竹おじさんのフォトスケッチ

コンパクトデジカメをお供に散歩 ドライブで目に付いたものをスケッチしたもの

鳳仙花

2011年09月30日 | Weblog

最近あまり見かけなくなったが、役所なんかの受付のところや催し物の会場なんかで無料配布されている種の中にあることがある。蒔けばちゃんと芽が出て花が咲くのだが花泥棒は種を蒔くこともしない。先日も藤袴が手折られていた。水揚げが悪い花なのでたぶん今頃は捨てられているだろう。生け花の先生か花屋さんでないと切花の水揚げも技術がいるのだ。そういう輩は花など愛でる資格はないのだ。犬も飼い主に似てしつけの悪い犬を恥ずかしくもなく連れている人がいる。そういう人に限って自慢そうにして道端の花畑で排泄をさせている。 こういう人も犬など飼う資格はないのだ。これも戦後の教育が悪いのかな。


友禅菊

2011年09月29日 | Weblog

着物の柄になるような花だが育て方によって色々。菊という名の付く花は多いと言うより溢れている。なんでも後に菊という名前を付けるとそれなりに花の名前と姿が想像できるから不思議だ。どちらが本家かわからないがこれから菊の展覧会が本格的になってくる季節だ。昨日木犀が咲いているのを見つけた。だいたい香りで気がつくのだがまだ香りが出る少し前らしい?花目が沢山付いていた。木犀が咲くと松茸が採れると言われている。最近はカナダや中国 韓国当のものが早く出るので季節感が鈍くなっているが国産はこれからだ。今年の気候は茸類によく豊作らしい。毒キノコに気を付けて秋の味覚を堪能してください。


藤袴

2011年09月28日 | Weblog

以前は溜池のあぜなぞに自生していたが今は無くなった。たぶん園芸業者などが大量に採取したためだろうと言われている。この花は秋の七草で絶滅危惧種に指定されている唯一の花、満開より開きかけがなんとも言えぬ風情がある。最近は子供たちは外で遊ばない、その代わり中年の女性達がウオーキングしている。皆とは言わないが花泥棒は罪にならないとか勝手な理屈をつけて他人が育てている花を手折リ根元から引っこ抜いたりする人がある。これは立派な窃盗なのだが 罪の意識も無く持ち帰る人たちがいる。嘆かわしいことだ。持ち帰らなくても毎日その場で観て楽しめばいいのに。この状態を見ている子供たちがどう感じているか考えたことがあるのだろうか。


茗荷

2011年09月27日 | Weblog

冷奴やそうめん何かを食べるときに刻んで入れたり 甘酢ずけにしておいてバラ寿司や茗荷握りなぞにすると美味しい、好き嫌いが在るが 煮たりトマトと合わせると美味しい 少し植えておくとよく増えたくさん取れて生では食べきらないときにどうするか?昔は茗荷を食べると馬鹿になると言われたこともある。自分はそのせいでバカになったのかな?子供に言うと本気にするので困る。他にも秋茗荷と言って赤い芽が出る物もある。これは食べられるのか判らない。この世の中知らないものはあまり食べない方が良い、他にいくらでも食べるものはある。茸もいろいろ出るが食べるのはよく知ったものだけにしよう。舐めて観て舌がピリピリするものは毒があるというがそれだけでは判定は危険だよ。


かがし

2011年09月26日 | Weblog

稲刈りも終わりが近ずいてきた。彼らもご用済み リストラになるだろう。今観光用に最後のおつとめである。かがしも昔と比べると様変わりしてきた。絣の着物でへのへのもへのの顔 やじろべいのように一本足で立ち菅笠をかぶった姿はなかなか見当たらない。現代は美人のマネキンが化繊の洋服をきている。またビニールのゴミ袋を纏 世相を皮肉っている。雀にガンダムや鉄人28号が解るのだろうか。最近農薬の加減かスズメが少し増えた気がする。自然が戻りつつあるのか。田圃に動物達や昆虫類が増えるのはいいことだとは思うが農家の人はどう思っているだろう。


白彼岸花

2011年09月24日 | Weblog

暑さ寒さも彼岸まで 昔の人は偉かった。雨が止み青空が戻ってきた、雨もいいがやはり青空はいい清々しい空気まで美味しい気がする。今日から涼しくなるらしいが今度は寒い寒いと言わなければならなくなりそうだ。具合のいい季節はちょっとの間だけだから。白い彼岸花 突然変異か何かでこうなったらしい。しかし持ち前の繁殖力で結構増えてきた。珍しいので好きな人は球根をもらって植えるのであちこちで咲いている。そのうち嫌になるほど増えるだろう。モウどうなっても知らないよ。


彼岸花

2011年09月23日 | Weblog

今日はお彼岸。久しぶりにお寺のお彼岸向に参加しようと思う。年のせいか 祝祭日を休みにしたので、お参り出来るようになったのだ。彼岸には彼岸花。曼珠沙華とも言われる。綺麗な花なのだが家の中に飾られることはない。色が鮮やか故に火や 血を 連想すると言われてかわいそうな気もする。たいふう一過良い天気になりますように。


