非天の笑み

a suraのえみ
  

秋陽の糸

2012年10月07日 | 近詠

  

   女郎蜘蛛倦むにも倦みし身は空に吊りて秋陽の糸紡ぎをり






紀伊の漁村出身で、関西在住・・にも関わらず、「江戸前のダンディズム」というのにふと憧れたりする。

それが現存するものかどうか知らないが・・・。



浅田次郎の「霞町物語」に出てくる祖母、みたいな女になりたいものだ。

「したっけおばあちゃん・・」と愚痴る孫には
「そりゃあ、そ言っちまったおまいが悪い。料簡しない!」

孫を連れて鰻を食べに行き、すぐに出てきた鰻重には代金だけ払って孫の手を引きさっと店を出る。

「ありゃあ、焼いたんじゃない、温め直したもんだ」



親孝行には「バカヤロー」で返す江戸っ子の親父さんなどもいい。




彼の作品で小説、エッセイ「東京もの」はたいてい好んで読み漁った。地名に馴染みがないところや。ちょっとクサイな、と思うところは、とばしても。

「三丁目の夕陽」などと通じるところもあって好きだ。


実話と重なるエピソードも多いようだが、

十歳で捨てて行かれた実母に 高校生の時、カノジョ連れで偶然街中で出くわした。



お互い目が合っただけで無言で行きすぎ、その後電話で話した母の一声が

「おまえ、面食いだね」だったそうだ。



こんな母にもなりたい。


今日読んだ「地下鉄に乗って」の終末あたりに


親の幸せと好きな人の幸せを秤にかけてもいいか、好きな人の幸せを選んでいいか・・・と問う女の子に


「・・自分の幸せを子に望む親はいないよ・・」という、これもクサイ台詞が出てくるのだけれど



共感してつい感動してしまう自分がいるからこそ、江戸前にあこがれるのだ。



「よく、覚えとおき。いないほうがいいってんなら、いつだって親は身を引くもんだよ」

江戸弁で言っただけではダメだな。


江戸前では、どういう所作で表すんだろう。どう生きて見せるんだろう。

















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