朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

海を眺めながら、終の棲家

2020-03-14 14:08:28 | 陽南子
 毎朝、目覚めて開け放したままのカーテンの窓から外を眺める。少しだけ遠くに海が見える。子供の頃、父に
「陽南子、海と山とどちらが好き?」
と聞かれて
「海」
と答えた。
父は登山を趣味の一つとしていたので、当然そんな私の答えに不服を呈した。それでも海を眺めながら暮らしたいを、その時は思った。
人生の時を重ねる中で、山の中でひっそりと暮らしたいと思う時もあったし、小高い丘の上で海を眺めながら暮らしたいと思う時もあった。それは、生活と言うものとは切り離した、一種の憧れのようなものだった。実際には、住宅地の中でありきたりの生活をすることで生活を維持していかなくてはならなかった。
 大きな転機と決断を迫られたこの春、私は築年数の随分とたった中古マンションを購入した。この先、私だけの一人の終の棲家であある。南向き4Fのこの部屋からは、海を眺めることができた。鉄道とハイウエィの高架が重なって見えるこの場所は、一人で生活するには十分な広さである。窓からは周辺の住宅の屋根を見下ろす。レースのカーテンは引くが、カーテンは閉める必要はない。
そして、部屋の中から屋根越しに線路とハイウエィの向うに見える海を眺める。
このマンションは、この周辺では一番古いそして初のリゾートマンションだった。父に車の中で海か山かと聞かれたとき、このマンションの側を走っていた。
「大人になったら、あのマンションに住む!」
そう言ったことを思い出した。
当時、まだこの地方都市ののはずれでは、マンションは珍しく建設したばかりのこのマンションは、団地ではなくマンションに暮らすという憧れを子供に抱かせる建造物だったのだ。


 「変わればいいのよ、まずは自分が変わらなくては何も変わらない。」
わからなかった。教えてほしかった。だが誰も教えてはくれなかった。何をどう変われば、どう変わるのか?そして此処から抜け出すことができるのか?教えてほしかった。そのままやり過ごすことは可能なことだったし、そのままじっと時を眺めること以外できないのだと思っていた。
苦しかった。抜け出せることはないのだと思い込んでいた。
しかし、それはただの思い込みに過ぎなかった。

                      (追記予定あり)

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