仙人草

2011年09月22日 | Weblog

そこらの木に巻きついて咲いている。よく見かけるので調べてみたら 仙人草というのだそうだ。いい名前だ。よく見ると案外複雑な形をしている。ただ当たり一面まとわりつくのであまり大切にされないが野草の会の人に聞くと鉢植えなんかにして上手に選定すると綺麗だよと言われた。ものは扱い方 考え方が大事だ。その人により良くも悪くもなるのだ。これは花だけではなさそうだ。


蕎麦

2011年09月21日 | Weblog

蕎麦 5年ほど前に自分で蕎麦を植えて収穫して石臼で粉にして なんて考えて蕎麦の種を撒いた。だいたい8月の初めに撒いて10月の中頃に収穫できるのだが、実際に収穫出来たのは撒いた種より少なかったのだ。大失敗の巻だった。後で知ったのだがまだ青い未熟な実は刈り取ってから追い熟させるのだそうだ。また蕎麦100%のものは山芋のつなぎを入れても難しい、しかたがないので団子にして食べたのである。これは笑い話 若き頃の思い出なのだ。


吾亦紅

2011年09月20日 | Weblog

野草に関心のない人から見ればただの草にすぎないが結構珍重される野草なのだ。何処にでもとはいかないが案外探せばあるもので、こんなところにも というところで見つかることもある。お茶席などの花としてよく用いられる。案外昔の人はこういうモノに関心を持ちうまく利用されている。見事な感性というべきか。日本古来の野草が急に増える訳は無いので最近ではそういう新しい発見はないだろうが、しかしいまだに薬品会社の研究室では色々な野草や木などから薬効成分を探しているという気の遠くなるような作業がされていると聞く。案外野性動物のお食事の中にヒントが在るのかも。


大毛蓼

2011年09月19日 | Weblog

蓼食う虫も好き好き、昔からよく言われている。どんな意味で言われているか皆さんはよくご存知でしょうが、この花は蓼の種類では在るが普通蓼と言われているのは犬蓼でもっと小型の花なのだ。そこらじゅうにあり雑草としてひとまとめにされている。これでもよく群生するので案外綺麗に見えるときもある。大毛蓼はよく目立つので雑草扱いはされない。彼岸花が咲きだした。萩もところによりというところか。今日は近所のお寺で萩祭りがある。お茶席もあるので花より団子 いや花よりお茶でお参りしてこよう。


二重生け

2011年09月17日 | Weblog

華道祭 見に行ったら私の作った竹の根付きの花生けが今年も数多く使われていた。ありがたいこどだ。長く愛用して欲しい。花は未生流の先生が生けられたものだが花生けは大事に保管されているらしく綺麗だあった。竹の花生けは切ってあっても生きています、管理が悪いと割れたりカビたり虫が付いたりするのだ。大事に使えば一生どころか孫の代まで使える昔のものでは千の利休さんの竹の花生け それぞれの形で名前が付いているが現代健在なのを見てもわかる。詳しく解説すればきりがないが例えば尺八切り 送り筒 寸胴 鶴首 鮟鱇 歌花筒 獅子口 稲塚 釣り舟 油差し 沓船 丸太舟 太鼓胴 そのほか籠等の編んだもの 種類はすごく多い またそれぞれに名前が付いている。覚えるだけでも大変だ。


すすき

2011年09月16日 | Weblog

単にすすき。ススキにもいろいろあるようだ。普通に薄 常盤薄 八丈すすき 鷹羽薄 縞薄 糸すすき 葉に矢羽根の模様が出る縞すすきは俗に矢筈すすきと言われ生け花などに利用される。すすきも穂の形がいろいろあってそれぞれ好みがある。またよく似たモノに荻というのもある。これから逆光に輝くススキの写真を撮りたい。朝夕は金色 昼は銀色 すすきは逆光で鑑賞すべし。曽谷高原 砥峰高原 仙石原等有名な場所へ行くもよしそこらの河原で楽しむもよし。最近は早めに刈られてなくなっているところもあるので要注意だよ。


2011年09月15日 | Weblog

朝晩少し涼しくなってきたようだ。昼間はまだ夏が続いている。植物は敏感に季節を先取りして萩の花も咲きだした。綾部の萩寺と言われている正暦寺でもぼちぼち咲きかけた。当事者は萩祭りに咲くか、毎日萩を眺めて気がもめることだろう。彼岸に咲く彼岸花も気の早い物が蕾を伸ばしている。やはり彼岸が近ずくと咲きかける。最近アマチュアカメラマンに人気があるスポットは亀岡にある。とにかくすごい量の花が一斉に咲く。場所によっては人が集まるのを嫌い切り取られるところもあるようだ。最近デジタルカメラが普及して定年カメラマンが増えた。いいことなのだがたまにマナーの悪いモノたちがいるので嫌われる。とにかく地元の人たちの作業の邪魔をしないように綺麗な景色をみんなで楽しめるようにしたいものだ。


鶏頭

2011年09月14日 | Weblog

最近鶏をあまり見かけない、スーパーへ行けばかしわ(鶏肉)や卵は見ることができるが生きている鶏はいない。昔はちょっと田舎へ行けば放し飼いされた鶏が庭を歩いていた。卵を採る為ケージのなかで飼われていたリして珍しいことではなかったのだが???最近はこの鶏頭で当時を偲ぶしかないのか。鶏頭も雌は小さくたまにいる雄は立派な飾りを持っていた。動物はどれも雄が綺麗で立派なのだが。。。人間だけは逆のようだ。これからは女性の時代 これも新人類かな。