中国西安旅行4日目(北海道)・・ヽ(^o^)丿
上海を経由して、いよいよ日本に帰ります。
成田から北海道へ戻りますが、まだまだ先です。
少ない時間でも買い物は忘れません。
上海の浦東国際空港でも買い物をしました。
今回の旅は、とにかく移動時間が長かったです。
乗り継ぎ時間もあまりなかったのでちょっと大変でした。
いつもなら、空港でゆっくり買い物できる時間があるのに、時間がないので走ってばかりでした。
あっという間に、浦東国際空港も離陸しいよいよ日本です。
国際線最後の食事です。洋食と中華という感じでした。おいしかったですよ。
上海は雨でしだか、成田は曇り空でしたね。
気温も3度と中国と変わらずとても寒かったです。
4日も日本食を食べないと、とても恋しくなります。
まず、日本に帰ってきてから、ぞはを食べました。
そばだけでは足りず、ワッフルのおいしいお店に入りました。
それでも足りず、回転寿司でお寿司を食べました。
うまかったなぁー。こんなに日本食がおいしいなんて・・・。
二人で感動していました。
成田についてから、北海道に戻るまで4時間ありました。
お店をぐるぐる回り、買い物して時間をすごしました。
この時点では、すでに相当疲れていました。
でも、心地よい疲れでしょう。
眼下には新千歳空港が見えていました。
本当にあっという間で、楽しい中国旅行でした。
お土産もたくさん買い、満足な旅でした。
中国の歴史を学び、いろんな人と出会い、また1つ思い出ができました。
甥っ子も初の海外旅行でした。どんな思いで、楽しんだでしょうか。
心に残る旅になったと思います。
また来年、どこかの国に行く鯛と思います。
これで、中国のだび日記を終わりたいと思います。
長い間、読んで頂きありがとうございました。
中国西安旅行4日目(帰国)・・ヽ(^o^)丿
いよいよ帰国です。朝4時30分に起床し、5時30分にはホテル出発です。
前日寝たのは1時でした。かなり眠たかったです。
外はまだ真っ暗です。予定通りホテルは出発しました。
バスの中では、全員が寝ていました。
1時間ほどで、無事に空港に着きました。
すでに1時間前だっいうのにゲートが開いていません。
出国手続きも始まりません。
俺らは国際線ですが、なんだか国内線はさらに大混雑です。
ガイドも一度はさよならをしましたが、心配で戻ってきました。
カウンターの係員に聞いてみると、まだ始まらないとのこと。
出発30分前になって、なんと空港全体の管理システムがすべてダウンしてPCが作動しないとのことでした。すなわち全便ストップになり、空港は大混雑していたのです。
朝から1機も飛行機が飛べなかったのです。俺らは朝の6時から空港に来てるのに8時になっても一向に飛びません。
ついに2時間遅れで搭乗手続きが始まり、一部再開しましたが大混雑です。もちろん、俺らは朝一の便だったので最初に手続きが始まりましたけどね。
空港で3時間以上待ち、西安で過ごした4日間の思い出を胸に、飛行機は無事に西安咸陽国際空港を出発しました。
突然の待ち時間と、寝不足も重なりかなりお疲れでした。
まずは、上海まで2時間50分飛行です。
最初の機内食です。
主食は、小豆のような、麦のような、おかゆのような、おもゆのようなものでした。たぶん西安でたべられている食事なんでしょうね。ほかには、オレンジや肉まんなどが出ました。
甥っ子も機内食に感動し、うまいうまいと言って食べていました。
機内食は、何が出るか毎回楽しみの1つです。
中国西安旅行3日目(夜市)・・ヽ(^o^)丿
中国の最後の夜は、観光が終わった後にタクシーで夜市にむかった。
予定していた観光は、すべて終わったので自由行動で行きました。
