ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが静まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取る為に耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life's battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me thatImay not be a coward,
feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
石川拓治著「奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録」の冒頭である。
木村秋則さんの顔は一度見れば忘れることができない。
書店で手に取ったとき、こんな屈託なく笑う人っているんだ、と感激した。
若いうちは美人だとか可愛いとかカッコいいとか、およそ親からの遺伝子で評価されるが、年をとればとるほどその人がどんな人生をいきたか、それが如実に現れるのが顔の表情である。
そしてこの歯抜け。
なんで歯がないんですかと人に聞かれると、「私はリンゴの葉と、自分の歯を引き替えにしたんです」ということにしているそうだ。
ここまで言えるのは相当な苦労があったからというのは推測できるが、それすら魅力のひとつと感じさせる。
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、青森のリンゴ農家・木村秋則さんが紹介されたのは2006年12月7日のこと。
ちょうど三年前である。
ご存知のとおり、放送後は異例の大反響を呼んだ。
しかし私は見逃してしまう。
それにも関らず、50冊近い積読本の中から抜きん出て私に読みたいと思わせたのは木村さんの笑顔の力に違いない。
「死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのことに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ」
「何も出来ないと思っていたのは、何も見ていなかったからだ。
目に見える部分ばかりに気を取られて、目に見えないものを見る努力を忘れていた」
「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている」
「木村はこのことを今も深く後悔している。
木村が声をかけずにすませたリンゴの木は、一本残らず枯れてしまっていたのだ」
何度も胸が熱くなり、涙があふれそうになりながら読む中で、私はガイアシンフォニーのことを思った。
同時に、岩木山のふもとが舞台ということから佐藤初女さんのことを思った。
この本の著者である石川さんは初めて木村さんのりんごに齧り付いたときのことをこう表現いている。
「一口頬張った瞬間に、大げさではなく、自分の全身の細胞が喜んでいるような感じがした。「これだ!これだ!これだ!」
・・・もちろん、そのリンゴは、その要素もひっくるめて美味しかったのだけれど、それ以上の何かがリンゴには満ちていた。その何かを言葉で説明するのは難しい。
無理矢理言葉にするなら、生命とでも表現するしかないもの。
あるいは、この世に生きる喜びのエッセンスというべき何かが、そのリンゴには充満していた」
地球交響曲第二番 予告
やはり木村さんと佐藤さんは同じにおいがする。
第二番はまだ見たことがないけれど、本で読んだ彼女もまた、ターシャ・テューダー同様、私のあこがれるおばあちゃんなのだ。
そんなことを考えていたら、龍村仁監督の奥さんが運営するブログ「ガイア・カフェ」に二人のことがアップされた!
やはり同じような波動の人たち同士、引き合うものなのだろう。
「奇跡のリンゴ」をまだ読んでいない人は、ぜひこの本で確かめてほしい。
なぜ木村さんのリンゴは奇跡なのか、なぜ木村さんの畑は箱舟なのか。
そうすればこのブログの題名の意味がわかってもらえる。
この本を読み終えて思い出した言葉がある。
「悪の葉っぱに斧を向ける人は千人いても、
根っこに斧を向ける者はひとりしかいない」
これは「ウォールデン 森の生活」の作者・ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉である。
なぜこれを思い出したかについて詳しく書くことは、無農薬栽培実現の核心に触れるのでやめておくが、木村さんの成功がまさしく「7つの習慣―成功には原則があった!」の「インサイド・アウト」そのままであったということだ。
「生活の中で大きな変革を遂げようとすれば、行動や態度という「葉っぱ」に心を奪われることなく、その行動や態度の源であるパラダイムという「根っこ」に働きかけなければならない。」
余談だが、ヘンリー・ソローは私と同じ誕生日だ。
そしてあこがれの人、ターシャ・テューダーが信条としているのもソローの言葉だったと知ったときは感激した。
「わたしは心から満足しています。犬や山羊や鳥たちと一緒にここへ住み続けること。それ以外に何の望みもありません。自分ではまずまずの人生を生きてきたと思いますが、人に伝えたいメッセージなどありません。
もしわたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、それを一番よく表しているのはソローの次の言葉です。『自信をもって自分の夢へ向かって進み、自分が思い描いたような人生を生きるように努力すれば、予想外の成功がえられるだろう』
これがわたしの信条です。これは真実です。わたしの人生はこの言葉に集約されます。」
さて、これは家の庭のブロッコリー。
冬の食卓に彩りを添えてくれます。
もちろん無農薬です。
木村さんがりんごに酢をかけているのと同じ意味で木酢液のみ使っています。
芯まで甘くて美味しいです。
一方これは我が家のりんごの木。
正確にはりんごのなる木。
この時期、すっかり落葉してしまった庭木にりんごをさしておくと、えさがなくて困っている冬鳥たちがどこからともなくやってきてついばんでいきます。
その姿がとても愛らしく、部屋からそっと眺めるのが冬の楽しみの一つでもあります。
久しぶりにすがすがしい気持ちにさせてくれる「奇跡のりんご」との出会いでありました