【足元まわりの歴史 礎石立て:独立基礎の例=足固め工法】
(1)古代の事例:法隆寺・東院・伝法堂 (奈良県斑鳩町)
現状東南隅の外観
平面図
前身は、761年以前の建立の貴族の住居(橘夫人?)の建物とされる。
現伝法堂断面
現伝法堂床組詳細 写真・平面図・断面図は日本建築史基礎資料集成 四佛堂Ⅰ(中央公論美術出版)より 文字・色は編集
現伝法堂の断面図では、版築で築いた基壇上に礎石を据える。
礎石上に置かれた軸組は切目長押で補強され、床組は内側の床桁を利用している。礎石~切目長押の間は、礎石間に地覆(ぢふく)を設け、漆喰塗壁で塞ぐ。大引に相当する材の柱との仕口は簡便な方法であるが(床構造復原図参照)、材寸が大きいため(6.6×7.6寸)、柱の転倒に対して一定程度抵抗し得ただろう。
おそらく、このような経験が、その後の足固めの技法へと発展する。
床構造復原図 日本の美術№245(至文堂)より
床組は大引、根太に相当する部材はなく、桁行方向の柱間に床桁の角材で、厚み約3寸の板を直接受けている。足固めのような強固な仕口ではないが、長押と共に、軸組の変形に対して一定程度の役割をもっていたと思われる。
(2)中世の事例:慈照寺(銀閣寺)東求堂(とうぐどう)(京都市 1490年ごろの建立)
南西からの外観 北西からの概観
基壇はGL+約1尺。床高は基盤面+約1.8尺。軸組は約4寸角(面取り)の柱を礎石上に立て(@約6.5尺)、桁行方向だけ柱通りに足固め貫を通し、梁行・桁行両方向に内法貫、床位置の外周に切目長押、内法位置の内外に内法長押、天井近くには内部に天井長押を回して各柱を固める(古代の長押と中世以降の貫の併用)。
大引(@約3.25尺)の端部は柱位置では柱にほぞ差し、他は束柱で支えている。なお、1965年の修理前は土台をまわしていたという。現状は、原型に推定復元。
図・写真は日本建築史基礎資料集成 十六 書院Ⅰより 文字等は編集
(3)近世の事例-1:園城寺(おんじょうじ)(三井寺(みいでら))光浄院(こうじょういん)(滋賀県大津市 1600年ごろの建立)
光浄院は、同じ園城寺内に同時期に建てられた勧学院(かんがくいん)とともに、書院造の形式(床の間、付書院、違い棚、竿縁天井、付長押・・)の原型・典型とされている建物。
いずれも居住する建物ではなく、用途はそれぞれ、客殿(きゃくでん)、学問所である。
東南隅外観(中門廊) 原色日本の美術12より 右側階段が玄関(正式な入口)
GL+約2尺の基盤に十分な地形(ぢぎょう)を行い礎石を据え、5寸角の柱を立て、床位置では、外周を足固め貫、内部の柱通りは足固め・足固め貫で固め、内法位置では内法貫および内法長押で固め、内法上の小壁は貫(厚1.3~1.5寸)で縫う。柱は、外周で@6尺5寸、大引も@6尺5寸で、端部は南北面の柱に差す。
そのため、軸組は、床位置の足固め、大引、内法位置の内法貫、内法長押、および小壁の貫で強固な籠状の立体に組み上がり、開口部の位置も自由である。広縁外周の柱は拮木(はねぎ)による架構のため、極端に少ない。
写真・図は日本建築史基礎資料集成 十六 書院Ⅰ(中央公論美術出版)より 文字等は編集
(4)近世の事例-2:清水寺 (京都市 現在の建物は1633年:寛永10年の再建)
古来、観音菩薩は周囲から際立った岩石や、地の割れ目から湧き出す清水に現れるとの信仰があり、清水寺の建つ地はこの条件を満たし、平安時代以降、観音霊場として参詣人が絶えなかったという。
急峻な崖地にあるため、礼堂前にゆとりがなく、その解消のために設けられたのがいわゆる清水の舞台である(懸崖(けんがい)造り、懸(かけ)造りなどと呼ばれる)。清水寺は頻繁に火災にあい、当初の清水寺の姿は正確に知ることができないが、地形から考え、規模は小さなものであったと思われる。
礼堂から舞台にかけては、柱および束柱通りを等高線状にひな壇を造成(一部石垣)、礎石を据えている(断面図参照)。礼堂部分の柱は礎石からの通し、舞台部分は束柱で支持した梁:土台上に柱を立てる。柱はケヤキ材。柱、束柱相互は数段の貫で固定。直接雨のあたる貫の先端には雨除け庇をかける。
舞台の床板は定期的に交換、また、床下は常時点検を行い、楔(くさび)の緩みなどを点検しているという。
建立にあたって、1/10の架構模型をつくって検討された。
図・モノクロ写真は国宝清水寺本堂修理工事報告書より 文字等は編集 カラー写真は日本の美術№201より
(5)近世の事例-1:商家 高木家(奈良県橿原市今井町 1840年頃)
完成形に達した2階建て町家の架構。土台、通し柱、貫、差物(差鴨居)が、整理された形で使われている。部材寸面は全体に小ぶり。現在使われる継手・仕口もほぼ出揃っている。
上の写真の窓台は柱にほぞ差しこみ栓打ち。柱は礎石立てで、土台様の材は地覆。地覆の下の石は、狭間石・地覆石などと呼ばれる。
東西両端通りに土台。土台の礎石は自然石の一面を均し二段積み。他の柱は平均で厚1尺の礎石(上端均し)に立つ。地形(ぢぎょう)は川石搗き固め。土台下端は礎石にひかりつけ。基準寸法は1間:6尺5寸。通し柱多用。平均4.2寸角。
1階床は、梁間方向に@1/2~2/3間で大引を通し、中間の大引の端部は束で支持(下図参照)。根太は@1/5間、柱通りではΦ3.5寸の丸太(上面削り)で足固めを兼ねる。一般の大引、根太寸法は下図。その結果、床面は堅固に固まる。
この方式は、17世紀後半の豊田家(テキスト2,3頁)も使用。慈照寺 東求堂(62頁)も同様と考えられる。
図、写真は日本の民家 6 町屋2、詳細図は高木家住宅修理工事報告書による。文字・色は編集
(6)近代の事例:旧登米高等尋常小学校校舎(宮城県登米市 1888年:明治21年上棟)
小屋梁にトラスを使った擬洋風建物だが、基礎・床組は足固め工法によっている。
教室 足固め:雇車知栓止め(雇竿シャチ栓止め)、 廊下 框:車知栓止め。
北上川河口の軟弱地盤の土地に建つが、地形(ぢぎょう)が確実なため(3尺6寸四方、厚1尺の割栗石搗き固め+厚1尺のたたき:版築)、不同沈下はほとんどなく、床下通風が十分で、木部の腐朽もほとんどなかった。
図は旧登米高等尋常小学校校舎保存修理工事報告書より 文字は編集