同じツアーに参加していた仲間2人と合計4人で出かけました。
2人は、中国の留学経験がある学生と、中国語を独学で勉強しているとい方だったので安心した。
ここでは、思いっきり買い物をすることにした。
団体ツアーでは、時間に制限がありゆっくりと買い物が出来なかったので、思う存分買い物をしました。
兵馬俑の置物、影絵、飾り物、お茶、お菓子他色々買いました。
お値段もかなり安いです。
夜の西安の街もライトアップされていてとてもきれいでした。
普段はあまり露天で食べ物を食べることはしないが、今回だけはいろいろと挑戦してみた。
案外と何でも食べれました。
下痢などの心配もありません。外手も美味しく頂きました。
何事も恐れず挑戦ですね。やっぱり露天は楽しかった。
まるでお祭りのようでした。
西安最後の夜は、ケンタッキーで終わりました。
ちょっとした腹ごしらえです。
この後、時間を忘れて夜中まで夜市を楽しみました。
明次の日は、朝5時ロビーに集合でした。
中国西安旅行3日目(餃子宴料理)・・ヽ(^o^)丿
中国西安最後の夕食は、西安名物「餃子宴料」でした。
14種類の餃子が次から次へと出てきます。
「徳発長」というお店で、鐘楼のある十字路の北西角にあります。
餃子は、中国では主食であります。
最初に、前菜が並んでおり、その後、うさぎ、鳥、くるみなど、いろんな形をした餃子が出てきます。味も、鶏肉、海老、甘いデザートのようななどさまざまな餃子が出てきました。
最後には水餃子が出ました。スープにはトマトや小海老などの具が入っています。
はじめのうちは、「かわいい」とか「これおもしろいね」とか「うまいうまい」なんて言いながら食べていたが
あっという間にお腹いっぱいになってしまった。
締めは、スイカのデザートでおしまいです。
西安料理をはじめ、中華料理はとても美味しかった。
さすが本場中国でした。西安は四川料理です。
中国西安旅行3日目(回民街)・・ヽ(^o^)丿
西安の市街地にある鐘桜から西に向かって100mぐらい進み、鼓楼を潜れば、「西安回民街」が見えてくる。回民街に形も年代も異なる10棟のモスクがあり、およそ2万人の回族の人がモスクの周辺に住んでおり、古い宗教伝統と生活習慣を保っている。


西安回民街は、一般的に鼓楼から北院門辺りまで、南北走向の街を指すが、偶に隣接の化覚巷、西羊市と大皮市を含める場合もある。

約500mの石畳で舗装した道を歩み、鬱蒼たる並木、明清様式の建築物に包まれながら、地元ならではのグルメを楽しんで、国内外観光客のなかで人気が高い。




グルメを求めるなら、北院門がおすすめ。この街の北はちょうど西安市政府で、南は鼓楼の門。镜糕種類が多くて美味しい。


「ラテックス」の会社にも行きました。ゴムの会社です。
ここでは、枕の販売をしていました。
とても寝心地のよい枕が沢山ありました。
俺らは買いませんでしたが、結構買っている人たちがいましたよ。
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中国西安旅行3日目(大雁塔)・・ヽ(^o^)丿
次に訪れたのは「大雁塔」です。
大雁塔は、幾度となく戦火にあった都西安に残る数少ない歴史建造物の一つで、「慈恩寺(じおんじ)」という寺院の中にあります。
この慈恩寺は唐代の皇帝高宗(こうそう)が亡き母を偲んで西暦648年に建立したものです。
この境内に建つ大雁塔は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドから持ち帰った膨大な教典を保管するために652年に建立されたものです。
「玄奘三蔵」って誰・・・??
