元フィギュアスケート選手・鈴木明子さんは、私が先のシーズンまで最も応援していた選手の一人です。(詳しくはこちらの記事を見て頂ければと思います。
「愛するスケートの苦しみを知る「愛の讃歌」 鈴木明子選手の愛(安積咲) <ソチ五輪コラム>」 )その彼女が今回、郡山の専門学校の学園祭でトークショーを行いました。そのレポートと感想です。(2014.08.31.)
学校の校長先生たちの挨拶の後に、「オペラ座の怪人」の曲で登場(ご本人も驚き)。進行役などはなく、お一人でほぼ45分から50分お話しされました。
・「郡山に来るのは多分初めてだと思います。いつもは通り過ぎて仙台に行ってしまうので」「ここに来れて、こんな近くで皆さんの前でお話しする事が出来てとても嬉しいです」
・スケートを始めたきっかけ。あまり上手な方じゃなかった。でも滑る事が好きだった。ジュニアの頃は、今にして思えば順調なスケート人生だったのかも。
・大学を出てから競技を続ける選手は大変。きっと自分は大学卒業と同時にやめるだろうと思っていた。その当時は、トリノが目標だった。
・ジャンプは苦手、表現力の選手だと思っていた。周囲からもそういう評価が多く、自分でもそう思い込んでいる所があったと思う。
・シニアに上がるに向け、ジャンプを磨きたいと思い、当時仙台でコーチをしていた長久保先生に師事するため、仙台の大学に進学した。
・やる気はあったのだが「甘かったですね(笑)」体のコントロールが出来ず、摂食障害に。
・スケートが出来なくなって、生きてる意味、存在意義が分からなくなった。18歳の頃。自分自身に嫌気がさして、自分を受け入れる人もいないと思った。
・でも、まずその病気と、自分の状態を受け入れなければいけないと思うようになった。周りの人たちに支えられながら、希望を持って克服できるようになった。
・日常生活は快復しても、心の中では葛藤が続いていた。その都度その自分を受け入れて行く事を学んだ。
・最初は病気をする前の自分に戻りたい、元気にスケートをしていた頃に戻りたいと思っていた。実際は戻る事は出来ない。時間を取り戻す事は出来ない。過去に戻る事は出来ない。でも今の自分から未来を作っていく事は出来る。「戻りたいと思っている間は私は戻らないな、と私は思ったんです」「今を生きて、それが未来につながるんだ、と感じた時に、それが「受け入れる」につながるんだと思いました」
・じゃあ「明日には何がしたいか」「一年後にはどうなっていたいか」という目標を持てた。
・過去にとらわれていた自分よりも、今から作って行く方が、体も心も前向きになって行った。
・「遠回りしたね」と言われたけど、遠回りで無かった、これは無駄な経験ではなかったと思ってもらえるようにしたい、と思うようになった。
・今はそう言って下さった事が、今の自分にもプラスになっていると思える。
・バンクーバー五輪へ向けての頃の話。無我夢中で、特に五輪の間の事は覚えていないくらい。バンクーバーが終わった後は、一年一年やってみて、満足したらやめようと「今にして思えば甘い事を思っていました(笑)」
・その頃は本当にソチ五輪の事は考えていなかった。
・バンクーバー後の一年は不調で、納得の行かない成績。それで次のシーズンを頑張ろうと思った。次のシーズンは世界選手権銅メダル。でも、ルッツジャンプを跳べなかった事が悔しくて、悩んだけれど、次に続ける事を決めた。
・気が付けばソチ五輪まで二年。周囲からも意識した質問が増える。それでもあの五輪に向けた練習がもう一度出来るのか、という葛藤。そんな中で、当時一緒に戦っていた仲間を見送る立場でいいのか、と考えた。本当は自分も挑戦したいんじゃないか。怖がっているだけじゃないのか。
・せっかくここまで続けてきたんだから、やるしかない、と決めた。(2013-14シーズンの世界選手権の後)
・「ソチまでは続ける」という発言が「今季限り現役引退」というニュースになっていて驚いた。それだけまだ自分の演技を見ていたいと言って下さる方がいる事は幸せだとも思った。
・バンクーバーとソチに臨む状況は違っていた。バンクーバーは追いかける立場、ソチは「行けるであろう」と思われる中での立場。「自分の位置を守りたい」「引きずりおろされるのではないか」「代表になれなかったら」不安と心のバランスが難しく、眠れない状況も多かった。
・そんな中でも長久保コーチが支えてくれた。先生が最後まで諦めなかったから今の自分がいる。病気の頃から側にいてくれた。先生に喜んでもらえたらいいな、「明子を教えて来てよかったな」と思って最後を見届けてもらいたかった。
・「それでも一番先生と一番喧嘩したのはあのシーズンでした(笑)」10代の頃の自分と28の自分は違う。先生も(こんな年齢の選手を教えた事が無く)自分への指導に迷った。二人で話し合いながら甘さにならない練習を模索した。
・最後の全日本の話。優勝するなんて、大会直前は、自分と長久保コーチが一番信じられなかったと思う。それくらいのスランプだった。先生が怒るのをやめ、とにかく話をしようと言ってくれて、話し合った。「あと一週間、先生の全てをかけて教える。それでもぎりぎりだ。それでもついてこれるか」
