夏木とShall we talk !? 

言葉は心の使い。1000回(2013年12月21日)を超えて。

再び、奇跡の仔を抱いて・・・ ~ありがとうの言葉にかえて~

2011年04月30日 | Weblog
 氷雨と紛う冷たい雨が降り続く夕方、破れた段ボールのなかで、
凍えそうになりながら鳴いていたマリー。

 氷のような体をバスタオルで包み抱いて寝た。夜明け頃、温かみを
感じたとき、ほっと安心した。それからミルクを飲ませ育てた。

 マリーが来て10ケ月くらい経ったころ、大怪我で入院した。
痛みは感じなかったけれど、名状しがたい苦しさでベッドの上で
もがき続けた。

 ある日、 ふ~っと朱色の世界の温かさ心地よさに誘われ、
起き上がろうとするとマリーが飛び出して行く手を遮られ
正気に戻った。

 ほどなく冷水を浴びたような感触のなか猛烈な吐き気に襲われ、
何度も胃の腑をよじった。

 濃緑色のドロドロの内容物まで間断なく吐き続け、数日間苦しみ抜いて
生還した。

 それから10年、後遺症はあるけれど、日常がおくれていた。
それがちょっとした気の緩みか、転んで首に負担をかけた。

 即、病院に駆け込み、大過なさそうなのでほっとしたけれど、
その痛みと、首に感じる負担、頭の重さにあの日がよみがえった。

 痛みと後悔に眠れぬ夜にもまどろみは来た。明け方頃、生温かい息を
首筋に感じた。毛布のなかにひんやり、でも温かい何かが入ってくる。
痛みがやわらいだ。

 そのまま寝たようだ。朝、随分と楽になっていた。
 マリーの幻に助けられたようだ。

 マリー!呼ぶと尻尾を振ってきてくれた。抱きしめると窮屈そうに目を細めた。

                                   ~~~夏木 友~~~
                                   火・木・土に更新しま~す

正義の味方はどちら?… ~あなたなら!?~

2011年04月28日 | Weblog
 立っている乗客が大勢いるロマンスシートの車内、三人連れの
女性客の横が荷物で占められている。

社会人らしい青年が、席を空けるように話しかけた。すると、
「ここは次の駅から乗る身体の不自由な人のためにとっています」と。

青年は続けて、
「電車はあなた方だけのものではありません」

 女性たちは顔を見合せた。先ほどの女性が何か言おうとして
口を開きかけた時、もうひとりの女性が自分の席を譲るから、
と言葉をはさむ。

 青年はそこへ座ると静かに本を読みはじめた。

 次の駅からお仲間と思われる女性が乗り込み、譲ってもらった席に座り
一件落着…。

…と、近くに座っていた若い女性が、連れの男性を促し立ち上がると、
女性グループに向かって、
「ここの座席へ、どうぞ」

1、満員に近い車内で高齢の仲間のために、早くから座席を占める
  元気そうな六十代後半の女性陣。

2、そのグループに席を譲ろうとした若い女性。

3、黙って彼女に従った彼。

4、心なしか居心地が悪そうに感じられる青年。

 夏木は4の青年に拍手…なんですが……思いやりにかけている!?

                                ~~~夏木 友~~~
                                火・木・土に更新しま~す

魅せられて・・・ ~ハープの調べ~

2011年04月26日 | Weblog
 春爛漫の京都、天使の音色を楽しんできました。
ハープの歴史は古く、エジプトやメソポタミヤの壁画、
聖書やギリシャ神話にも登場。

