【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

付記4d: 跳ぶンだ!

2024年03月01日 | 歴史
 
 
アメリカの軍用機の中は暗かった。私たち幼児は(全員が皇室関係者の子供だったが)、飛行機が離陸すると、数分も経たないうちに座席から立たされて、乗降口辺りへ連れて行かれた。
 

眼前の金属製ドアは、突然、重い音を立てて、開いた。
まるで開闢の門戸が開くように、暗闇に極細い光線が射し込み、それが徐々に幅を拡げて行くと、子供らの身体は一斉に眩い光に満たされた。
その光の中に、小さな男児の影が二つあって、一人はしゃがみ、一人は立っていた・・・ように覚えている。
そして、立っていたほうの子供が、何物かにとり憑かれたように、大きく口を開けた乗降口へ歩み寄り、そのまま虚空へ転がり落ちて行った。
風が激しく渦巻いていた。
 

「落ち、た・・・」 四歳の私の声はエンジン音にかき消された。女の米兵が走り寄って来て、乗降口から半身を乗り出して下方を覗き込み、英語で早口に何か叫んで、それからまた後方の暗がりに戻った。金属音とともにドアが閉じられた。
落ちた・・・ みたい・・・ しかし、私の声はもう出なかった。
 

米軍は、最初、「事故」だと宮内庁へ説明した。「男児は、飛行機に乗り込む直前になって、厭だと駄々をこねたので、一人だけ乗せずに離陸した。滑走路付近は自動車の往来もあって、不幸にも事故の可能性は否定できない」・・・
 

この後も、私は何度か米軍機に乗せられた。それが当時のアメリカの国策だったのだろう、天皇と関わりのある子供に一種の恐怖心を植え付けておくことが、将来の米日関係において最も有効と考えられていたのだ。
一度、開け放たれた乗降口の前に立たされた私に、若い米兵が「ジャンプ、ジャンプ!」と言ったことがある。白人が日本人を蔑称する時の「ジャップ」と掛け合わせたのだろう。私が動かないでいると、米兵は背中を押した。「怖いのかい? 跳べよ。お前はチキンだ。」「Go、Go!」
突然、飛行機が旋回して、機体が傾き、私の体は乗降口のすぐ横の壁にぶつかって、床に倒れた。
ちっ、と米兵が舌を鳴らして、不満そうな顔で睨んだ。・・・
 
 
或る天気の良い日、頭上を、飛行機の爆音が低く近づいて来て、空から白い雨が降ってきた。
畑では丁度、祖父母と母が畝の間に屈んで農作業をしていたが、母が叫び声をあげて、家のほうへ走って来た。
その髪に、白い液体が点々と付着していた。枯葉剤だ。飛び去って行く飛行機の腹に、アメリカの星が描かれてあった。
ベトナム戦争が始まった頃のことだ。