非天の笑み

a suraのえみ
  

玻璃の舟

2007年06月30日 | 族(うから)
6月は娘の生まれ月。


その昔 八ヶ月早産で生まれた1030㌘の未熟児、二た月クベースというガラスの函に入った。

しかしまあ・・

はるけくも、あっけない四半世紀よ・・。

                 

                          ☆

硝子槽の第三夜なり新月を欲るがに赤子の眼あけてをりし



禁入室新生児室クベースの天より滴るうすきもらひ乳(ぢ)




八月子(やつきご)もあやせば淡あは玻璃の舟一千グラムの命は咲(わら)ふ




銀河より生(あ)れてさびしき眉根寄するみどりごにいや降る常夜灯




強き名をつけやれと朝な検温のナースが腕(かひな)みづみづせまる




水無月尽 洗ひ晒しし衫(かざみ)ともなりてすがしく初子(うひご)を抱けり










SAYURA 百人一首 二十三

2007年06月25日 | 百人一首
秋の田の穂の上(へ)に霧(き)らふ朝霞いつへの方に我が恋ひやまむ                            磐之媛


                             ☆

葛城襲津彦という強大な豪族の娘で、臣下から初の皇后となったといわれる仁徳天皇の大后の歌といわれている。

古事記では何よりも、「うわなり嫉み」で有名だ。
気が強く、嫉妬深く、即行動に出る。

例えば、宴席に用いる「御綱柏」という葉を后が紀の国までとりに出かけたすきに
仁徳天皇は浮気した。それを知った后は、舟から葉をすべて捨てさせ、そのまま難波の皇居を素通りして山城まで上ってしまった。途中、実家のある葛城を恋う歌など詠みながら・・・。

これは、磐之媛の我の強さ、というより、葛城氏の勢力の強さが下敷きにあるエピソードなのだろう。

仁徳はあわてて、ごきげんを取る歌を贈りとどける。


余談だが、そのときの歌は
「つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕(ただむき)枕かずけばこそ 知らずとは言はめ」


「田舎の百姓女が鍬もって丹精した大根のようなあなたのその白い腕」というのがどうやらほめことばらしいけど・・ほんとかな?


あと、黒比売への嫉妬。
彼女は恐れをなして実家の吉備へ逃げ帰ってしまうが、仁徳はまた、未練タラタラ
大后の耳に入るに決まってるにもかかわらず、黒比売の乗った舟の沖ゆくを見送って、嘆きの歌など詠む。


沖方(へ)には小舟連らく黒さやのまさづ子吾妹国へ下らす

「黒さやの」は枕詞らしいが、「黒ちゃあ~ん」と名を呼びかけているのはまぎれもない・・・。



案の定 后大立腹。舟を追いかけさせ、黒比売を引きずりおろして徒歩で行かせるという、女への八つ当たり。

懲りない仁徳。
「ちょっと国見に淡路まで・・・モゴモゴ」
などと淡路経由で吉備へ。
マメなことである。

ああ、一応 国見もする。
海の彼方を見やって「あの島も この島も、ああ、自分の国はすばらしい」と天真爛漫な褒めようったら。


さて、吉備にいつまでも居着くわけにもゆかず、互いに離れがたい名残を惜しみつつ難波へ帰るのだが。

磐之媛もさることながら、この古事記に描かれる仁徳の面白いこと・・すごくキャラが出ていて、実在以外の何あろう?
いるなぁ・・こんな恐妻家で八方美人でおっとり甘え上手でノーテンキタイプの男が。



さて、磐之媛はといえば、エピソードではしとやかな良妻イメージとはほど遠いが、歌はどうだろう?

作者である確証はないが、ではなぜこの嫋々とした歌と勝ち気妻が結びつけられたか・・。

ともかくも、この歌の作者とされたことで、かなり彼女は汚名挽回していると思う。


朝霞をどのような状況で見ているのだろうか・・・独り寝の秋の夜がしらじら明けた朝?