 起源は狩人の弓ではないかと考えられているそうです。

 当日はサウルハープ、アイリッシュハープ、グランドハープ…
たおやかな曲線を描く竪琴がふたりの奏者によって奏でられました。

 一番小さいサウルハープは戦場でラッパのように使っていたと、
説明があったためでしょうか、ビショップの『埴生の宿』が演奏されたとき、
目頭が熱くなりました。

 アイリッシュハープは中型で、フックで音程を変えられるそうで、日本の古謡を。

 筝は空間に張られた1本の蜘蛛の糸に水滴が触れたときに聞える音。
ハープはその糸が振動したときの振幅音・・・そんな印象でした。

 夏木はどちらにも惹かれますが、揺れる弦の響きが肌に触れる感覚は
筝のほうが馴染むような…。

 7本のぺダルで音程を変えるグランドハープ。ヨハン・シュトラウス、
バッハと続き、ヒンナー、プレス、シェッカー…

 夏木にはあまり聞きなれないのですが、ハープ演奏曲の作曲家として
有名なのだそうです。

 でも、このあたりになってくると、ハープの魅力がたっぷり。
ステップを踏みたくなったり、昔行ったことのあるエジンバラ郊外の
風景を思いだしたりetc.etc.

 その国で生まれた楽器はその国の音楽がよく合っているのでしょうね。
 ケーナを聴いたときも、写真でしか知らないマチュピチュを見たような
錯覚をしましたから。。

 オーケストラもいいけれど、室内音楽大好き夏木でした

                                  ~~~夏木 友~~~
                                  火・木・土に更新しま~す

紫式部ゆかりの御寺は・・・ ~浅井三姉妹ゆかりの寺院~

2011年04月23日 | Weblog
 平安の昔、紫式部が7日間参籠し『源氏物語』を起草したという石山寺。
清少納言や和泉式部etc.etc....女流文学者に愛された寺院も、
戦国時代、兵火により荒廃。
 
 それが慶長七年(1602)、浅井三姉妹の長女淀殿(阿茶々)の普請により
現在の石山寺の姿となったそうです。

 いつでしたか、以前訪れたときには気が付かなかったのですが、
本堂に茶々さまが現世と来世の安楽を願い、再興されたと記された
扁額が掲げられていました。
 
 茶々さまは祖父、父、弟達、実母、継父を討ち取った信長の配下、
秀吉の御台所(当時は側室、愛妾は存在しない)として生き、
妹、江の子を猶子として育て嫁がせた後、1615年、江の婚家、徳川の
大坂攻めにより秀頼と共に城内で自刃(享年49歳説が有力)。

 江と秀忠との娘は、和子(まさこ)と御所風に名を変え、後水尾天皇に嫁ぎ、
実子が明正天皇となり、和子は国母となります。

 同じ立場の平徳子は国母となりながら壇ノ浦で我が子を失い、寂しい晩年を
送りますが、和子は上皇となった帝のため修学院離宮造営の多大な経済的援助を
徳川家から引き出すなど、紆余曲折、辛酸の末であったと推察されますが、
おふたりの余生は睦まじく平安であった、と言えるのではないでしょうか。

 当日は浅井家初代、亮政公の手厚い信仰対象であったご本尊如意輪観世音菩薩さまの
拝観は叶いませんでしたが、茶々さまご寄進の御前立さまに拝することができました。

 ふっくらと柔和なお顔に漂う微笑は、脈々と続いた天下取りの覇者は浅井家か、
それとも徳川家か、などは無縁。

 一期一会を大切に穏やかに過ごせることが至福、と諭しておられるようでした。

                                       ~~~夏木 友~~~
                                       火・木・土に更新しま~す

天使になる日は・・・ ~天使になれる日。。~

2011年04月21日 | Weblog
 朝まだ明けきらない田舎道を猛スピード走り抜ける。
涙がとめどなく流れフロントが見えづらくなるとスピードを緩め、停車。

 人影のないのを見定めて車の陰で小用をすませると、
朝露のおりた葉っぱで手をぬぐう。

 「姑が寝入ったら1分でも早く、1分でも長く家を離れていたい。
そんな気持ちがトイレをすませてから、ということすらしない。

 そんな毎日の繰り返しでした」・・・淡々と話された60代後半の知人。

 それがあるとき、「私は天使、天使になろう」と決心されたそうです。
姑がどんなことを言っても「はい。はい」 どれだけ粗相をされても
「はい。はい」「私は天使。白衣の天使。偉い、偉~い天使さま」と、
胸の裡で繰り返し続けられたそうです。

