速記文字より生まれた流形文字をフォントにしました。

流形文字をダウンロードして文章を作成出来ます。魅惑的な文字が4つの方式で表現出来ます。ご利用をお願い致します。

Ⅱ 絵文字モドキでお正月を  3

2010-01-21 13:29:42 | Weblog
     歴史は女によって創られる  3

 歴史は藤原道長の父 兼家の頃にさかのぼる。兼家は3兄弟であり長兄の伊尹(これまさ)の死後、次兄の兼通が関白を継ぎ5年ほどで病床に臥して、兼通危篤の知らせが兼家に届いた。彼はこれを聞いて大喜びで次兄の家の前を通り過ぎて内裏に参上して兄が危篤であるので自分を関白にと上奏したのである。兼通は家臣から病気見舞いと聞き、待っていたが家の前を通りすぎて内裏に駆け込んだと聞き、怒り心頭して危篤の状態から忽然と立ち上がり、鬼神、妖怪のごとく疾走して自らも内裏に駆けつけて、すぐさま関白を辞して弟を格下げして左大臣藤原頼忠を後任にしたのであった。結局、兼家の関白への野望は阻止されたのであったが、その後も虎視眈々として権力の坐を狙うことになる。
 歴史は美女が因果になって引き起こされているようだ。花山院においてもしかり、大鏡によると花山天皇の悲劇もその因果は美貌の寵姫祇子(しし、よしこ)にあった。花山帝は即位以来数人の後宮がいたが、その中に大納言 藤原為光の次女 祇子が16歳で入内して妊娠8ヶ月であの世に旅立ったことによって世を儚んだが故の1大災難であった。花山帝は17歳にて即位されてから19歳の時に、この事件は兼家の次男である道兼(道長の次兄)によって引き起こされた。時は986年(寛和2年)6月22日深夜 花山天皇が嘆き悲しむのに同情をよせて「一緒に仏門に入りましょう。私がお供いたします」と誘い二人で天台寺院へと向かった。途中で花山帝は「有明の月もこんなに明るいので、気がひけるから引き返したらどうだろうか」とおっしゃいましたが「今更、そんなことを仰せられても取りやめることは出来ましょうか。もうすでに3種の神器は皇太子様の方にいっておりますから」という。帝が空を仰がれると月の面にむら雲がかかり、少し暗くなったので「私の出家も成就するようだ」といわれ帝も諦められたようで寺の方に向かわれた。寺へ向かう途中で安倍晴明(921-1005=陰陽師)の家の前を通られると、阿部晴明の声がして、パンパンと手を祓っている様子、「さてはて今天皇が門の前を通られたが何か天変があったご様子、もうご退位されたと見える。これから参上して奏上しよう。車の支度をせよ」と言っている。3種の神器は帝が内裏を出られるのを見計らっていた兼家の長男 道隆と三男の道綱によって兼家の孫の懐仁親王(後の一条天皇)の住むところに運びこまれたのである。
  参考文献  日本の作家100人 清少納言 萩野敦子  勉誠出版
        光源氏のモデル  五つの宮廷史から   河北 騰  国研出版
 新年はいかがお過ごしですか。くれぐれも美女にご用心。民主党の小沢、鳩山さんはお金にご用心、皆様方は流星文字で手脳用心