福岡の友人が毎月第3水曜日の夕刻、安全保障法案反対の抗議活動をしている。
7月の第3水曜日は19日、俺の毎月の実家行きをそれに合わせることにした。
天神のコア前であったその集まりで、たくさんの若い人が代わる代わる反対を気持ちをこめて訴えた。就活中の女性もリクルートスーツでマイクを握っていた。
福岡の友人が毎月第3水曜日の夕刻、安全保障法案反対の抗議活動をしている。
7月の第3水曜日は19日、俺の毎月の実家行きをそれに合わせることにした。
天神のコア前であったその集まりで、たくさんの若い人が代わる代わる反対を気持ちをこめて訴えた。就活中の女性もリクルートスーツでマイクを握っていた。
ちょっと前、6月25日、自民党の若手議員学習会での百田氏の発言でこれだけは訂正してほしいと思うことがあったので載せておきたい。
それは「沖縄宜野湾市の普天間基地は原野に造られて、あとでカネ目当ての人が集まったという」ような事を百田氏が発言していた。
それは違う、沖縄戦の前には現在の飛行場内に宜野湾村役場があり集落があったのだ。上陸した米軍は洞穴に隠れていた人々を捕らえ収容所に移した。人々が帰ってきたら集落は消え、飛行場に変わっていた。本土の米軍基地の多くは旧日本軍の基地など国有地に造られた。沖縄では住民が収容所にいる間に占拠し、あるいは住民を銃で脅し、土地を奪って建設された。土地のない農民は生きていけない。基地への反発も、基地からの収入で生計を立てたのも、元をたどれば土地を奪われたことや、その原因の沖縄戦に行き着く。本土防衛の捨石とされた戦いである。
ということを俺は色んな情報から、知っている。
百田氏ほどの人が誤った情報を信じるとは驚いた。
彼の「沖縄の新聞をつぶせ」という言動は千歩譲って立場上ありうる発言だと受け取るけど、普天間飛行場の成り立ちの事実は正しく伝えてほしい。