庭というほどではなく空き地なのだが、しかしれっきとしたお店前のスペースではある。雑草は生えていていいのだ、よほどの支障がなければそのままでいいのだ、、、と、そういう理由をつけて草刈をサボっていたのだ。そろそろかなーと思いつつ気になっていたのこの頃。昨日ボランティア活動の帰りにお店に寄ってくれたWさん。よほど見かねたのか、たまたま活動のため積んでいた草刈機、彼は草刈をしてくれた。たまたまお客さんがいて、音を気にしてどうしようと言ってくれたが、俺は今を逃すとまずい、草刈は出来なくなるやばい、「決行、OK」と答え、お客さんの様子を気にしながらも俺は俺でうどん(蕎麦は売り切れ)を茹でた。娘が横でしろつめ草は刈るな、あそこは雑草に埋まれているけどお父さんの畑だと指示を出していた。すみません、Wさん。最近よく気がつき、はっきりしてきたものだから。
で、お客さんも帰られた頃、目処が立ち俺も草をかき集めるのを手伝った。終わってお茶を飲みながらしばらく話をした。出会った頃の彼のイメージと違ってきて最近彼の心情が理解でき、話が分かるようになったように思う。第一印象で感じたものは変わってないけど、それが肉付けされたり、その内容が見えてきたのだ。最初、こういう人と決めて、感じてしまうけど、で、だんだんその存在の意味とか成り立ちを知りながら肯定、受け入れが深くなってくるのだ。大げさに言えばその過程は人を知る醍醐味でもある。不幸にして距離が離れる場合もあるけど、それも醍醐味に変わりはないのだ。けれど過程であり、終わったわけではない。
といろいろ書いたが要は草刈り後のすっきりした風景を見せたかった、彼が帰った後一念発起して自分の草刈り機を持出して、裏の草刈を始めたが途中で草刈機の調子が悪くなって断念した。ナフコに持って行って見てもらおう。
東京ガールズコレクションのチーフプロデューサーの話が載っていた。物欲は世界を救うと銘打ってのインタビューのコラムだ。その中に「世の中ではいま、物欲をそぐような『片づけ』や『断捨離』のブームです。でも、物に対する好奇心が薄れるのはちょっと怖い。いいモノを集めたい、という欲求や快楽を封じ込め、心を貧しくしないでしょうか。」とあった。
俺自身、片付けや断捨離という類の本を一冊急ぎ読みしただけだけど、書いてある事と物欲は矛盾してないと思った。自分の周りにあるものは自分にとってほんとに必要なものかチェックしよう、不要なものを手放せばほんとにほしい物が見えてくるという内容だと俺は理解した。そういう気持ち、後悔しないほんとにほしいものががわかる意識、眼でTGC(東京ガールズコレクション)に行けばより楽しみも深まると思うけど。
そしてモノをチェックし、手放すことは自分の物欲を本物にすることであり、人間関係でも社会に対する意識でも、人目を気にしたり、周りの宣伝、言葉に影響されるのではなく、後悔しない本物がみえてくるということだと理解した。「激安」がはやる中で俺らは安ければいいという価値観に支配され、無駄なものを買ってしまう、値段ではなく丁寧に作られているとか、それが自分にどういう影響をもたらすかと考えなくなったように思う。
安いTシャツを安いから買うのではなく、数多くは買えなくても、いいもの、気に入るものを買うことにしよう。100円ショップを否定はしないし、商品企画はすごいと思う。けれど100円という気軽さにとりあえず買っておこうとかいう意識になりがちだった俺の意識は変えたい。
とここまで書くとチーフプロデューサーの言っていることから少し離れそうだが彼女の言うことと「モノを手放そう」という流行は矛盾しないのではないかと思ったということを言いたかった。
昨日夜、福岡から九重町に戻った。母親がリハビリ病院に入院しているので会いに行き、洗濯物を引き上げてきたのだ。骨折手術後のリハビリの為に入院しているのだけど、起き上がってリハビリ室に行くにはまだ無理で、ベッドに寝た状態か車椅子に乗った状態でリハビリをしてもらっている。夏が終わる頃には目処が立つかなーと思いつつ通っている。
鯵を、関鯵をいただいた。その前の日に連絡があったので、それを楽しみに戻ってきたら、冷蔵庫の中にそれは鎮座してた。発砲スチロールの箱に氷詰めで持ってきてくれたそうだ。深夜、おろして刺身にして食べた。ビールを片手に、ゆっくり食べた。至福の時だった。ありがとう、Nさん!最初は友人から友人へとの関係でお店に蕎麦を食べに来てくれた釣り人だ。九重にも釣りに来るけど海釣りもする、ヤマメもいただき、黒鯛も頂いたことがある。美味しかった。