ハロウィンも終り、ここ博多の街でも、かわって気の早いツリーやリースが飾られ始めました。
何か「次」の楽しみがあるって、わくわくしますよね。
アメリカなどではお正月になってもまだクリスマスツリーがショーウインドゥのデコを担ったりしていますが、日本にはお正月の風物がちゃーんとあるので大晦日を境に、がらっと風景は一変。
…こちらは天神のパサージュ広場に点灯された巨大ツリーです。

ミニコンサートも開かれてたので、正面のオー・バカナルでカフェオレをいただきつつ、しばし静聴。(こんな時間は東京に戻ると絶対に取れない。あ゛~帰りたくない…)
宿泊中のホテルに戻ってみるとロビーにもこんなツリーがしつらえられていました。

ぼけてる写真でごめんなさい。
実は先月3年も使っていたデジタルカメラが突然壊れたので、
これを購入したのです。

小さなデジカメとはまったく違った写真が撮れるので、
つい欲が出て、なんと一昨日はこちらを買い増ししてしまいました。
(でもこの記事の撮影ソースはやはりケータイカメラ。苦)

カメラはハマると果てしないといいますが、なんとなくわかります。…でもとてもじゃないけどこれらはかさばるし重い…ので持ち歩けず、結局相変わらずスナップショットは携帯電話のカメラ機能に依存してて、結局こんなボケボケの小さな写真になっちゃうんですよね…苦
そのうち傑作をアップします。…が、先に腕をあげなくちゃ。
昔同じニコンのF4というのを持っていたんですが、ちゃんと使いこなせなかった上、同時期に買ったデジタルカメラの便利さに、つい存在すらも忘れて何年も放置していたら、機内にカビを生やしてしまい、カメラのメンテナンスに詳しい方に譲ってしまいました。F4ほどの上位機ではないけれど、今回手に入れたD40は大切に使いこなそうと思います。…さて、二週間だけ使ったオリンパスはどうしよう…苦。
さて話を戻します。何かたのしみなことがあるって、とても大切なことなのかも…と思うのです。かつて2000年の新年が明けた途端、欧州では大変多くの方が亡くなられたそうですが、これは「年明けになくなられた」のではなく、ミレニアムをたのしみにしていた方たちが安堵したのが新年だったということだそうですよね。ハロウィンのあと、すかさずツリーに、ツリーの後は間髪なく門松にシフト…というのは、理に適った気持ちの高揚手法かもしれません。先日あるお医者様から伺った話をご紹介しましょう。…その方がまだ病院の当直などもされていた頃、当直のその日に限ってお亡くなりになる方が多く悩んでいたところ、婦長さんが「先生の当直の日まで生きて待っておられたのですよ」と教えてれて霧が晴れられたとか…。
生きる気力ってそういうものかもしれないと思いました。また他人にとって自分自身がそんな対象でいせれることが出来ればとも。
「生きる」までは切羽つまらないまでも、QOLには大きく「楽しみ」は関与するようです…。今心因性障害のある方のケアについての依頼がいくつかあって、改善プログラムなども作っており、(夜の[アロマセラピーの会社]のお仕事のほうですが、)施術そのものは勿論、施術の日をたのしみに待つことで、欝に悩まれている方の日々の過ごし方もがらりと変わることに気づかされました。
プログラムは、意識的に施術スパンを少し長めに設定し、「自分で出来ること(セルフケア)」の道具だけをセラピストさんはお部屋に置いてきます。そして、楽しみな予定を書き込むためのカレンダーも。幾つかのそうした小道具を使いこなせているかどうかで、その方の改善の度合いがはかれるのです。(当然施術がお好みに合っていた場合に限られることですが)
反応はすぐに見られました。次の施術までの一週間、まったく覇気もやる気もなかった方が、自主的にアロマポットにお湯を張り、精油を焚かれたそうです。院内の別の方にもお話や説明もされたみたいで。(自分の状況を自主的に説明するというのは、既に欝ではありませぬ…w)カレンダーには次の予定がしっかりと書き込まれ、そのために必要なヘアバンドなどのお洗濯もご自分でなさり…なんとパイル地なのにアイロンまでかけて。
「たのしみなこと」は、ただたのしみにするだけでなく、それに関連するアクションをとるきっかけになるんですね。好ましいことのために自主的に前向きに動こうとする心のチカラ…これはまさしく生きる気力の原動力そのものでしょう。
…そんなことを思うさなかに垣間見た、気の早い街の季節の模様替えでした。勿論街のデコレートは企業のマーケティングの一つであることには違いないのですが、こうしたことがこの社会の日常の中に散りばめられていることに、誰にともなく感謝をしてしまうのでありました…。
何か「次」の楽しみがあるって、わくわくしますよね。
アメリカなどではお正月になってもまだクリスマスツリーがショーウインドゥのデコを担ったりしていますが、日本にはお正月の風物がちゃーんとあるので大晦日を境に、がらっと風景は一変。
…こちらは天神のパサージュ広場に点灯された巨大ツリーです。