そうです・・・実はこの人、あの孫悟空が活躍する「西遊記」の登場人物・・・「三蔵法師」その人なのです。
建立当初5層だった大雁塔は、8世紀には10層にまで積み上げられましたが、その後8層以上の階が倒壊したため現在は7層の構造となっています。高さは63m。
玄奘は西暦629年、本場の仏教哲学を学ぶため敦煌の「玉門関」を官吏の目を避けるようにして通り抜け、遠くインドの地に向けて当時の国禁を犯した大旅行へと旅立ったのです。
その旅で膨大な教典を持ち帰った玄奘は大雁塔にそれらの教典を収めると同時に、サンスクリット(梵語)で書かれた教典の漢訳に努めました。
その漢訳した教典の数たるや20年間で1200巻を超えたと言われています。この玄奘のインドへの遙かなる旅をモデルにした小説が「西遊記」なのです。
大雁塔の中はらせんの階段になっています。
各階には、ガラスケースに入ったミニュチュアサイズの大雁塔や、売店、ものづくりをしている人等がいます。
最上階から見る西安市内の眺望はなかなかの絶景です。
狭い階段を必死に上り、最上階に登り詰め小さな窓から西安の町並みを眺めるとき、何ともいえない達成感があります。
最上階の天井は、こうなっています。(下の写真)
実は、この大雁塔は地盤沈下により傾いています。修復も出来ないそうです。中国版「ピサの斜塔」として知られるのがこの「大雁塔」という古い塔なんです。
なぜ傾いているか。その理由は塔の下 の地下水が抜けてしまったからである。 ここ数年で地下水を戻しその傾きは戻ってきて いるという話もあります。
地下水位の改善策が奏功したとみられる。ただし、元通りになる までには、今後約1000年が必要という。
これまたすごいスケールですね。
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中国西安旅行3日目(興慶宮公園・青龍寺)・・ヽ(^o^)丿
次に訪れたのは、興慶宮公園と青龍寺です。
興慶宮は今の城外、東南郊外にあり、唐代の興慶宮の一部です。
昔の興慶宮は玄宗皇帝の兄弟五人の王子たちの御殿として造営されました。
その後、皇帝や貴族たちがよくここで歓楽を尽くしました。特に玄宗皇帝が728年に興慶宮で正式の政務を執りはじめてから、ここは大明宮に代わる唐代の政治の中心地でした。
また、玄宗皇帝は楊貴妃と共に、長い間ここで酒と歌舞に明け暮れ、生活を欲しいままにしていました。
西安阿部仲麻呂 阿倍仲麻呂の記念碑は興慶宮公園にあります。
これは、西安と日本の奈良市の友好都市関係締結五周年を記念して、1979年7月1日に立てられたものです。
大理石作りの美しい記念碑の高さは6.1m、碑の正面には金文字で「阿倍仲麻呂記念碑」と刻まれ、側面には阿倍仲麻呂が故郷の奈良を偲んで詠んだ望郷詩と当の詩人李白が仲麻呂を哭す詩がそれぞれ掘られています。
阿倍仲麻呂は698年、奈良に生まれ、717年、19才の時、留学生として遣唐使に従って長安に来ました。
彼は国子監(大学に相当)で一所懸命勉強し、当時最難関とされていた進士の試験に合格し、唐王朝の官吏となり、752年に今の国立図書館館長に当る職にも就きました。
こうして、彼は長安で35年間生活しましたが、祖国日本および親類を偲ばないことはなくて、小倉百人一首で有名な短歌を作りました。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
と歌いました。そして、770年、73才で亡くなりました。
この公園では、朝からヨガをしたり、ダンスをしたりて踊っています。
中国人は、気温マイナス3℃でとても寒いのに、何で朝から外で踊るんでしょうね。
決して若い人ではなく、おばさんばかりですよ。
もちろん若い人もいますが、広場には、相当の人数がいましたよ。
石の上に水でじを書く「水習字」をしているおばさんがいました。
中国人は、字がとても上手です。
青龍寺は、市の東南部、楽遊原にあり、582年に創建された。
元の名前はは霊感寺といったが、711年に青龍寺と改名された。唐の時代にはかなり有名な寺院であったようで、日本との縁も深い。
著名な「入唐八家」のうち、六名の僧侶がここで仏教を学んだ。最も有名なのは空海である。
空海はここで恵果法師を師として、密宗を伝習した。1981年、日本仏教界は青龍寺の境内に、空海記念堂と空海記念塔を建立した。
中でも空海が有名である。空海はここで恵果法師に真言密教について教えを請い、また苦労して中国仏教密宗文化を学び、漢学についても研鑚を積んだ。
