていた。


まさにその頃、同居人の同僚が急死。
「明日 検査に行きますので」という暗い電話の声を取り次いだ数日後のこと。その人の仕事は同居人が引き継ぎました。



そして先日、同居人の職場(とある高校)に私個人的用で行くことがあり、車を発進させたとたん、そうだAちゃんの墓参りに行こう!と思い立ってしまい、職場にまでいったものの気もそぞろ、用も済まさず、即、海辺の町へと車を走らせてしまったのでした。


記憶をたよりに大まかな場所まで。

お墓は分かるはず無いけど、その辺まで行って手を合わせるだけでいいか・・と。


案の定、15年前とはうって変わり、松林の中ながら、区画整理されていて、新しいお墓がたくさん出来て綺麗な一大霊園になっている。百以上はある。

ますますわからない。

けれど

今日はAちゃんが私を呼んだ気がする。

それならきっと墓の前まで呼び寄せるはずよ。


そんなへんな自信でもって、花を買い、ずんずんと霊園の中に入っていきました。


一、二分もしないうちに、私はAちゃんの姓の書かれた、彼女のお父さんの名で建立されたお墓の(そのとき突如その名を思いだした)前にいました。


不思議だとも、やっぱり・・とさえも思わないほど、あたりまえのようにお墓参りを済ませ帰ったのですが。。。。


その日同居人が変なことを言い出すのです・・。
「うちのクラスの生徒に霊感のある子がいてな、亡くなった●●先生が『寂しいから来てほしい来てほしい』と誰かを呼んでるというんだ」


なんでAちゃんはあの日に私を自分の方へ呼んだんだ?
あの学校に私を行かせたがらなかったんだ?

死に神というものがいるなら、あのころ私の周りを徘徊していて物色していたのかもしれないなあ。
あの日、学校の高台から見下ろした景色・・ふと、死んだ先生がついこの間まで見ていた景色か・・なんて思いながら門を出たけど、自分の目じゃない気がして思わず振り払ったっけ。


同時期 緒形拳も死去。


夢で 席・・入れ替わったんだったよね。たしか。その息子と。
緒形直人との間にAちゃんが割り込んできたのも・・もしや。

次の日の夢もまた思い出される。
亡くなった先生はまだ私と同年代。両親は健在らしい。

Aちゃん

そう、そうなんだよ。
私はまだまだ・・生きねばならない。
まだまだ喜怒哀楽、極めなければならないのよ。ね。

いたなら、わかってくれて さんくす。

そして・・この世あの世すべてのものに・・合掌。



女衒

2008年10月11日 | 
昨夜遅くの緒形拳氏の追悼番組を見ました。


私は永く息子の緒形直人さんの大ファンですが、
世代的には「あら、私はお父さんの緒形拳さんが好きよ」という友人が多いです。


わたしが以前希理子さんのインスピレーション短歌のお部屋で遊ばせてもらっているとき作った歌で、


   沖をゆく人買い舟のしづけさよ女衒の貌がととさまに似る


というのがあります。すると そこに集っていた

ある方が

  この女衒は俳優で言うなら緒形拳・・ね。


と言われました。

たちまち歌が動画になったようで、それ以来自分の歌でもお気に入りになったものでした。


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「鬼畜」・・一度見た映画だけれど、またDVD借りて見てみました。
子棄て 子殺し 人でなしの親、大人。


しかし・・・四半世紀年輪を重ねると、物の見方の変遷はこんなところにも顕れます。

これは・・鬼畜に成り果てた人間

ではなく鬼畜になりきれない人間の苦しみを描いた作品だったのですね。


なってしまえれば・・・なりきった人間はラクでしょう。





死んだ赤子を抱いて病院に駆け込む真にうわずった必死の声

殺人目的であることをつい忘れたような、長男との旅。

この鬼畜と人間とが交錯する表情を出し得た俳優・・
恐れ入るばかりです。


緒形拳 はまり役・・でしたね。



二世の緒形直人さんに、ぜひ「父」を越えた役者さんになってもらいたいものです。


緒形直人オフィシャルサイト