・「それでも先生に着いて行きます」と言って、そこから順調ではなかったけれども、前に進む事が出来た。先生が最後まで諦めずに引っ張って行ってくれた。本当にいい先生に出会う事が出来た。決して良い生徒ではなかったけど、スケートの良さを学ぶ事が出来た。
・最後のシーズンは、練習の一つ一つが愛おしかった。だから辛くとも頑張れた。いい演技で終われないと満足できないかと思っていたが、引退して今、一切「もうちょっとやりたかったな」という悔しさや悲しさ、寂しさは全くない。自分でも意外。
・成績とか結果ではなく、そこまでの過程に満足ができて、充実したものであれば、必ずしも結果が伴わなくとも、すっきりと次に進めという事を知った。
・ここまで気持ちよく選手生活を終える事が出来たのは、幸せなスケーターだと思う。
・引退してからも色んな場所で呼んで頂けて、ここまでやってきて、本当に良かったと思う。今は色んなお仕事にチャレンジしている。
・初めて社会に出たようなものなので、世間知らずだと思うので、社会見学と言うか、色んな経験をさせて頂いている。
・今まではスケートを中心にできていた生活のリズムが、様々なお仕事の合間に練習を組み込むような生活になっている。毎日が刺激的で、初めての事で、毎日充実している。ずっとスケートしかしてこなかったので、今自分が何ができるのか分からないので、頂いたお仕事はなるべく自分らしく楽しくやって行こうと思っている。そこから一年やってみて、自分で開けて行く道もあると思いますし、自分自身が思っているよりも、何らかの可能性があるのかなと期待を込めて、色んなお仕事をさせて頂いている。本当にスケートをやってきて良かった。
・必ずしもスケートが好きだからと言って、好きで楽しんでやっている事と「楽なこと」とは違う。「楽しい」と「楽」という字は同じだけど、全然楽ではなく、苦しい事もたくさんある。でも好きだから続けられる。
・「皆さんもぜひ自分の人生で楽しさに変えられる事を」壁にぶつかる事も無駄ではない。悩む時間も緊張したりする事も、その事に真面目に取り組もうとしているから。ちょっとでも前に進もうと思っていれば。「これからの人生、たかが29歳が言うのもなんですけど(笑)」「色んな人に感謝の気持ちを持って生きて行きましょう」
※質問コーナー※
Q.「鈴木さんにとって「生きてる」って何ですか」
A.「んー、難しいですね(笑)想定外の質問で(笑)今を一生けん命、今この瞬間を…うーん難しいですね、今この瞬間を大切にするからこそ、今の自分を受け入れる事…なんかよく分かんないですけど(笑)」
Q.「世界中色々行ってらっしゃると思うんですが最近行った場所の話を」
A.「一番最近はアメリカのデトロイトなんですけど、アイスショーの振付をしてきました。今回のアメリカは自分のインプットの時間。映画を観たり本を読んだりして、何も考えずに過ごして、切り替えの時間だった」
「自分が本当に何をしたいかが分かった」
「ぼーっとしてたら自分は忙しいのが好きなんだと思った」
Q.(質問が良く聞き取れなかったけど振付師への事について)
A.「振付師は大きな目標だけど、今は更に色んな振付師の方に振付をしていただいて、スキルを磨いている。やろうと思えばできるかもしれないけど(お話も頂いているけど)本当にやるからには自分のスキルを磨いてからやりたいので、来年以降から少しずつやって行こうかなと」
Q.「もうすぐ大事な試験があるのですが、緊張しない方法は」
A.「選手をしていて緊張しなかった試合は一度もありません。緊張する事は悪い事じゃない、その物事に集中してる結果だから、楽しみに変えなさいと言われて、そんなことできるわけない、と思いますけど(笑)考えを変えるようになった」「気持ちの中で思うだけでも全然ちがう。皆緊張している。自分だけじゃない。大きく息を吸って、人間は緊張すると吸う方が多くなるので、私が試合前にしていたのは、意識的に吐く方を長くして、心拍数が落ち着いてくるようにしました。頑張って下さい」
Q.「一番見てきた中で一番すごいと思う選手は」
A.「選手の頃からも、引退してプロスケーターとしても、荒川静香さんは目標でもありますし、身近な先輩としても尊敬している。荒川さんと同じような事はもちろん出来ないので、自分らしく。彼女がプロスケーターとしての道を切り拓いてくれたと思っている」「プロの意識を高く、今でも素晴らしいパフォーマンスを見せて下さっている事を尊敬している」
質問者の方にサイン本のプレゼント。
その後で「個人的に、福島のままどおるが大好きで、仙台でも良く買っていた。それを知った人が良く買って来てくれていたので、ままどおるを常に食べています」という嬉しいコメント。
更にその後は、時間の許す限り、写真撮影やサインに応えて下さっていました。
私がいつも彼女のお話を聞いていて思う事は、誰かの名前を挙げる事が少なく、また、誰かと自分を比べてどう、という話をされないところです。そして、誰かの発言を利用し、自分の評価に繋げる事もしない。常に自分と向き合う事を大事に、お話しされている、と感じます。これは実は、割と難しい事だと思います。人は、すぐに「誰か」の言葉を借り、それを勝手に傘に着ようとしてしまう時がありますから。
その、常に自分と真っ直ぐに向き合う姿に、私は感動して来ましたし、彼女の演技が好きだったのだと思います。
とても忙しい中、郡山にトークショーに訪れて下さった事を感謝しています。