彼は博学で、造詣も深く、仏教、詩、詞、サンスクリット、書などについても成果をあげた。
806年、多数の仏教経典や書籍を携えて帰国。奈良の東大寺で日本密宗真言宗を開いた。
ここから顔を出すと頭が良くなるそうです。
出してみました。笑
空海は、道場を開いて、密教を広め、日本留学僧の中でも数少ない仏学大師となり、「東密」の開祖となった。1982年、青龍寺には「空海記念碑」が建てられた。
1973年に塔と殿堂の遺跡が発見され、空海記念碑は1982年建てられ、日本仏教界も青龍寺の境内に、空海記念堂と空海記念塔を建立した。
四国88箇所めぐりのスタートの0番のお寺でもあります。
前総理大臣の管さんも訪れていました。
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中国西安旅行3日目(西安城壁)・・ヽ(^o^)丿
3日目の朝を迎えました。朝からラーメンと肉まんです。笑
さすが中国の朝食だよ。毎日食べています。
西安3日目の最初の観光は、「西安城壁」にきました。
現存する西安城壁は、明代の洪武7年~11年(1774-1378)にかけて、唐代の王都の城壁を基礎に作ったものです。城壁の周囲の長さは13.74キロメートルほどあり、壁の高さが12メートルであります。
日本の京都や奈良も唐時代の長安を模倣して碁盤目状に作られたといわれています。
これは、中国に現存している古代の城壁の中で最も完全なもので、世界においても規模が最も大きい、最も完全なものと言われます。 この西安の城壁は、建設されてから三回の大規模な修繕を行っています。
西安の城壁が美しく整備された事によって、城壁は西安のシンボルともなり、多くの観光客を魅了するようになっています。
兵馬俑だった、おれらにかかったらおもちゃだわぁー。
もちろんレプリカですから、触ることも出来ますが、本当にリアルな顔をしています。
これが、今回のガイドさんです。
とてもユニークで楽しい方でした。
顔は、お笑いの次長課長のこ○もとさんにそっくりです。
自分でも言っておりましたが、しゃべり方もとても似ていました。
スエットジャージにダウンというラフな格好です。
ガイドの目印に代わりに、何時もこいのぼりをもっています。
これが良くわかるんだよねぇー。
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中国西安旅行2日目(街散策)・・ヽ(^o^)丿
1日目夕方からは散策でした。
書院門古文街、回民街、鐘鼓桜広場など、イスラム教徒の活気あふれる街並の散策です。
ここで、骨董やお土産などを買いました。
とても安く、面白い中国のグッツが沢山ありましたよ。
書院門は、北京の瑠璃厰を模して清代の街並みを再現した通り。
文房四宝を中心とした商店が並んでいます。
筆・墨・硯などを購入するには安価(現地の人が購入する価格)で最適な所です。
約500mの石畳で舗装した道を歩み、鬱蒼たる並木、明清様式の建築物に包まれながら、地元ならではのグルメを楽しんで、国内外観光客のなかで人気が高いんですよ。
ライトアップされた鐘鼓桜広場はとてももきれいでした。
フリータイムが短かったので。夜にタクシーでまたきました。
城壁外(文昌門の南約300メートル)にある陝西歌舞大劇院
夜には、オプショナルツアーで、陝西歌舞大劇院というところで、歌舞を鑑賞しました。
中国の艶めかしい宮廷舞踊です。ここで70分の鑑賞です。
夕食は、火鍋料理です。しゃぶしゃぶって感じですね。
スパイスのたれの作り方があまり多すぎて、美味しい味が作れません。
ごまだれ、ポン酢っといいたいところですが、そんなのはありません。
香辛料と薬味だけです。なかなか自分で調合するのは難しいです。
塩とねぎで食べるのが一番です。
美味しかったです。
途中、じゅうたん店にも寄りました。
ツアーの中に組み込まれている買い物です。
もちろん、買う人はいませんでしたが。
ここの店員の日本語がまたおもしろい。噴出しそうなくらい。笑
間違ってはいないんだが、トーンが明らかにおかしいんです。
説明を聞きながら、笑っていました。
この方、そのお方です。笑
でも日本語しゃべれるんですからすごいですね。
1日歩き続けてぐったりです。
ホテルに帰ったら次の日の準備をしてすぐ寝ました。
明日は、もっと忙しいですよ。観光も最後ですからね。
2日間朝から晩まで観光し続けますからね。
それでは3日目もお楽しみに!!