 姑、夫と見送られ、落ち着かれたのでしょうか「壁紙を張り替えて、
応接セットをいれようと思うのよ」と、黙って頷くと「遊びにきてね!
やっと言えるわ」と笑顔が少し。

 中国二十四孝の教えは現代にそぐわない。公的機関の充実と
それを利用する側、させる側の意識に乖離のないことを切に切に・・・。

 お疲れさまでした・・・大きな声で言ってあげたかった。。。

                            ~~~夏木 友~~~
                            火・木・土に更新しま~す

お便りしてもいいですか・・・ ~それとも、そっと。。。~

2011年04月19日 | Weblog
 きついお叱りのメ~ルをいただきました。はっとすると同時に(・・?と。
急いで前回の受信メ~ルとそれに夏木が送った返信を読み返しました。
 
 この内容に対する返事になぜ?と思いましたが、文字による
往復書簡はいけないと、配慮不足をお詫びするメ~ルを送りましたが、
返信はありませんでした。

 次回の連絡をきちんと受けていなかった夏木は、再度メ~ルするべきか
否か迷い続けたまま当日を迎えました。

 会場に着くと、先に来て座っていたその人と目が合いました。
会釈して通り過ぎようとした時、隣の席を空けてくれました。
「ありがとう。」と言って座りました。

 講義中はお互い終始無言。終了後、夏木は化粧室に行くため、
「お先です」とだけ言い残し、急いで離れました。

 玄関の外で硬い顔して立っている彼女に気がつきました。一呼吸…
にっこりすると彼女の顔がわずかに動いたようにみえました。

 靴を履いている間も彼女は立ち去る様子がありません。
夏木はぎゅっと力を込めて靴ひもを締めると彼女のところまで
走り寄りました。

 夏木のどの言葉が、それともあれはお叱りメ~ルではなかったのか、
何が彼女との間の障壁になったのか、お互いが話題にださないので
今も不明です。

 それで、いいえ、その方がいいとお互いが暗黙で了解しあっているのだと
思います。

 言葉は相手を生かしも殺しもする。信頼というだけで解決できることは
そう多くないと夏木は思います。

 顔の見える相手だから乗り越えられた危機、そんな気がします。

                               ~~~夏木 友~~~
                               火・木・土に更新しま~す

長文が書けなくなる!?・・・ ~短文文化の国だけど…~

2011年04月16日 | Weblog
 友人のひとりがTwitterにはまって、日になんどもつぶやいているらしい。
その友人が「最近、長い文章が書けなくなって…」と言っていました。

