【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

付記1aa: 付記1aの続き

2024年03月02日 | 歴史

 

カナダ大使館に一人だけ置き去りにされた私が、事情聴取を終えて玄関へ出て来ると、高円宮憲仁は自分が乗った車を玄関から離れた車寄せの反対側に停めさせて、私を待っていた。しかし、私はすでに宮内庁へ連絡し、別の一台が迎えに来ていたので、それに乗り込んだわけだが、私が乗った車が動き出すと、後方から憲仁の車がかぶさるように追い越して、前へ出た。こんな有事においてさえ、この男は幼稚な支配者だった。
 
 
それにしても、カナダ大使館という外国の法治下にありながら、皇族の傍若無人ぶりは信じ難いものだった。もし、これが米国や英国の大使館、または中国の大使館であったのなら、どうなっていただろう・・・ 車の中でぼんやり思いにふけっていると、「今日は帰れないかも知れませんよ」と運転手が言った。
 
 
皇居へ着く頃には、もはや私は頭の中で膨張する不安に押し潰されそうだった。憲仁が使用した薬剤はスポーツ選手がよく使う筋肉増強剤だったが、カナダや米国は麻薬が広く横行している国であるし、それにこれらの国では銃の所持や、場合によっては相手を撃っても合法である。
「撃ってもいいのだ・・・」 この事実に至った時、私は幾らか衝撃を受けた。
 

その後、宮内庁では、彼らにとっての最善策として、私自身が麻薬常習者であり、密かに所持していた薬剤を憲仁に勧めた、ということで調査が始まった。その上、護身用銃を撃ったのも私ということにされそうになったが、「一般人が銃を持っているわけがない」と私が言い張ると、結局、憲仁が身の危険を感じて、自衛のために発砲したという筋書きで、ただし、「発砲」の箇所は省いて証言しろ、と脅迫された。軽率な皇族の尻拭いを、宮内庁でもなく皇宮警察でもなく、運悪く居合わせた女にさせるのだ。
職員と言い争っていると、当の憲仁がドアを開けて顔をのぞかせ、「このままでは済まないよ」と捨て台詞を吐いて消えた。
 

その後、私は覚醒剤を注射されてから(髪を抜かれた様な気がする)、自宅へ帰された。が、数日後、再び自宅前で皇宮警察護衛官に襲われて、車に押し込まれた。最初の二日間は高円宮邸に、さらに五日間は場所を移動させられて別荘のような建物に、監禁された。憲仁と高円宮職の侍従と思われる中年男二人は、私が逃げられないように衣服を脱がして下着だけにしてから、私の記憶が煮溶けるまで覚醒剤を打った。
 
 
・・・半裸で、骨が抜けたかの様にくねくねと捻じれている女の体に、注射針を刺している憲仁は、さも嬉しそうだった。一気に薬剤を注入しないで、一針ずつ、ぷすりぷすりと刺しては、気の抜けた悲鳴を上げる私の顔を覗き込んだ。「何処に打とうかな。何処がいい?」そう訊きながら、憲仁はキャミソールの裾から露わに出ている私の片足を引っ張った。その行為はかつての寛仁に似ていた。しかし、私はもう六歳の子供ではなく、相当な年増女になっていたので、反対側の足で相手を思いっきり蹴飛ばしてやった。それから脱兎のごとくベッドから跳び降りて、ドアへ向って走ったのだが、憲仁は予想外の身軽さで私にタックルして来た。そして、床に倒れた私の上へ被さるように乗ると、手に持っている注射器を私の身体の所かまわず刺した。
(この男、病気ではなかったかしら・・・)意識の光が消えては表れる短い時間に、私は考えていた。女の捕え方も縛り方も慣れたものだから、初めての犯行ではないだろう。それでは、私以外の女はどうなったのか? 彼女らは別に損もせず帰ったのだろうか? 
否、否、重要なのは、宮内庁の発表だ。皇族の誰かが病気になったと言っていなかっただろうか? 何も思い出せなかった。
 