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中国西安旅行2日目(陝西省歴史博物館)・・ヽ(^o^)丿
次に訪れたのは、陝西省歴史博物館です。
陝西歴史博物館は1991年に開館。陝西省で発掘された周・秦・漢・唐の時代を中心とした先史時代から清代までの青銅器や工芸品など約37万点を所蔵している施設です。
雁塔西北1キロのところに位置し、中国の一番最初の近代的な大型博物館です。
大唐代の建築様式にならい、総面積7万平方メートル、建築面積5万6千平方メートルに達しています。
陝西省は歴史的に重要な位置を占めているので、国家より1.44億元が投資され、1991年6月博物館が竣工し開放されました。
周、秦、漢、唐の時代を主として、商周時代の青銅器、歴代の陶俑、唐の壁画と金銀器をはじめ多数の文物を所蔵しています。博物館は基本陳列、特定テーマ陳列と臨時的な陳列の三つの部分からなっています。
博物館には、現在115000点以上が所蔵されている。
その内、登録されたものは41000点以上、未登録のものは74000点以上。
(整理されていない金銭はカウントしない) 大半の収蔵品は陝西省博物館から譲渡されたものだ。
中国は本当に宝物が多いですね。実感しました。
この、陝西省歴史博物館だけでも、じっくり見るまでは丸1日かかります。
歴史好きにはたまらない博物館です。
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中国西安旅行2日目(華清池)・・・・ヽ(^o^)丿
次に訪れたのは、楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスの舞台「華清池」です。
「華清池」は、西安の北東約30kmの、標高1256mの驪山(りざん)の麓に抱かれるようにあります。
この場所は、古く3千年前の西周時代から驪山を源泉とする温泉地でした。
秦の始皇帝を始め歴代皇帝の保養地として利用されてきましたが、やっぱりここを語るとき忘れてならないのは唐代の玄宗皇帝と楊貴妃にまつわるお話です。
玄宗皇帝は747年、この温泉地に宮殿式建築の豪奢な湯殿を建て「華清宮」と名付けました。
そしてここを舞台に絶世の美女といわれる楊貴妃との享楽生活にふけったのです。
楊貴妃は16歳の時、美人(官名)に選ばれて宮殿に入り、玄宗の子(寿王)の妃となりましたが、740年10月、玄宗皇帝が華清宮への行幸中に召し出されました。
美人で聡明な楊貴妃は玄宗皇帝の寵愛を一身に集め、745年に皇后に次ぐ高位「貴妃」となったのです。(本名は「楊玉環」といいます)以来、玄宗皇帝は毎年秋から春にかけ、ここ華清宮で楊貴妃とともに過ごし、享楽の毎日を送ったといわれています。
本当は楊貴妃の像に触って写真を撮るのがいいそうです。
人がいっぱいで出来ませんでした。
華清宮には、玄宗皇帝専用の湯殿「蓮花湯」と楊貴妃専用の湯殿「海棠湯」が造られました。蓮花湯は大理石で造られ白い玉石で魚や龍、蓮の花などの彫刻で飾られていたといわれます。
特に蓮の花は、まるでお湯の中に芙蓉の花が咲いているように見えるくらい見事なものだった伝えられています。
当時は、足つぼマッサージもあったようです。
実際に温泉が沸いています。源泉f43℃だそうです。
とても寒かったので、温泉がとても気持ちよかったぁー。
入ることは出来ませんでしたが、手湯だけを体験しました。
実に美しい胸ですが、肝心な乳首の色がはげています。
しかも両方・・・・・笑 まるで黒くなった乳首のようです。
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中国西安旅行2日目(秦の始皇帝陵)・・・・ヽ(^o^)丿
2箇所目は、世界遺産「秦の始皇帝陵」にきました。
中国を初めて統一した秦始皇帝の陵は、西安の東36kmのところにあります。