霧はいつしか消えてなくなるけれど、私の恋しい思いは、どこへ消えていってくれるというのだろう
私の思いはどこへ向ければよいのだろう


こんなつらいなら、もう恋よ消えて欲しいと望むか細さ。
または、
どこへゆけば片恋というつらさは止んで、こころは落ち着き処を得るの?
といういじらしさ。

受けとめてくれるものなく、ゆくえの定かでない恋の切なさを抑えて

「穂のへに霧らふ・・」と、目に映るイメージも、音の調べも、楚々として品位がある。





ついでだが、一方、例の吉備の黒比売の、仁徳と別れを惜しむ歌。



倭方に 往くは誰が夫(つま) 隠水(こもりづ)の 下よ延(は)へつつ 往くは誰が夫

まだ若いのだろうか、打ちつけの野性味がある。

倭へお帰りになるなんていうのはどなた?誰のダンナさん?
隠水のようにこっそりと忍んでまで通ってくれたというのに、私の夫ではないのね?誰かさんのダンナさんなのよね?


ほんに歌は詠むべし、ですね。滲み出るものこそ 噂にも負けぬ本質かも。





遠近図法

2007年06月20日 | 

数えたら、これまで17回引っ越しをしている。

と、言ったらとても驚かれるのだが、自分では、さほど目まぐるしい暮らし方をしてきたようにも思っていない。

むしろ、生まれたところで成長して、そこへお嫁さんを迎えて、一つ処で動くことなく年とっていく・・というような話を聞くと、(こういう人は多いのかもしれないが)なんとなく息苦しさを覚えてしまう。

今住んでいるところが、かれこれ9年。これまでの最長。意味もなくそろそろ居を移したい衝動がわいている。

前世はきっと旅芸人か、遊牧民か、吟遊詩人・・なんて恰好のいいものでもないだろうけど・・。

 

                             ☆

十あまり八たびを移れる住み処にてもはや随き来ぬわが影法師

 

家を売る俗事ひとつをかろがろとまたぎ越え春に春の風吹く

 

住みかはる主のことも転変のよそ事として裸のざくろ

 

旧庭(ふるには)の都忘れのゆくすゑやもとより花の都は知らず

 

置き去りにせしもののひとつかの庭のもちの木寡黙なやつであつたが

 

ひと文字を子の名に残す縁のみ麻裳よし冥き紀伊の国去る

 

陽は晒すわがニュータウン隠棲の庭にこちたくハーブを植ゑむ

 

高台に黄水仙日々機嫌よし遠近図法をたがへて描(か)かな

 

スクエアの空に絹雲遊ばせし転居通知にメッセージなき

 

近くまでお越しの節はとこしゑ橋たもとを折れて日照雨(そばへ)を抜けて

 

 

 

 

 

 


櫻桃忌

2007年06月19日 | 四季

遠い昔、太宰ハシカにかかったこともあった。

6月19日 この日三鷹の禅林寺にはいまもって太宰マニアの若者が大勢集うらしい。亡くなった日ではなく発見された日だろうか。たまたま39歳の誕生日だったとか?

この滅入りがちな雨季に、ほのかで可憐な朱さをそえてくれる果実
桜桃。

櫻桃忌・・みごとなネーミングだと思う。

後期の代表的短編「櫻桃」にもちなんで。


「人間失格」や「斜陽」などの中編が有名だが、私は数多い短編のファン。

若い頃、太宰の作品は、いい大人になってから、読めるかどうか、とよく周りから言われたものだ。

「大人」になってから・・・読んでみた。


巧いと思った。愉しかった。好きではある。
だけど、それだけ。

なんで若き日の読者を熱狂的にさせるのか、その謎はわからずじまい。



さみだれに文士蕩けて種を吐くかの世たわわな桜桃の霊



含羞(ハニカミ)のルビ雫せり窓を鎖すひと日をよそに櫻桃忌過ぐ







SAYURA 百人一首 二十二

2007年06月17日 | 百人一首

 

 すさまじき瘡の聖に逢ひにけり銀の上に寝るみなづきの夜に

                                            寺川 育世

                             

                ☆

 

ネットの歌会で出会った奈良在住の若い歌友。

このお歌もだが、硬質な質感でいて、嫋々とした肌触りを伝える歌を詠まれる方だった。若くてこのような、文語正統派短歌を詠まれることもうれしかった。

角川短歌の公募短歌館の入選常連さんでもあった。

歌もだが、歌の解釈の的確さ、鑑賞文の手堅さにも感服させられた。

 

さて、このお歌。

ルビはないがこのようによませていただく。

「すさまじきかさのひじりにあいにけりぎんのえにぬるみなづきのよに」

唐突に、時代も場所もわからない冥い空間にひきずりこまれたような眩惑感。

横たわっている作者と自分がいきなり重なり合い、醜くも尊い聖に覗き込まれているような気分。

なぜか、亡骸を連想する。そのうえにそそぐ「みなづきの夜」の雨はたっぷりとした濃度をもって重そうだ。

肌にきしむような銀の冷たさ。

 