一度、ドアが開いて、男が部屋に入って来た。
「いかがでしたか?」と、男はベッドの上で動けずにいる私に訊いた。続けて「何か、召し上がりますか?」と食欲についての質問をした。
監禁されてからいったい何日が経ったのだろう、たぶん私は最初の日にサンドイッチを食べたきりだった。しかし、覚醒剤漬けになった今は、食道が麻痺しているだろう、「いらない」と答えると、男はドアノブに手をかけたまま、「それでは外にいますから、いつでも呼んでください」と言った。(まるで犬みたいに)この男は私が監禁されている部屋のすぐ外でずっと待機していたのだ。「護衛もいますよ」と男は笑った。
 

キャミソールの裾に精液が付着していたが、肝心の憲仁はもはや消えていた。後で、私はその精液が憲仁のものかどうか検査してくれ、と皇宮警察に訴えたが、勿論、検査なんかされなかった。皇宮警察はソレが人間の精液であることは認めたが、「どうやって、ソレをそこに付着させたか?」と私に訊いた
 
 
だが、そんなことより、何より・・・ 重要なことは、先ほど男が部屋を出て行った時、ドアの鍵がたしか・・・ ドアに鍵を掛ける音が聞こえなかった。私はベッドの上で小動物のように息をひそめ、ドアの鍵穴を凝視した。
部屋の中が真っ暗闇になった頃、私はそっと身を起こし、手首に巻き付いている紐を取り去った。ノブに手をやってみると、やはり鍵は掛けられていなかった。 私は意を決してドアを開け、裸足で廊下を走り、暗い壁を手探りで電話を探した。さらに階段を駆け下り、非常用ベルのボタンを探し当てて、押した。まだ少し麻痺している私の耳に、ベルは遠く、小さく、鳴り続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

付記1b: ランチ

2024年03月02日 | 歴史
 
高円宮妃久子は、皇太子妃雅子が私に手こずっていた時、私が監禁されていた東宮御所の一室に現れて、自ら「仲介役」を買って出た。
「外でお話しましょう。」 
まるで、街で揉め事を起こした悪い少年たちが別の場所でオトシマエをつけようと言うようだった。
 
 
久子に連れて行かれたのは都内の軽食専門の飲食店で、私は雅子に撃たれた薬剤銃のせいで空腹を感じていなかったが、促されるままランチを注文した。それを食べている最中に、向い側に座っていた久子が金属製のサリン弾をテーブルの下に落としたのだ。直後、私の体は白煙で覆われ、フォークを持っていた手が霞んで、消えた。店員が警察へ通報し、しばらくすると警視庁のパトカーが駆けつけて来たが、その時には久子は宮内庁職員とともに逃走していた。
一方、ひとり置き去りにされた私の傍で、店員が警官に次のように話していた。
「この人が誰と来たかは、言えない。この人がやったかも知れない・・・」

 

久子の行為は幼稚かつ卑劣極まりないものだ。自分に従わない者を盲目にして放置すれば、帰るに帰れず窮して(もしかすると、泣いて)、家に帰して欲しいと懇願するだろうと計算したのだ。武器を持った人間は、持たざる者の自尊心を破壊して、二度と歯向かおうとする意思を喪失させることが好きだ。行為の正当性ではない、いかに簡単に服従させるかということだ。

 

 

 

 

 


付記1c: 茶髪

2024年03月02日 | 歴史

 

私が高円宮承子に会ったのは彼女がまだ高校生になったばかりの頃だ。
皇太子妃雅子の発砲でうろたえた東宮侍従らが、崩壊した私との関係を修復するつもりだったのか、或いは、矛先を別のところへ向けて責任逃れをするつもりだったのかは判らないが、私を秋篠宮眞子、佳子、高円宮承子と面会させたのだった。
 
 
秋篠宮の二人の子供については特に感想を述べるほどの何ごとも無かったが、承子が部屋へ入って来た時には「あ・・・」と声が出てしまった。茶色に染めた長い髪が顔の半分を覆って、いわゆる不良少女そのものだったからだ。ピアスもしているんだろうか・・・と、何食わぬ顔で窺うと、額に垂れた前髪の間から、鋭い視線が私を突き刺した。
 