先ほど見た、兵馬俑坑のすぐ西に位置します。
「兵馬俑坑」はもともと秦の始皇帝の陪葬坑なんですよ。
「秦始皇帝」は言うまでもなく、中国が秦(しん)、韓(かん)、斉(せい)、狙(そ)、燕(えん)、趙(ちょう)そして魏(ぎ)の七雄といわれる諸国に分かれ紛争が続いていた春秋戦国時代に、他の国を併合し紀元前221年専制国家として統一を果たした人物です。
このゲートをくぐると最初の入り口が見えてきます。
世界遺産のマークと「秦始皇帝陵」と書かれた大きな岩が見えてきます。
始皇帝陵は、驪山(りざん)の北麓にあることから「驪山陵」とも言われるこの墳墓は中国最大のものです。
陵は始皇帝が13歳で即位したときから作り始められ、彼の死後まで、70万人の囚人を使い39年間かけて築かれました。当時の墳墓は周囲が25km、高さは100mを超えていたと言われますが、現在は風化などにより47mしかありません。
陵は一面に桃やザクロが植えられていてまさに「山」という感じです。
始皇帝陵の本体は、地下30mの深さに350m四方の広さという、巨大な地下宮殿だといわれています。
地下宮殿には木造建築がすっぽり納められていると推測されていて、これらが腐っていなければ、それこそ世紀の大発見となる埋葬物が出てくると言われています。
しかし、埋葬されている墓室や宝物などを盗掘から防ぐためのさまざまな仕掛け(罠)が施されているため、過去にも盗掘されていませんが、現代でもなお発掘が困難だと言われています。
地下宮殿は、死後の皇帝のための新たな世界を作り上げるため、墓室内には宝石をちりばめ天空(宇宙)をイメージする天井や、海や川を模して水銀が流れて大地などが施されているだろうと考えられています。
この水銀の有毒性なども考え合わせると、少なくともここ数十年は発掘される可能性は全く考えられないそうです。
さすが中国です。スケールが違います。
ガイドの話では、相当量のお宝が眠っているそうです。
中国は歴史が沢山あるので、すぐに大発見しなくても、ネタはいっぱいあるので、お高煮の発掘は急いではいないとのことでした。
以前は、この裏山を歩くことが出来ましたが、今は保存のため上ることは出来ないそうです。
この時期には、観光客はほとんどいませんでした。貸切状態です。笑
ちなみに、夏の暖かいころはこんなイメージです。
とても華やかで、お花がいっぱいだそうです。
2月は花もまったくなしです。
まさに冬のお墓って感じです。とても寒かったです。
お昼は、西安の郷土料理を食べました。
これもまた、美味しかったですね。もちろん中華料理です。
あまり脂っこくもなく、どちらかというと薄味でしたね。
美味しく頂きました。
この方、ダレだかわかりますか??
兵馬俑坑の第一発見者の楊志発さんです。
1974年に地元の農民の楊志発さんが、井戸掘りの作業中、偶然に発見しました。
多くの焼き物の破片を見つけたのがきっかけというから驚きです。
いまから37年前の発見である。 かなりのご高齢になりました。
今もご健在で、博物館の名誉副館長として毎日見学者の買い求める案内書にサインしたり、一緒に写真に納まったりしているようです。
もちろん俺らも、しっかりとサインを頂きました。
快く記念写真も撮ってもらいました。貴重なものとなりました。
以前はまったく写真も撮りたがらなかったそうです。
その著名人の中にはアメリカ大統領としてやってきたビル・クリントンもいる。
クリントンがヒラリーを引き連れて兵馬俑博物館にやって来たのは1998年6月。
この時、志発はクリントンに「何人の著名人と握手しましたか?」と訊かれ、「さあ?覚えていませんが、大統領が今まで握手した世界の首脳よりも多くの首脳と私は握手したでしょう。」と言ってクリントンを驚かせたという。
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中国西安旅行2日目(兵馬俑坑)・・・・ヽ(^o^)丿
中国西安旅行2日目です。今日からいよいよ観光です。
