いつの間にか、公園に向かう道の周りの田んぼが金色になっていた。そういう季節ですね。
ここでだから会えた人ばかりだ。そりゃそんなの当たり前というか、生きて誰とどんな出くわし方したって自分がそこにいたために会えた人ではあるのだけど。知りえなかった人を知って言葉を見聞きしているうち、自分の世界に当たり前になった存在が突然いなくなるのはさみしく苦手で毎度、慣れない。
今回の件に限らず、出会いのきっかけがツイッターで、主な接点もツイッターだった方がツイッターから消えてしまうと言うのは、それで存在が消えてなくなる訳ではないと分かっていても、寂しいと感じてしまう。自分のTLによく見かけた存在が欠けるだけの事で、世界は変わらないのだけど。
ツイッターが変わったからだとか、ユーザーが劣化しただなんて思わない。もしかしたら転校してしまう同級生を見送る気分に似ているかもしれない。どんな場からでも、見慣れていた人がいなくなるのが寂しく、残念であるだけ。
私のTLには、喪失の寂しさを嘆く人はいても、その原因を突き詰めて攻撃しようとしてる人は、あまり見なかったように思うけども。
関わりのある方が大変な事に巻き込まれているらしい、と見えても、私は深く追及したり、TL上で加勢したり割り込んだりはしない。できない。その勇気もないし、それで事態が改善した試しがないから、諦めている。相互フォローの人には、様子を伺うDMをするかもしれないけど。
表立って庇ったり、攻撃に反撃をしたりしないくせに、相手に折れないでいて欲しいと願うのは、何より残酷な事かもしれない。
相手を気遣う言葉の先に、私憤を加味して誰かを攻撃する事が私は嫌いだ。被害を受けている人の楯になる振りをして、当該者を武器にして誰かを攻撃する事が。だから、表立って他者の問題に割って入る事はしない。私の臆病と言われたら、それもその通りだろうけど。
どうする事もできないけど、寂しいね、とただ、それだけなんです。今回に限らず、同じような例は何度かあって、同じように思っていただけです。