作者さんが種明かしを書いてくれた。

「平城京が都遷りした理由のひとつに、水銀害があった。大仏鋳造のさいに使った大量の水銀が流出し、土も大気も雨も汚染され、有名な光明皇后の救癩の膿吸いのエピソードも、実は水銀毒患者だった・・」

と言うような新説を新聞記事で読んで、おどろいて出来た歌だと。

そして現在もまだ土中には水銀が残存している、ということから、そんな土地に寝起きしている怖さを実は詠ったもの・・と。

科学的な知識皆無なので、記事の信憑性も、水銀の怖さも判らないが、そんな背景を知らないままに、毒の冷ややかさと美しさが肌感覚で受けとめられた。

やっぱり、巧いんだろうなぁ。歌。

感激して返歌させてもらった。

 

たづぬれば都大路に雫して臥せる疫病(えやみ)や寧楽(ねいらく)浄土

 

この拙歌にも、すぐ丁寧な鑑賞を書いて下さった。

「心の花」の京都歌会に誘ってもらったままいかずじまいで、その後お見かけできないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



よさこい

2007年06月16日 | 

 

 一万と五千の魂(たま)のかぶく夜さよさこい酔はばやまれびと我も

 

 

はちきんのげによう踊る背を追ひて過去世ゆらゆら追手門まで

 

 

よっちょれよ汗散るかたへを退(しさ)らせて過ぎる連<縁> 連<楽> 連<燦>

 

 

 

 

 

舞ひ足らひて熱波の去ればつつぬけの海 空 ひたひ凛しき土佐びと

 

 

 

よさこい祭りの高知で、飛び入りして街を練り踊り歩いたのは・・

四年前。やっぱり「元祖」というのはいいなあと思った。

懐が広い。

 

また行ってみたい。

 

 

 

 


落人

2007年06月11日 | 

 四国は車で入ると、思った以上に険阻な山国。

山峡のほの暗い細い路をくねくねと行くとき、地の裂け目にはまり込んだような気分になる。

自ずと、視線を上に向けたくなる。谷あいから見る空は狭くてこのうえなく深い。

そして、山また山の転げ落ちそうななだりに、ぽつぽつと点在する人家。

どうやってあんな高いところに、たった一軒で・・。徒然草の「かくてもあられけるよ」どころではない。

これほど、空と人を恋しく思わせる場所もないだろう。

現在でもまだ「落人」になれるところではないかと、憧れてしまうが・・。

 

ところで、平家の落人がホンモノの安徳帝を守って、四国の山中に入り、鎌倉の詮索を逃れて隠れ住んだ・・というのはよく聞く話だが、青年安徳帝の美しい肖像画を目にし、崩御の地というのを訪れてみて、「ああ・・この人もまた身代わりか」という思いが瞬時によぎった。

 

壇ノ浦で入水した幼児が身代わりだったというのは想像に難くないが、追っ手をかわす目くらましのために、落ち延びさせる身代わりを、郎党らにさえ「帝」と偽ることだってあったのではないだろうか。たぶん複数。

家来たちもうすうす偽物とは気付いたかもしれない。けれど、自分の口を糊するのに死にものぐるいにならなければならない深山の隠れ里で、その少年がホンモノか偽物かの真偽は次第にどうでもよく、いわばただのお荷物、としかならなかったのではないだろうか・・

御座所とされたといわれる旧居の奥の間の板敷き。

山中の酷寒に粗食、 表向き丁重にかしづかれつつ、いくぶんぞんざいに扱われながら、日の射さぬ薄い敷物のうえに来る日も来る日もただ座し続けた少年。それがホンモノであろうと偽物であろうと、肉親恋し、都恋しの思いは同じだったろう。

17と言えば精気に満ち、恋も知る年であるものを、自らの性も知らぬ幼児のままに衰弱してみまかった か細い亡骸が偲ばれる。

火葬のあとといわれる場所は、ただの山道の片隅。申し訳のように小さな石ころが積まれていた。

 

まかりまちがえば谷に転げ落ちそうな山あいは日暮れてくると心細い。

が、国道に出て、瀬戸内海に面したとき、向かい側に神戸のおびただしい灯が目に入って仰天した。

まるで舞台の暗転のようだった。

どちらが現実か?源平の歴史でさえ、この地にては、私らが事実としているのは仮想か・・?