最初の観光は、メインといってもいいでしょう。
世界遺産「兵馬俑坑」1~3号坑、銅馬車館です。
知らない人はいないでしょう。
西安の観光名所のあまりにも有名なのが、世界遺産にも登録されているここ「兵馬俑坑」です。
俑坑はこれまでに4つ発見されていますが、4号坑は空洞だったため、現在は1号坑から3号坑までが一般公開されています。
ここが、兵馬俑坑博物館の入り口です。
ここを抜けると、カートで500メートルくらい走ります。
博物館はすべて立派な建物で覆われ、一帯もきれいに整備され博物館として施設化されています。
20世紀最大の発見といわれたこの兵馬俑坑は、1974年の春、西安郊外に住んでいた楊志発さん達農民が干ばつが続きのため農耕用の水を引くために井戸を掘っていたところ、見慣れない俑の一部(頭部)が出土しました。
これを政府の研究所に持ち込んで調べてもらったところ秦始皇帝時代の兵馬俑とわかり、一大センセーショナルなニュースとなったのです。
兵馬俑坑第1坑入り口です。
兵馬俑坑は、秦の始皇帝陵の東1.5kmの場所で発掘された陪葬坑です。
写真などでおなじみの最も巨大な坑は1号坑で、幅60m長さ210mもあります。
内部は深さ5~6m、幅4mほどの坑道が6本並び、その中に兵士や馬の俑が整然と並んでいます。
これらがすばらしいと絶賛されているのはその数ばかりではありません。
2000年以上も昔にもかかわらず、実に高い技術で俑が作られていることです。
それらはいずれもほぼ実寸大で、一つ一つがモデルとなった実在の人物に似せて作られた兵士の俑、生き生きとして今にも動き出しそうな馬の俑、リアルな甲冑など武具の彫刻、高い鋳造や溶接技術で作られた青銅製の武器などなど、それらは素人の僕たちでも驚かされます。
ここには全部で8千体の俑があると推定されていますが、これまでに発掘済みのものはまだ約2千体だそうです。それは、その発掘作業が慎重の上にも慎重に進められているからです。
その理由は、発掘された俑は空気に触れた瞬間から劣化や脱色が始まるため、慎重に保存対策をしながら作業が進められているからです。
兵馬俑ももともとは色がありました。
朱色や肌色など顔や鎧にも色がありました。
現在も博物館が閉館したあとの夜に発掘作業や修復作業が進められていて、1号坑の後方ではその様子を見ることができます。跪射弩兵
その姿はもちろんのこと、鮮やかに残る色彩(特に背面)と靴の裏の滑り止めの溝まで再現されている写実性がすごいです。
ほぼ完全な形で見つかった俑。瀬戸物のように固く焼かれている。
全身鮮やかに彩色されていた。髪の一本一本を表現しようとしたらしく櫛あとのように見える線が細かく残っていた。
手の平には手相が読めるほどしわが残っているという。すべての兵馬俑が焼き物でした。
騎兵俑
・引き連れている生き生きした馬の表現と精密に施された馬具の彫刻 立射弩兵
欧州の彫刻に見られる安定感のある立ち姿とポーズ 将軍俑坑体
交差した右手の人差し指をツンと伸ばしているのが特徴的。
この俑の人物は相当地位の高い兵士で、始皇帝が唯一の存在であることを示し忠誠を誓う仕草らしい。
また当時は地位の高い人物はこの指にその身分の証として翡翠(ひすい)の指輪をしていたのではないかとも言われている。
この馬車が発見されたときの状態は、粉々に壊れた1700個以上の欠片だったそうで、これらの欠片をひとつひとつ調査し、約2年以上の月日をかけ慎重に修復されたものです。
2006年9月16日、大の兵馬俑ファンなドイツ人留学生が、その愛が昂じてコスプレ衣装を制作、メイクも施し(というか泥を塗り)、展示されている兵馬俑群の中に紛れ込んでしまった事件がありました。
当時は大騒ぎになったとか。
兵馬俑に被害がなかったことと、愛ゆえの行動だったことで厳重注意で済んだらしいです。
とにかく一度訪れたら忘れない地ですね。
今まで見てきた世界遺産の中でベスト3に入るでしょう。
次回もお楽しみに!!
