旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

倉本聰さん講演会「当たり前の暮らしを求めて」~今、自分に出来ることを考える~

2009年09月04日 | 講演


北の国からファン必見!北海道富良野市を拠点に活動を続ける倉本聰さんの講演会に行ってきた(8/27・山形)私にとっては社労士試験が終了しFP1級試験へ向かう前の命の洗濯でもあった。冒頭、倉本さんは山形県上山市に学童疎開をしていたそうだ。

代表作に「前略おふくろ様」「北の国から」「優しい時間」「風のガーデン」など多数。昭和59年より若手俳優・脚本家養成の富良野塾を開設。また、富良野の大自然のフィールドの中で五感を鍛えることを通じて環境について考える富良野自然塾を主宰。→富良野塾・富良野GROUPホームページ
現在
、富良野演劇工場では「富良野塾」の出身者らが出演する「歸國」を上演している。倉本さんが7年ぶりに脚色した新作舞台である。物語の舞台は、先の大戦から60年あまり過ぎた現代の日本。終戦記念日の深夜の東京駅に1両の軍用列車が到着する。ダイヤには記されていない、その軍用列車には南洋で玉砕し、海に沈んだ英霊たちが乗っていた…

原作は棟田博さんの小説「サイパンから来た列車」であるが、大きく違うのは英霊たちが今の日本を見て愕然とするという点。「今の発展した日本を英霊たちが見たらどうだろう。安心するだろうか。僕はがっかりするのではないかという気がしてしようがなかった。英霊の側の視点に立ったとき、今の日本の何に腹を立てるのか、それを探っていった。」この作品の絞めは恥を知れである。恥を知ること、誇りを持つこと、倫理感を持つこと…日本の今のあり様を厳しく問うている。

来年3月に閉塾が決まっている富良野塾では、畑を作り一人1日280円で共同生活をしてきた。金がないから最も安い米を買い、捨てる野菜を拾い、やまべ山麓デパート(これでピンと方は立派な北ファン!’95秘密で純とシュウがデートしたゴミ捨て場)から家財を集めた。それがあるときから190円で暮らせるようになった。理由はコンビニの廃棄弁当を拾えるようになったから。東京のホームレスが糖尿病になるくらいだから、マイナス25度の北限のホームレスだって食うに困らない時代だ。
彼らに生活費需品を聞いてみたところ、?水?火?ナイフ?食べ物だったが、澁谷の若者の答えは、?携帯?金?テレビ?車だった…どっちが根本か、何が当たり前か、我々にとって本来の座標軸はどこなのか。
1.豊か
豊か
とは金がたくさんあるだけではなく、「リッチにして幸せなこと」である。戦後日本を振り返ると電化製品が普及するにつれて家庭の中の幸福感は減ってきたと感じる。ラジオしかなかった時代、テレビが家庭に1台だった時代は家族が感動を分かち合った。家族が炉端を囲んだ時代には父や祖父から倫理観を刷り込まれた。今でも時々俳人だった父の匂いを思い出すが、それは幸せの原点だ。最近は親の寝息、子供の寝息をしらない者が多すぎる。それは便利になったことの弊害でもある。
2.便利
幸せが便利に置き換わっているようだ。便利とは本来持っているエネルギーを使わずケチることのような気がする。テレビも5メートル歩けば付くのにそれをケチってリモコンを作った。「そうして筋力が衰え、金を払ってジムに行き、何の生産性も無い重い物を上げたり下げたり、どこへも行き着かない自転車をこいで…僕から言わせると、ホモサピエンスから抜けてホモサスペンスだね」便利さと引き換えに我々は何を失ったのか。
3.前年比
現代人はどこまで果てしない欲望を広げていかないと気がすまないのか。走り続けた先にゴールはあるのか。戦後瓦礫から這い上がり、三種の神器を手に入れ次に3C…いつまでゴールを設定し続けるのか。あるところで満足してはいけないのか。これは日本の国家に対する疑問である。
4.あたり前
ここ何年もあたり前を考えている。英語ではナチュラルだろう。つまりネイチャー自然のおきてに従うこと、自然に戻ることが最も重要でそれが漫然としている状態。大げさなことではない。
「富良野塾起草文」
あなたは文明に麻痺していませんか
石油と水はどっちが大事ですか
車と足はどっちが大事ですか
知識と知恵はどっちが大事ですか
批評と創造はどっちが大事ですか
理屈と行動はどっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局何のかのと云いながら我が世の春を謳歌していませんか
現代社会は石油に頼っている。もともと2兆バーレルあった石油は今1兆2000億バーレルしか残っていない。これは琵琶湖の7杯分、富士山ではなんと17、3~4合目から頂上までの体積分しかないということ。このままでは漁業も農業も立ち行かなくなる。
NHK
と喧嘩して気付いたら富良野に来ていつの間にか住んでいたという倉本さん。まずがいると思い、近くに湧き水を発見した。市からも申し分ない水量と水質とのお墨付きをもらったが、数年前に突然枯れた。同時に一帯の井戸が枯れたので独自に調査したところ、原因は前富良野岳の開発に違いないと中止を求めたが却下されてしまう。そこから森と水との関係に興味を持ち、それがやがて富良野自然塾へと繋がる。
日本人は1日に300~400?の水を使う。東京都は1日に48億?の水を供給している。その水はもともと森で蓄えられる。なぜ森で蓄えられるかというと葉っぱがあるから。葉っぱが何層も重なっているお蔭で水が蓄えられ、夏は涼しく冬は暖かいのだ。その葉っぱは光合成で二酸化炭素から酸素を作り出す。動物と森との相互関係には葉っぱで成り立っている。それなのに人間は木ばかりを見て森を見ていなかった。木材のために葉っぱを捨て幹を切り出してきた。「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る」は誠に言い得て妙である。
3~4年前から富良野のゴルフ場跡地を森に返そうと木を植える活動をしている。それは幹を取るためではなく以前の森のように葉っぱを生やすため。15年で15万本を目指しているが、現在3万3千本。植林といってもただ植えるわけにはいかない。まず森から種を集め、畑で芽を出し、苗木にして1本1本植えて根を張らせる。そこまでに既に2、3年かかっている。15年もしたら今植えた木が自然に種を落としてくれるだろう。
環境先進国のドイツでは国民の意識を変えるのに30年かかったそうである。環境は学問では意味がない。身近な問題にちりばめて教えていくことだ。学者は自分が知っていることを難しく喋りすぎる。「だから何だってんだ!」と言いたくなるし、最近は何でもカタカナ語を使いたがる。もっと感覚的に演劇的に分かりやすく教えたらどうか。