 
承子は、その時、見知らぬ女に呼び付けられて(と彼女のほうは思っただろう)、さも不機嫌そうに部屋へ入って来た。そして、驚いた表情をしている私を見るなり、スカートのポケットから護身用の小型銃を取り出して、いきなり私の足下近くを撃ったのだ。
発砲の反動で、彼女の身体は少し後ろへのけぞり、その衝撃を歓喜したかのように、唇が歪んだ。そして、残りの弾を、私の靴を狙って撃ち続け、最後の一発が靴の縁をかすめて硬い床に弾けると、奇声をあげて笑った。
 
 
これでは、どうせ、すぐに「男」にも溺れるだろう。結婚すれば皇族離脱である。そう考えて私は我慢したが、これには賛同する者が少なからず存在したようだ。その一人であるらしい人物に、別の場所へ案内された。「ここにいれば、面白いものがご覧になれますよ」
半信半疑で待っていると、そこに現れたのは、サッカーの練習着を着た五、六人の若い男と、承子ら二人の少女だった。集団は声高く喋りながら、暗い廊下の角を次々に曲がって、一室の中へ消えた。俄かに若者のパーティの様な喧騒が湧き起こった。
 
 
しかし、「どうせすぐに男に溺れるだろう」という私の予想は、或る意味で外れていた。
承子はすでに「銃」と「護衛」に溺れているのであって、それを凡庸な男との結婚のために捨てるのはあまりに惜しいだろう。
相当な乱痴気パーティを繰り返した後、彼女は意気揚々と英国へ飛んで行った。
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 


付記1d: 英国青年

2024年03月02日 | 歴史

 

高円宮承子の「ブログ」を読んでも、私にとってはさほど衝撃的ではなかった。以前、皇居で髪を脱色した承子に護身用の小型銃を発砲されたことがあるので、ブログに貼り付けられていた彼女の写真は私の予想を裏切って、一般学生と大差の無い、かなり更生した後のように見えた。ただ、「ヤモリの刺青を入れたい」などという承子らしい発想が私を苦笑させた。

 

ところが、翌年、承子はブログの写真に一緒に映っていた英国青年を連れて、私の職場へやって来た。どういう目的があったのかは知らない。親しく交遊している男友達と一緒に、国境を無視して、野放図に遊び廻っているといった印象だった。
「結婚するの?」 
意地悪く尋ねてやると、承子のほうはムッとした顔で睨んだが、青年のほうは「NO」とはっきり答えた。結婚が決まってから知らせてくれ、と私は言って、二人を追っ払った。

 

暴徒が遠ざかって行くのをぼんやり見送りながら、私は過去に承子が犯した行為を検証していた。
皇居の硬い床に砕け散った数発の銃弾と、私の靴を掠めた一発・・・ まるでゲーム場で人形を撃ち落したかのように高笑いしながら、「ごめんあそばせ」と言う承子の不快な声・・・ たしか、まだ高校へ入学したばかりで、十五か、十六歳だった。もし、あの時、彼女が真摯に謝罪していたら、私の怒りもどうにか鎮まったのだろうが、しかし、承子は、侍従が盆に載せて持って来た数枚の紙幣を、私に投げつけたのだった。・・・

 

 
 
 

 
 
 
<承子のブログから抜粋>
 

好きなタイプ→ カッコ可愛い年下
彼氏→ 三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。
ビバ波乱万丈(嘘)
彼氏→ タバコ嫌いな彼氏ができた!禁煙してるよ、マジで【ここだけの話】 
年下(男ね。)に飽きてきました・・・
 
 
【休日の過ごし方】 毎日が休日です(勘違い。)
自己紹介→  イギリスに留学中のヒップホップダンサーです。
最近ネコっぽいってよく言われる(笑)
 一年間外人とかと恋愛したすえに自分は日本人好きだったことに気づきました・・
なんでイギリス来ちゃったんだろう(笑)
 