 長文を得意としていた彼女がわずか1年経たずして、それが
億劫になってきた、と聞き驚いています。

 日本には自分の思いや考えを17文字や31文字で表現する
俳句や短歌という文化があります。

 制限字数、140字のTwitterのほうが、はるかに多いですが、それらの言葉は
果たして熟慮考察され尽くしているのでしょうか。

 趣旨が違うのだから比べることは正しいことではないかもしれないですが…。

閑話休題
 先日、ある漢字が使えなくて問い合わせると、問合せ先では
夏木と同じPC、バージョンでは反映していると言われました。

 夏木のパソコンでは『助v』となっていますが、と再度、尋ねると
「PC環境のせいでしょう」と言われました。

 仕方なく“かな”で入力しましたが、漢字変換できなくては
意味をなさない場合もあります。

 魂が宿るといわれる言葉が、心の通わない記号になってきたように
思えてならない夏木です。

                             ~~~夏木 友~~~
                             火・木・土に更新しま~す

古漬けの味は・・・ ~ほろ苦く~

2011年04月14日 | Weblog
 友人が胡瓜と青菜の古漬けを持って遊びにきてくれた。
漬物大好き夏木にはうれしい到来物。

 白ごまがふられたお漬物は、少し水で酸味を晒してから、
醤油をたらして頂いた。
 美味しい!!ご飯をお代わりした。

 夏木は小さい頃、祖母が丹精をこめて作ったお漬物が大好きだった。
古漬と生姜をみじんに切って白ごまと一緒にご飯に混ぜる。
それを甘目に焚いた厚めお揚げさんに包む。

 古漬けの酸味と生姜の辛味、胡麻の香ばしさは甘辛いお揚げさんと
絶妙のハーモニーで夏木の大好物だった。

 母も食事の支度はしていた。が、夏木の記憶におふくろの味はない。
覚えているのは糠味噌くさいことが嫌いだった母が、生涯フランソワ・コティを
愛用したこと。
 祖母は糠袋を使っていたのだろうか…。

 友人がくれた古漬け、まだ、半分ある!
 
 祖母流おいなりさんに挑戦してみよう!!

                  ~~~夏木 友~~~
                  火・木・土に更新しま~す

あなたは今、花なの・・・ ~ご縁があって京のまちで~

2011年04月12日 | Weblog
 苔生す山門を入り、砂壇を過ぎると此処は浄域、と
周囲の風が耳元で囁く。

 諸行無常・・・万物は常に変化して少しの間もとどまらない。
なのに、拘りを持つ、執着する、が、生きることを難しくしている。 

 断ち切れないとき、広辞苑を力いっぱい投げつけます、何度も…。
そう公言されている作家がおられる・・・これなら夏木にもできる、
それで断ち切れるかどうかは別として。。

 生きていること自体が他のいのちに支えられている・・・
毎日の食事を通していただくいのちは自分のなかで重なりあっています。

 これも何処かで?・・・野菜のいのちも牛馬のいのちも変わらへん、
私はそう思うてます、と麩屋町にある食事処のご亭主が。

 ・・・私は今。。。

                             ~~~夏木 友~~~
                             火・木・土に更新しま~す

モリオウ貝はどんな貝!?・・・ ~如是我聞!!~

2011年04月09日 | Weblog
 森鴎外、はじめての小説『舞姫』は鴎外自身のドイツ留学の
体験を下地に描かれたといわれています。

 青年官吏の悲運の恋人、エリスのモデルは誰なのか。
26歳の鴎外を追って横浜にやってきた女性の名が酷似しているくらいで、
決めてのないまま今日に至っているようです。

 仮に、その女性がエリスだったとすれば、人の心、それを取り巻く環境は
非情ですね。

 最近読んだ『韃靼の馬』もそうでした。藩命に翻弄されたふたりが15年後に
再会を果たしたとき、男性には妻子、女性は未亡人で一児の母。

 藩から刑死と伝えられた恋人が生きて目の前に。けれど、藩命を終えた彼は
日本人であったことを否定するのか朝鮮語しか話さない。

 私的な会話もなく、見つめ合うことすらない。
ふたりの胸中を刺し貫いていった氷矢は融けることなく痛み続けるのでしょうか。

舞姫から・・・
 豊太郎は日本に帰国する。「相沢謙吉が如き良友は、世にまた得がたかるべし。
されど我が脳裡に一点の彼を憎む心、今日までも残れりけり。」 
……豊太郎の心からの呟きであった。

・・・鴎外の前途を憂う、親友の配慮。それをありがたいと思いつつも…。
この鴎外にあってさえ苦渋の決断だったのでしょう。

 安野光雅画伯が昨今の女子高生はモリオウガイを知らないのでは!?
と書いておられた。

 どんな貝なのかしっかり探究して心の糧にしてほしいものですo(^-^ )o

                                   ~~~夏木 友~~~
                                   火・木・土に更新しま~す