富良野自然塾では数字の知識でなく、感性や感覚で宇宙と地球を捉えようと直径1メートルの石の地球を置き、人類は表面のどの程度の厚さで生存しているのか、宇宙ステーションの軌道はどれくらいの高さか、月はどのくらいの距離でどのくらいの大きさか、太陽はどうか…すると人類はその微妙な大きさと距離で偶然生かされているだけの脆い存在だということがわかる。
アメリカン・インディアンには「地球(自然)は子孫からの借り物」という諺がある。アイヌ民族の萱野茂先生は「昔、アイヌはその年の自然の利子の一部だけで、食う事も着る事も住む事もやっていた。だけど今の日本人は自然という元金にまで手をつけている。元金に手をつけたら、利子はどんどん減っていくという事を、これだけ経済観念が発達した日本人にどうして分からないのだろう。」と言っている。

「その答えは自分にはわからない、まだわからないからいいのか。だから僕は木を植えるしかない
木を植える活動を始めてから腰を痛めて杖をついて歩いておられたが、役者や演出家を育成する富良野塾、自然環境を考える富良野自然塾、著書やドラマの言葉に留まらず、現実の活動に結び付けている倉本さんの凛とした姿に感銘を覚えた。そしてこれからも私はもう一つのドラマとして、倉本さんの活動を注目していきます!
「社会貢献」というと、大きくて堅いテーマだが、山火事で獣達が逃げる中、「僕にできることはこれだけ」とハチドリが口ばしで水を運んだ南米の民話「ハチドリのひとしずく」のように「今、自分に出来ること」は何なのだろう。今は「ハチドリの一滴」に過ぎないけれど、きっとまだ間に合うはず。みんながやれば変わるはず。
真の文明社会はエコロジーカルチャーエコノミーの三本柱
がバランスよく保たれなければならない。しかし日本はすごいスピードで経済ばかりが発達し、が追いついていない。開高健
さんのエッセーに登場する旅行者のように、たまにはトランクに腰を下ろして、「心の到着」を待ってみてはいかがだろうか。


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