 
「アルバム うちあげ~!
発表会のうちあげでの朋ちん、けーすけ、こみきてぃ♪ みんな疲れてるし
深夜だし酒入ってるしでハイテンションです(笑)
<2004/04/02>
 
 
私個人としては何も面白い事柄は起こってません笑。
ただ毎日が淡々とアルコール漬けで過ぎてってるだけです。
もう少ししたらそれにさらに悪いスパイスが加わるかもです。
テスト前なのに勘弁してください。。。
 
 
昨日はねー、アジアン(ってか日本人と中国人)でめっちゃ騒い
だ。王様ゲームやったけどエロ系一切なし(カップルがいた為。)
でつまんなかった
<2005/10/24>
 
 
好きな人がゲイ…。終わってる
<2006/01/20>
 
 
あーあ。
やっちゃった、久々の成り行きってやつ(笑)
いいんだけどね、めっちゃ楽しい夜だったけどね、
けど布団が他人のにおいなのがやだぁ~自業自得ですが。。。
昨日のパーテイーは最近マジでman eater化してて男を片っ端から
選ばず喰ってるとある友達に呆れたけど、基本は楽しかった♪
知らない人といっぱい知り合えてよかった×②。
けど寝すぎなんだかなんだか、ハイパーです。
<2006/03/19>
 
 
やば・・・。
バカみたい。ちょー後悔。病気うつされてたらどぉしよう・・・。
マジで神様に祈るしかないです。日本が恋しい。日本に帰りたい。。。
髪に赤メッシュいれたんだぁ。さりげないからけっこうお気に入り。
だめだ、my life is so fucked up…
<2006/04/04>
 
 
私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青いれたいんだけどなぁ~…
間違いなく縁切られますからね(笑)
<2006/08/01>
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

付記2a: 発砲

2024年03月02日 | 歴史

 

平成になって数年が経った頃、宮内庁から、何やら用事があるので皇居へ出向いて欲しいと言ってきた。椅子もテーブルも無い空っぽの部屋へ通されて、落ち着かない気持ちで待っていると、現れたのは東宮大夫と皇太子妃雅子の二人だった。そして、東宮大夫から、皇太子妃が宮中祭祀を執り行いたいので、我が家の宝物を借用したいと一方的に言われ、事前に作成されてあった書面に署名するよう強要された。

 

 

我が家の宝物とは、古代中国「周」廟にあった宝物と、それを持って朝鮮半島へ逃れた「斉」王の宝物と、その後、新たに倭遅の地「ヤマト」で造った物とが主である。
「何故、レプリカを使わないのか・・・」 実際に私がそう言ったら、「皇族はレプリカなど使わない」と東宮侍従に言い返された。(それなら、己の所有物を使って、己の先祖を祀って欲しい。他人の物を勝手に使ってくれるな!)
この時のやりとりが、後になって、愛子が殷代の酒器を玩具にして転がした事件や、雅子がまるで西欧の女王のような衣装を着て、斉王の冠を被って見せるなどしたあげく、ついには「親魏倭王」金印を放り投げた一連の事件につながっていく。

 

 

私は署名を拒否した。雅子は驚いた様子で言った。「わたくし、困るんです」
自分の要求が拒否されるとは微塵も予想していなかったのだろう、信じられない、とでも言いたげな表情だった。しかし、私のほうも、彼女のその態度から、彼女の思考には彼女の結論しか無いことに気づかされた。同時に、最初からこちらには選択権が無いということも悟った。形式上、訊かれただけなのだ。
この後、私は東宮侍従らによって神経薬剤で盲目にされて、雅子が祭祀を執り行う場に立たされた。文字通り、立たされていただけだ。

 

 