ミニコンサートも開かれてたので、正面のオー・バカナルでカフェオレをいただきつつ、しばし静聴。(こんな時間は東京に戻ると絶対に取れない。あ゛~帰りたくない…)
宿泊中のホテルに戻ってみるとロビーにもこんなツリーがしつらえられていました。

ぼけてる写真でごめんなさい。
実は先月3年も使っていたデジタルカメラが突然壊れたので、
これを購入したのです。

小さなデジカメとはまったく違った写真が撮れるので、
つい欲が出て、なんと一昨日はこちらを買い増ししてしまいました。
(でもこの記事の撮影ソースはやはりケータイカメラ。苦)

カメラはハマると果てしないといいますが、なんとなくわかります。…でもとてもじゃないけどこれらはかさばるし重い…ので持ち歩けず、結局相変わらずスナップショットは携帯電話のカメラ機能に依存してて、結局こんなボケボケの小さな写真になっちゃうんですよね…苦
そのうち傑作をアップします。…が、先に腕をあげなくちゃ。
昔同じニコンのF4というのを持っていたんですが、ちゃんと使いこなせなかった上、同時期に買ったデジタルカメラの便利さに、つい存在すらも忘れて何年も放置していたら、機内にカビを生やしてしまい、カメラのメンテナンスに詳しい方に譲ってしまいました。F4ほどの上位機ではないけれど、今回手に入れたD40は大切に使いこなそうと思います。…さて、二週間だけ使ったオリンパスはどうしよう…苦。
さて話を戻します。何かたのしみなことがあるって、とても大切なことなのかも…と思うのです。かつて2000年の新年が明けた途端、欧州では大変多くの方が亡くなられたそうですが、これは「年明けになくなられた」のではなく、ミレニアムをたのしみにしていた方たちが安堵したのが新年だったということだそうですよね。ハロウィンのあと、すかさずツリーに、ツリーの後は間髪なく門松にシフト…というのは、理に適った気持ちの高揚手法かもしれません。先日あるお医者様から伺った話をご紹介しましょう。…その方がまだ病院の当直などもされていた頃、当直のその日に限ってお亡くなりになる方が多く悩んでいたところ、婦長さんが「先生の当直の日まで生きて待っておられたのですよ」と教えてれて霧が晴れられたとか…。
生きる気力ってそういうものかもしれないと思いました。また他人にとって自分自身がそんな対象でいせれることが出来ればとも。
「生きる」までは切羽つまらないまでも、QOLには大きく「楽しみ」は関与するようです…。今心因性障害のある方のケアについての依頼がいくつかあって、改善プログラムなども作っており、(夜の[アロマセラピーの会社]のお仕事のほうですが、)施術そのものは勿論、施術の日をたのしみに待つことで、欝に悩まれている方の日々の過ごし方もがらりと変わることに気づかされました。
プログラムは、意識的に施術スパンを少し長めに設定し、「自分で出来ること(セルフケア)」の道具だけをセラピストさんはお部屋に置いてきます。そして、楽しみな予定を書き込むためのカレンダーも。幾つかのそうした小道具を使いこなせているかどうかで、その方の改善の度合いがはかれるのです。(当然施術がお好みに合っていた場合に限られることですが)
反応はすぐに見られました。次の施術までの一週間、まったく覇気もやる気もなかった方が、自主的にアロマポットにお湯を張り、精油を焚かれたそうです。院内の別の方にもお話や説明もされたみたいで。(自分の状況を自主的に説明するというのは、既に欝ではありませぬ…w)カレンダーには次の予定がしっかりと書き込まれ、そのために必要なヘアバンドなどのお洗濯もご自分でなさり…なんとパイル地なのにアイロンまでかけて。
「たのしみなこと」は、ただたのしみにするだけでなく、それに関連するアクションをとるきっかけになるんですね。好ましいことのために自主的に前向きに動こうとする心のチカラ…これはまさしく生きる気力の原動力そのものでしょう。
…そんなことを思うさなかに垣間見た、気の早い街の季節の模様替えでした。勿論街のデコレートは企業のマーケティングの一つであることには違いないのですが、こうしたことがこの社会の日常の中に散りばめられていることに、誰にともなく感謝をしてしまうのでありました…。