私は四国が好きだ。帰るとき、なにか自分の大事なものを置き去ってきたような気になってしまう。

 

                                     ☆

 

リフレッシュ休暇つつしみ銀婚に近きが旅をつづら折れゆく

 

 

断崖の小便小僧つつぬけに独りなり互(かたみ)にシャッターをきる

 

 

ひと組の孤影新たむ隠れ里のかづら橋にもそも女男(めを)ありて

 

 

この現(うつつ)の夢であるやう 安徳帝 十七歳の絵姿に邂ふ

 

 

身代はりの少年或は入水より美(は)しき病に逝きませりとなむ

 

 

朽ちし花枝(え)のごと焼かれけむ今上の御亡骸をきよめまゐると

 

 

貴人(あてびと)が火葬の跡の石積みのうへさびさびと笹鳴るばかり

 

 

「天涯の花」の純愛いつになく泣きてさながら剣山へ落つ

 

 

落人になれぬわれよりあくがれて水漬くにあらね祖谷の青石

 

 

山の井の汲む斎き水夫(つま)の背に鳴るをとぷとぷ追ひて下りぬ

 

 

 

 

 

 


玉梓 Ⅱ

2007年06月02日 | 相聞
桜花さへ待ちがてにほころぶを閉ざして幾夜蕾のわれや 



      南国のけだるき夏の夜をえらび月下にひらかん濡れたつぼみを



南国は早も若夏出て立たな月の城(ぐすく)に問ふは誰(た)が罪



      エキゾチカ・パパイヤ揺るる領を背に今宵おまえの舟を待ちおり




みんなみの潮は凪ぐとも孤舟(ひとりぶね)星さへ見えで棹さしゆくや


抜き手きり近づく影は君ならでわたつ海人(あまびと)わたしを攫へ




      海人(うみんちゅ)にやつした胸にかき抱くアナスイ香る白き肌(はだえ)を



抱かれてかりそめに酔ふ最果ての波照間の波あなたが遠い

ああ夕陽の香りがしてゐる濡れた胸哀しみ赫く滲むをなぞれば





     天竺の森の果てなるアガスティアの葉にはあらんか舟のゆくえも



艫綱を放てばうねる大海に文字(もんじ)一葉など頼むべき




                                         


お騒がせいたしました。


タネ明しをしますと、これは二年程前、さるネット歌会で詠んだもの。
互いに相手がわからぬまま、参加者が男女ペアとなり、各カップルがそれぞれ傍目も気にせず2人の世界にどっぷりはまって、熱く相聞を交わしあう、という企画でした。称して「愛の玉梓歌会」

私が幹事をしていたことで、このカップルだけは初めから相手がわかっておりました。

改めて、お相手ご紹介いたします。

心の花所属の鈴木貴彰氏でした。

男性的、かつ爽やかで誠実なお歌の数々に脱帽したものでした。



後にも先にも、私の恋歌は、これきり。・・だと思われまする。

玉梓

2007年06月02日 | 相聞
さゆらんに恋の歌がない?
と懐疑的コメントをいただきました。

カマトトぶるにもあまりといえばあまりなトシでありますゆゑ、
二部に分けてご披露することにいたしませう。


どうぞ、匂うばかりな相聞をお楽しみくださいませ。

因みに黒文字はさる男性歌人 赤文字が私。 おほほほほほ。

                     






鹿鳴けり 流星あわき尾を曳きておまえの願いを待ちいる夜に



       流星の秀先にのりて天翔て来よさ牡鹿も妻問ふものを

     流れ去るつれなき星と思へども声にぞ洩るる君が名三たび




天の原見上ぐるおまえのくちびるにかすかに触るる霞のわれは



       霞草越しに見送る朝まだきさだまりきらぬスーツの輪郭



くちびるに残るリップクリームの香りの立ちてひらく携帯




      着信音途切るるせつな匂ひ立つアナスイ君なき朝を粧ふ



キーボード叩く真昼のゆび停めぬ背(せな)にたなびく香りの記憶








すもうとり草

2007年06月02日 | 近詠

人待たぬ時よ時じく香ぐの実を置き去りにする朝の食卓

 

 

うしろめたさうに青空晴れ渡るいいんだ君にも諸般の事情

 

 

葉桜はいよよ影濃く往く人のあみだの帽子目深の帽子

 

 

いち抜けてあの子が帰る すもうとり草しんなりと首に夕風