「ハチドリのひとしずく-いま、私にできること」というを知っていますか?
この物語は、南アメリカの先住民に伝わるお話です。
森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました
でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
明治学院大学国際学部教授で、環境=文化NGOナマケモノ倶楽部主宰の辻信一さんが訳した短い話である。
素直な私は、先日の倉本聰さんの講演会以来、ハチドリが水を運んだように、倉本さんが木を植えたように、「私ができることは一体何なのだろう・・・」と考え込んでいた。
「影響力のある人がやるから意味があるのか、小さな個人の行動は無力なのか。それあるならばすでにある組織に寄付を拠出すべきか。」いや、大事なのは、他人が考えた大きな事より、自分で考えた小さな事のはず。アーヴィン・ラズロ博士が言うように、私にも変化を起こす力があるのだろうか。自分が投じた一石がやがて大きな波紋となってバタフライ効果を起こすことがあるのだろうか
「認知とは、そこにある世界を表現するものではなく、むしろ生きるという過程そのものを通して世界を提案することである。とりわけ人間である私たちが持っている唯一の世界は言葉や相互作用を通して私たちが共に作り出していくものでもある。それを知って始めて『私たちの世界や地域社会や組織は私たちが変わってこそ変わる』と必然的に考えることになる。・・・そこから生きる未来を創造することになる」という「シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ」のある一部分を思い出す。
また、ガイアシンフォニーの龍村仁監督は「魂の旅―地球交響曲第三番」の中で、「一人ひとりの小さな「選択」の繋がりが、私たちを取り囲む大きな「現実」をつくっている。その「選択」の背後に、「自分の生命は、自分をはるかに超えた大きな生命の繋がりの中で生かされている」という気付きがあれば、日常の小さな選択の中で小さな変化が生まれる。その小さな変化の繋がりが、必ず大きな変化を生む。なぜなら、全てはあらかじめ繋がっており、さらに最近の技術文明の進歩がその繋がりを速く、より多様に、より緊密にしてゆくからだ。ひとりの人間の小さな選択の変化は、決して無力ではない。小さなひとりの人間の変化こそが大きな変化をつくる。」と言っている。
さて、燃えていたあの森は、その後、どうなったのだろう。
燃えてなくなってしまったのか、それとも・・・。
クリキンディの周りには、1羽、2羽と次第に仲間が集まり、100羽、1000羽とあっという間に火事を消しまったとさ・・・というエンディングであってほしい。
話はこれだけの短い民話なのだが、気になっていたので昨日書籍を手にとってみた。
後半には、坂本龍一さん、中嶋朋子さん、CW・ニコルさんなど16名の「私にできること」をしている人々が登場する。
私が思う、生きていく上で大事なことは「知足」と「愛」。彼らのインタビューを読んでいると、エコロジーの鍵は、幸福の源は「足るを知る」ことであるという思いが確信的になる。
まず、日々の暮らしの中で何気なく消費しているエネルギー、水、食べ物・・・それらを見直す必要があるのではないか。日本は、これまでの経済競争のレールから降りて、美しい三等国になればいい。食べ物が美味しくて、風景が綺麗で、自然が豊かで・・・古くて新しいライフスタイル。大自然に生かされているという意識を呼び戻そう。
「1本の木には千の鳥が住む」ということわざがあるが、今はあまりに小さく無力に見える種子も苗木も、やがては何千という虫や鳥の住処となるように、「あなたが育てているのはただの木ではない。小さな宇宙なのだ。」
「環境問題にしても、これからは問題を解決するのではなくて、問題を招かない生き方をすることである。」実は「今日もいい日」と感じられるだけで、感じるというだけで多くの事が解決されていくのかもしれない。
あるのは、やり方ではなく、あり方だ (老子)
さて、「金の鳥-クリキンディ」について語る辻信一さんの解説の中に、「あぁ、なるほど」とこれまでとは違う解釈で絵が見られるようになる「パラダイム転換」の教訓があった。
この小さな物語の中には、たくさんの教えがつまっています。たしかにクリキンディは、小さなからだに似合わぬ大きな勇気をもっているように見えます。
それにしてもなぜ、ほかの動物たちは山火事を消そうともしないで逃げ出してしまったのでしょうか。それは彼らが意気地なしで卑怯だからでしょうか。
大きくて力もちのクマは、しかし、幼い子グマたちを守るために避難したのかもしれません。脚の速いジャガーは、しかし、うしろ足で火に土をかけることに気がつかなかったのかもしれません。雨を呼ぶことができる“雨ふり鳥”たちは、しかし、水で火を消せるということを知らなかっただけなのかもしれません。
この本の絵を描いてくれたのは、ぼくの長年の友人であるカナダ人の先住民族ハイダのマイケルです。彼との打ち合わせの中でこんなやりとりがありました。ぼくの最初の英訳の中に「普段大威張りの大きな動物たちが・・・ハチドリをバカにして・・・」という表現があり、彼はそれにひっかかったのです。「これではハチドリが正義で、ほかの動物たちが悪だ、という話になってしまう」と、彼は感じたというのです。先住民に伝わる元々の話にそんな善悪の区別などなかったのではないか、という彼の意見にぼくは心を開かれる思いがしました。
また、マイケルはこうも言いました。「怒りや憎しみに身をまかせたり、他人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。クリキンディはそう言っているような気がするんだ」
あまりに大きな問題にとりかこまれている私たちは、ともすれば無力感に押しつぶされそうになります。でもそんな時は、ハチドリのことを思い出してくださいね。
物語の続きを描くのはあなたです。