中国西安旅行1日目(移動)・・・・ヽ(^o^)丿
初日は、あいにくの悪天候でした。
出発までは何とか天気が落ち着いていたものの、関東地方が雪の影響で機材がまだ到着していないので1時間遅れの出発となった。
成田からの乗り継ぎが2時間しかない為、これ以上遅れが出るとツアー事態参加でない可能性が高いんです。
とりあえず、遅れながらも13:05新千歳発成田行きが出発となった。
今回利用した航空会社はSKYマークです。
遅れることが多いと聞いていましたが、その通りでした。笑
1時間遅れで、成田国際空港に無事に到着しました。
2時間前には、搭乗手続きをしなければいけないのに、すでに1時間を切っていました。
なんと、空港に着いたときには俺たちの呼び出し放送がかかっていました。
「○○○○様、搭乗手続きが済んでおりません。至急中国東方航空カウンターまで起こしください。」
ダッシュでぎりぎり間に合いました。
何とか、搭乗手続きも済ませ、後は搭乗口まで向かうことになりました。
後ろのバックが、海外旅行っていう感じです。
16:55成田国際空港発MU522便、上海経由、中国西安行きです。
上海までは約2時間50分です。搭乗口2番からの出発です。
いよいよ機内に乗り込みます。
いつココで必ず飛行機をバックに写真を撮ります。
ワンパターンですが、旅行の始まりの第1歩という感じがします。
定刻どおり成田国際空港を離陸いたしました。上海に向けて出発です。
離陸して30分後には、最初のおつまみが出ます。
今回は、ピーナッツとりんごジュースが出ました。
これも必ず写真におさめます。
1時間後には、最初の機内食が出ました。
メインでは、ビーフORうなぎ飯でした。
俺はうなぎ飯、甥っ子はビーフを頼みました。
旅行では、機内食も1つの楽しみです。
メニューは、ごらんの通りです。
うなぎ飯とそば、巻き寿司、佃煮、卵焼き、えび、どら焼きでした。
うまかったなぁー。
あっという間に上海浦東国際空港に到着です。
上海は、これで往復も含めたら10回くらい訪れています。
もう慣れたもんです。上海経由の旅行が多いので来る回数も多いわけです。
きれいですし、買い物もしやすいんですよ。
乗り継ぎの手続きを済ませ、上海からいよいよ西安に向けて出発です。
ココで飛行機が3回目の搭乗です。飛行時間は約3時間です。
この時すでに20時をまわっていました。中国の時差は、-1時間です。
機内では、すでにおやすみ時間になっています。
この時間利用して、入国手続きの書類などを書きます。
23:45中国西安咸陽(かんよう)国際空港に到着しました。
定刻どおりでしたが、この便は90㌫遅れるそうです。
定刻どおりの到着が珍しいそうです。中国らしいですね。
中国西安咸陽(かんよう)国際空港では、中国人ガイドが待っていました。
この時、すでに0時をまわっていました。もうかなりお疲れです。しかも1名が出口を間違って、空港出発が更に遅れました。
バスで1時間ほど走ると、今回宿泊するホテル、西安 (西安紫金山凱思特大酒店)(QUEST INTERNATIONAL HOTEL XI'AN)に到着です。4つ星スーペリアクラスのホテルです。
寝たのは、午前1時過ぎでした。
2日目は、午前8時30分ロビー集合です。
あっという間に1日が終わりました。
次回は2日目の様子をお送りいたします。
お楽しみに!!
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中国西安より無事に帰国いたしました!!!
昨日ですが、無事に中国西安から帰国いたしました。
西安もとても寒かったですが、地元の町も大雪でびっくりしました。
3泊4日の旅でしたが、充実した日々でした。
中2日が観光で、とても忙しいツアーでしたが満足です。
今回は、若い方が多かったですね。
学生さんとか、兄弟とか、卒業旅行とか・・・・。
高校の先生なる学生さんは、国語(古文)の先生になるとか・・・・・・。
自分の教材のためにいろいろな漢文のお土産を購入していました。
天津に留学したことがあるようで、中国語が話せました。
頼りになりました。その4人で夜市に観光にも行きました。
メインの兵馬俑坑もすごい迫力でした。一度見ると忘れません。
さすがに本物はスケールが違いました。後で写真で紹介します。
とても思い出になりました。甥っ子もよく着いてきましたよ。
帰りには、空港のシステム障害で国内線・国際線共全便ストップになり大混雑でした。ガイドも言っておりましたが、たぶんニュースになるだろうって言ってました。
2時間後には一部復旧しましたが大変でした。
しかも不審物の検査で、俺のスーツケースだけが引っかかり、全部開けられて検査されました。
保安員がライターが入ってるというです。
俺なんかタバコ吸わないから、絶対に入っていないのにね。
それを言っても捜し続けるんだよ。大したもんだ!!
結局は見つかりませでしたけどね。当たり前だよ!!
明日からプログを再開します。
1日づつ、旅行の様子をアップしていきます。
お楽しみに!!これが今回のメンバーです!!玄奘をたたえる塔大雁塔の前で!!
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