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憤慨した私が、宮内庁へ駆け込んで、「それで、結局、どうなったのですか?」と噛み付くと、職員が応えるには「雅子様は只今、記者会見をなさって・・・」いる最中だった。マスコミにいったい何を喋っているのだろう? 「祭祀のことですか?」 すると、「それもあるかと存じます」と職員。多少の罪悪感は持ち合わせているらしい。押し問答の末、私は強引にその記者会見場へ案内してもらった。

 

 

雅子は大勢の報道関係者を前に壇上から何か話していたが、後方のドアから入って来た私に気がつくと、抜け目の無い素早さで私を「女性天皇擁立推進者」として紹介した。私は慌てて、それを否定し、おおよそ次の二点を説明した。一つは、皇居や東京国立博物館にある「宝物」について、それらは我が家が継承してきた個人の所有物件であって、宮内庁が吹聴しているような現天皇の先祖を祀るための祭具ではないこと。また、二つめは、皇居で行われている「祭祀」について、私は宮内庁と皇太子妃雅子に「宝物」を勝手に使用された立場であるということ。

 

 

それから、私は自分が皇室典範改正論者ではなく、雅子の後援者でもないという釈明のために、もう少し詳しい経緯を付け加えた。
私は盲目で彼女が執行する祭祀に参列させられた後、憤懣やるかたない感情のまま、当人に言った。「あなた、そんなことよりも、他にもっとすべき事があるんじゃないのですか?」 愛子が生まれるより数年前のことである。本来、祭祀をすべき皇后が健在なのに、公務が過密過ぎると不満を漏らしていた皇太子妃がそれを代行する必要はまったく無い。他者の公務を肩代わりするより、己の責務を着実に片づけて行くほうが賢明というものではないか?

 


すると、彼女はすねたように言った。「産まなければいけません?」
雅子との会話はいつもこういった無意味な論争の入口へ引きずり出される。この時も私は、「産まなくてはいけないのか?」という想定外の質問を投げつけられて、圧倒された。喉が詰まり、頭が混乱し、このまま無言で立ち去ったほうが良策なのか、それとも彼女が私に要求している慰めの言葉か何かを言ってやるべきなのか、判断が付かなかったが、結局、私は最も馬鹿々々しい結論を彼女へ贈った。「皇太子妃になったわけですから、当然のことだと思います」
雅子は不満げにまだ何か言い返したが、後はよく覚えていない。私は彼女の相談相手ではなく、祭祀の苦情を訴えていたのだから。

 

 

ところが、その翌年、また東宮御所へ呼び付けられたのだ。雅子は、一気に思想転換をしていた。
「私もあれから考えたのですが、つまり、産んでもいいと・・・」 彼女はここで少し言い淀んでから、「あの、貴女は、女の子でも良いとお考え?」と私に訊いた。女の子でも良いか、とは、すでに女子が生まれることに決まっているのだろうか? それとも、女子が生まれる可能性が高いという意味なのか? 質問したかったが、訊けば自分の立場が危くなるような気がして、私は沈黙した。
二年後、本当に女の子が生まれた。何だか狐につままれたような気分だった。

 

 

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・・・以上のような、記者会見場での私の話は、突然、東宮侍従によって遮られた。威圧的な空気を感じて、私が沈黙すると、会見はそこで終了させられ、記者たちは全員、退出して行った。侍従は私だけを引き止めた。「雅子さまがもう少しお話したいとおしゃっていらっしゃいます」 壇上の皇太子妃の形相は、一変していた。雅子は玉座のような大きな背もたれが付いた椅子に座ったまま、私を睨み下ろして、前言を取り消すよう命じた。

 

 

しかし、私はまたもや拒絶した。そもそも、彼女が勝手に私を女性天皇擁立推進者とマスコミに紹介したために、私はそれを否定したのであって、私が話したことはすべて事実である。すると、雅子はいつも持っている小型バッグから、おもむろに護身用の銃を取り出し、私の頭部より2メートルくらい離れた位置を狙って、発砲した。実弾だった。ドアへ向って逃げる私の背後で、さらに二発の銃弾が炸裂した。

後で壁を確かめると、3センチほどの凹みが数個できていたが、その日のうちに職員が修繕してしまった。