誰かの行為や行動を
「余計なおせっかい」だととらえると、
その人に対する怒りやら文句やら理解できないという思いやらが
心の中に渦巻いてしまう。
でも
誰かの行為や行動を
「親しみとか親切」という感じでとらえると
その人の行為や行動への思いや意図を温かい気持ちで
見つめようとする。
どちらも全く同じ場面で
どちらも全く同じ人が
どちらも全く同じ行為や行動をする。。。
でも
自分が
どう受け取るか
どう感じるかで
全く異なる。
そして
ここから先の展開が
さらに大きく異なっていくのです。
「余計なおせっかい」と受け取ってしまうと
モヤモヤとかイライラする感じが心の中に渦巻いて
そのドロドロした世界に自分が入り込んでしまいます。
心を閉ざした世界ですね。
一方
「親しみや親切」と受け取ると
その人の行為や意図を温かい思いが広まって
心が開放されます。
すると
相手とのコミュニケーションにつながります。
「ありがとう」
「そうやってもらえると私はうれしい」
「私それ思いつかなかった」
などの言葉を発すると
その言葉に対する周りの人からの反応が生まれてきます。
そういう反応を見たり
交わされる言葉を聞いたりすると
新しい気づきや学びにつながったり
周りの人に対する理解が深まったりします。
自分がどんな未来の展開をのぞむのか
自分が周りの環境とどんな関係を持ちたいのか
自分の願いが叶っているのだと思いました。
心を閉ざす自分をのぞんでいるから
「余計なおせっかい」という感覚を持ってしまう。
心を開放して周りの人と楽しくコミュニケーションしている自分をのぞむから
「親しみや親切」という感覚を持つ。
結局は
自分が何を願っているかで
思い通りの人生になっているということなのか
と
思いました。
その場その場で
色々な感情を抱いているのも
そういう体験をしたいという自分の願いが叶っているということなのです。
今日一日、色々な人とたくさん話している中で
見えてきました。