常任指揮者によるベートーベン(2020年1月18日放送)
1956年ジョセフ・ローゼンストックの演奏
1956年12月13/14/15日
第380回定期公演~日比谷公会堂
ベルリオーズ「キリストの幼時」
独唱:小野邦代 五十嵐喜芳 大橋国一 築地利三郎 友竹正則 合唱:国立音楽大学
1957年 N響メンバー
ベートーヴェン作曲「ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」」
(ピアノ)ワルター・ギーゼキング
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)クルト・ウェス
(1953年3月21日日比谷公会堂)
指揮者クルト・ウェスがギーゼキングと共演した際のエピソード
(原田三朗著「オーケストラの人々」筑摩書房刊より)
振りそこなった協奏曲
それにつづく春のシーズンの53年3月、ピアノのウォルター・ギーゼキングがN響に出演した。定期ではモーツァルトの23番と※ベートーベンの第2協奏曲を弾いた。
2回の特別演奏会では、グリーグとベートーベンの4番、5番、それにラフマニノフの2番という、ボリュームのあるプログラムだった。
演奏会では2曲ずつだが、本番の日程がつまっているから、練習は一回に4,5曲のコンチェルトをまとめてやることになる。
ベートーベンの5番「皇帝」の練習をやったとき、カデンツァのおわったところで、ウェスの棒が出られないことがあった。
カデンツァは独奏者が自由に演奏する。そのあいだ、オーケストラはやすんでいる。カデンツァがおわりそうになったら、指揮者は団員に合図して準備させ、オーケストラの出るところで、ピアノにあわせて指揮を再開するという手順になっている。
ところがウエスの棒がもたついて、オケがうまく出られない。いらだったギーゼキングは、「おまえは棒を振るだけで、オーケストラが音を出すんだ」と怒鳴った。結局、オーケストラは指揮者にかまわず、 コンサートマスターの日比野の合図をみて出た。
※「ブラームス第2協奏曲」の誤り
1953年N響メンバー
1959/1960年ウィルヘルム・シュヒターの演奏
1959年12月14/15/16日
第410回定期公演~日比谷公会堂
チャイコフスキー「悲愴」
1959年12月25/26/27日
ベートーヴェン「第九」公演~日比谷公会堂
独唱:伊藤京子 太田宏子 宮本正 伊藤亘行 合唱:武蔵野音楽大学
1960年1月18/19/20日
第411回定期公演~日比谷公会堂
マルタン「7つの管楽器のための協奏曲」
独奏:fl.吉田雅夫 ob.川本守人 cl.三島勝輔 fg.三田平八郎 hr.千葉馨 trp.金石幸夫 trb.嶋昇
1960年4月11/12/13日
第414回定期公演~日比谷公会堂
ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」
ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」 pf.園田高弘
1960年5月11/12/13日
第415回定期公演~日比谷公会堂
ブラームス「交響曲第1番」
ブラームス「二重協奏曲」vn.潮田益子 vc.堤剛
1960年6月13/14/15日
第416回定期公演~日比谷公会堂
R.シュトラウス「英雄の生涯」
シューマン「ピアノ協奏曲」pf.松浦豊明
1960年11月22/23/24日
第417回定期公演~日比谷公会堂
ラヴェル「ボレロ」
1960年N響メンバー