四国は車で入ると、思った以上に険阻な山国。
山峡のほの暗い細い路をくねくねと行くとき、地の裂け目にはまり込んだような気分になる。
自ずと、視線を上に向けたくなる。谷あいから見る空は狭くてこのうえなく深い。
そして、山また山の転げ落ちそうななだりに、ぽつぽつと点在する人家。
どうやってあんな高いところに、たった一軒で・・。徒然草の「かくてもあられけるよ」どころではない。
これほど、空と人を恋しく思わせる場所もないだろう。
現在でもまだ「落人」になれるところではないかと、憧れてしまうが・・。
ところで、平家の落人がホンモノの安徳帝を守って、四国の山中に入り、鎌倉の詮索を逃れて隠れ住んだ・・というのはよく聞く話だが、青年安徳帝の美しい肖像画を目にし、崩御の地というのを訪れてみて、「ああ・・この人もまた身代わりか」という思いが瞬時によぎった。
壇ノ浦で入水した幼児が身代わりだったというのは想像に難くないが、追っ手をかわす目くらましのために、落ち延びさせる身代わりを、郎党らにさえ「帝」と偽ることだってあったのではないだろうか。たぶん複数。
家来たちもうすうす偽物とは気付いたかもしれない。けれど、自分の口を糊するのに死にものぐるいにならなければならない深山の隠れ里で、その少年がホンモノか偽物かの真偽は次第にどうでもよく、いわばただのお荷物、としかならなかったのではないだろうか・・
御座所とされたといわれる旧居の奥の間の板敷き。
山中の酷寒に粗食、 表向き丁重にかしづかれつつ、いくぶんぞんざいに扱われながら、日の射さぬ薄い敷物のうえに来る日も来る日もただ座し続けた少年。それがホンモノであろうと偽物であろうと、肉親恋し、都恋しの思いは同じだったろう。
17と言えば精気に満ち、恋も知る年であるものを、自らの性も知らぬ幼児のままに衰弱してみまかった か細い亡骸が偲ばれる。
火葬のあとといわれる場所は、ただの山道の片隅。申し訳のように小さな石ころが積まれていた。
まかりまちがえば谷に転げ落ちそうな山あいは日暮れてくると心細い。
が、国道に出て、瀬戸内海に面したとき、向かい側に神戸のおびただしい灯が目に入って仰天した。
まるで舞台の暗転のようだった。
どちらが現実か?源平の歴史でさえ、この地にては、私らが事実としているのは仮想か・・?
私は四国が好きだ。帰るとき、なにか自分の大事なものを置き去ってきたような気になってしまう。
☆
リフレッシュ休暇つつしみ銀婚に近きが旅をつづら折れゆく
断崖の小便小僧つつぬけに独りなり互(かたみ)にシャッターをきる
ひと組の孤影新たむ隠れ里のかづら橋にもそも女男(めを)ありて
この現(うつつ)の夢であるやう 安徳帝 十七歳の絵姿に邂ふ
身代はりの少年或は入水より美(は)しき病に逝きませりとなむ
朽ちし花枝(え)のごと焼かれけむ今上の御亡骸をきよめまゐると
貴人(あてびと)が火葬の跡の石積みのうへさびさびと笹鳴るばかり
「天涯の花」の純愛いつになく泣きてさながら剣山へ落つ
落人になれぬわれよりあくがれて水漬くにあらね祖谷の青石
山の井の汲む斎き水夫(つま)の背に鳴るをとぷとぷ追ひて下りぬ