【世界は常に欠けている】の眼鏡をはずしてみた
はずしてはみたものの
色々なところで
欠けていると言う自分を目にしてきた。
何かを褒められても
「いえいえ、たいしたことないです」とか言ってしまう自分。
パブロフレベルで答えてしまっている。
最近は、そんな自分に気づくと
あわてて
「やっぱりそうなんですよ」って前言撤回をするようにしています。
もちろん
笑顔つきの「ありがとうございます」も添えてね。
そういう感じで続けてきたら
気づいたことがありました。
欠けている自分を受け入れてしまうといい!
凸凹しているのが自分です。
苦手なことがあっても
できないことがあっても
自分で気に入らないように感じるものがあっても
もちろん
自分のお気に入りのものも全部ひっくるめて
それが今の自分
世界に一人だけの自分
まあ
絶対に凸凹だらけだと思うけど
良い悪いとか好き嫌いとかじゃなくて
それが自分だと受け入れてしまう
そうすると
結構楽になると思いました。
そこがスタートラインになるからね。
凸凹の自分の凹んだ部分に目を向けてしまうと
0(ゼロ)ではなくマイナスの印象になっているのだから
マイナスからスタートすることになる。
始める前から気が滅入ってしまいますよね。
でも
凸凹全てをゼロと見なして
スタート地点ととらえてしまえば
1歩や2歩くらい動いただけでも
前に向かって進んだことになります。
というよりも
凸凹しているのだから
もっともっと凸凹にしていけばいいのですね。
一人一人みんな違いますので
自分なりの凸凹を
自分なりに楽しめると良いなと思いました。
と
ここまでは1ヶ月前くらいに書いたけど
自分の中でしっくりこなかったのでアップしなかった。
1ヶ月経って
読んでみると
何にしっくりこなかったのか
すでに意味不明になっている😭
別に自分が感じる違和感はない。。。ような気がする
だから
不思議というか面白いですね。
同じ自分なのに
こりゃ記事としてアップできないってくらいの違和感を持っていた自分と
全く同じものを読んでみて違和感を持たない自分がいる。
時間は色々な問題を解決してくれる
みたいな言い方があるけれど
この言い方が完全にあってるかどうかは置いておいて
時間が経つと
たしかに
その時の感情が変わっているし
自分の経験も増えているし
もしかしたら環境も変わっているかもしれないし
同じ人が見るけど
視点が変わるのですね。
視点が変わると
判断も変わったり
大事にする価値が変化していたり
新たな気づきも生まれたりするのかもしれませんね。
実際に
今回の私の場合には時間が経って
見直したら違和感なかったのだから
視点が変わって別人になって読んだとも言えるね。
別の人が読めば、全然違う解釈になるよね。
そう考えると
何かしら行き詰まりを感じた場合には
気分転換したり
一度手放してみたり
リフレッシュしたり
別の行動をしたり
そんな事やった上で
再度その問題に対面すると
道が開けたり
明るい未来が見えたり
する場合が
結構多いのかも知れませんね。
なぜか
苦しい世界にいたがるんだよね。
いつまでも抜け道のない
暗いトンネルの中に
好き好んで身を置いている感じがします。
言い方違うかもしれないけど
悲劇のヒロインを味わっているのかな?
人間は(自分の場合かな?)できないとか苦しいとか行き詰まり感持っている時間をそれなりに楽しんでいるのかもしれませんね。
今まで何回も書いてきたけど
怒り💢最高潮の時に
車の中とかで
言いたい放題言っている時って
多分どこかではスッキリしているというか楽しんでいるんだろうね
それと似ていて
苦しんでいたいのかな?
それとも
進みたくないのかな?
進みたくないというか
変わりたくないっていう思いも強いのかもしれないなあ
とにかく
今回この一度お蔵入りさせた記事にたどりついたのは
全く違うことを
書こうとしたのだけど😱
なんか
思ってもみなかった別のことが
突然芽生えて
暴走した感じで
一気に書いてしまいました。
いいプレゼントをもらったという姿勢でいます。
何していいか分からない
全然進んだ感じがしない
手応えつかめない
などで
悶々とする場合があったら
一旦別のことをやるのがいいんだということが分かりました。
もう
絶対にそうしよう。
悶々をスキになっている時間を
別のことに使います。