これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

天国の母へ2

2016-03-11 20:22:11 | 日記

天国は慣れましたか?

母が亡くなる前に仕事の面接をしました。

亡くなってから勤め始めました。

しかし、建築設計事務所だったのですが、いきなり、通い始めて5日後には給料が払えないからと解散になり、仕事を失いました。

ハローワークに行って、違う仕事ですが、急いで紹介状を書いてもらい、不動産会社に仕事が決まりました。

本当は自分で仕事を始めたかったのですが勇気が出なくて、勤め人になることにしました。

なんだか、母が生きていた時に、私が独立の準備をすると必ずと言っていいほど、具合が悪くなり準備を中断することが重なり、やるなということなのかな?と思うほど都合が悪くなりました。

今の仕事は、社員さんが長続きしないと有名なところなのでなにかはあるのかなと思います。いつまで長く勤められるのかは不安はありますが、とにかく頑張るね。

あの世で見ていてください。

また報告しますが、今日はここまで。

何しろ休みが木曜日と金曜日だから、ゆっくりしたときにしか書かないかもしれません。ごめんね。


天国の母へ

2016-03-10 18:55:26 | 日記

一緒に生活しても良い?と私が言ったのはちょうど4年半前でしたね。九月のことです。

良いよーって喜んでくれましたね。

私はまだ主人が亡くなって一年しかたっていなかったので、家を離れて母と暮らすには気が引けましたが、緊急を要する事態でしたので母の所に行く決心をしたのですよ。

震災後、三か月間は東京の姉の所にいて、ひどい目にあったといってましたね。

6月に自分の家に帰ってからは、近所の人にパンばっかり食べさせられたといってましたね。

私にも姉はひどいと言ってましたね。

確かに東京に行ってた時にはどこにも行けず、姉は仕事が忙しく、母の面倒は満足に見れなかったかもしれません。

でも、姉は、東京のマンションに母を置いて、知らない街のどこかに行ってしまわないように閉じ込めてしまうしかなかったのですよ。

しかも,母が東京に着いて4日後に孫が生まれて大変だったのですよ。

本当に、だれが悪いのだとかはないのに、みんな大変な思いをしましたね。

姉と母は一緒にはいられずに、三か月で震災の傷跡が残る地域のある家に帰ってきてしまいましたね。

幸い、家も無事で、原発の影響もなく、住むことができました。

震災があったことは、きれいさっぱり忘れていましたね。

明日で〇五年がたつのですよ。

あの世で、そうだったのかと、納得していることと思います。

今日は、あなたの愛するお父ちゃんの誕生日ですね。

あの世で会えましたか?

一番かわいかった末娘にもあえましたか?昨日は命日だったので、お墓に行ってきましたがわかりましたか?同じ9日という月命日だから、おかげで、お墓に忘れずに行くことができます。忘れたことはなかったですがね。いつもひとつ違いの妹のことは忘れたことはなかったです。

自分の母上と父上にはどうですか?

兄姉にはどうですか?

私はあなたの姉じゃなく、あなたの次女だとやっとわかったかと思います。

私は10月30日にあなたのもとに戻ってきました。

仕事は転勤という形で。。。。

でも、仕事にならなくて、辞めて別の仕事をしましたが、やっぱり仕事に影響が出て仕事を辞めましたね。施設には預けないでいたからですが、それでよかったと思っていますよ。

さあ、まだまだ報告することがありますが、、、

きょうはここまで。


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。