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N響アーカイブス講究

N響の演奏を中心に資料を紹介します。

N響を育てた指揮者 クルト・ウェス

2020-03-14 00:00:00 | N響・ザ・レジェンド
N響を育てた指揮者 クルト・ウェス(2020年3月14日放送)


(N響LP輝ける60年の軌跡 付随冊子から)

「1951年より10年間のN響の思い出」より
1953年に特筆すべき事は、有名なワルター・ギーゼキングとの共演であった。これこそ本当の大家という感じで、すばらしい記憶に残る名演奏であった。ブラームスのコンツェルトに長いチェロのソロがあり、小生、その打合せに演奏前に楽屋に行った時、若い指揮者のウェスが、すっかり緊張してあがっているようで、盛んにギーゼキングから「落ちついて落ちついて」といわれているのが大変面白く印象に残っている。さすがあれほどの大家になると、ソリストの方が指揮者より格段上だなと感心した。今までのローゼンシュトックは絶対の権威を持って、 どんな独奏者にもいろいろ注文をつけ、意見が合わないとしばしば争いになり、独奏者をおろした経験を見てきた私には興味深かった。

(N響チェロ奏者 常松之俊著。N響LP輝ける60年の軌跡 付随冊子から)

怒鳴られたウェス
そのクルト・ウェスに、 1年目はみんなびっくりしたが、2年目になると、ウィーンの田舎指揮者の地がわかってきた。
52年8月、木管の強化のために、外国の演奏者をむかえることになった。ウェスのコネで、ウィーンからそろって23歳の若手であるクラリネットのロルフ・アイヒラー、オーボエのユルク・シェフトライン、ハープのヨゼフ・モルナールが客演奏者としてやってきた。おなじとき、コンサートマスターに、パウル・クリングも招かれた。
4人は、それぞれ、日本の学生や若手に近代的な奏法を教えた。いまの現役の演奏者で、かれらに師事した人は多い。そのなかでもモルナールは、契約が切れても帰国せず、日本に残った。いまは、日本ハープ協会の会長で、まだ、室内楽などで弾いている。
ウェス来日1周年の演奏会は、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」だった。冒頭の有名なメロデイは、基本的には2拍子だ。それを、ウェスは4つに振った。
オーケストラでは、木管のオーボエとクラリネットは、第ニバイオリンとヴィオラのうしろ、指揮者の正面にすわっている。ウェスの棒をみると、アイヒラーはクラリネットをたたきつけて怒鳴った。「それで指揮者か。ウイーンにかえれ」。日本人の全員がドイツ語を理解したわけではないが、ウェスの失敗はわかった。それまでの権威はすっかり失われた。

(「オーケストラの人々」原田三朗著 筑摩書房から)