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3- 平安人の心 「空蝉:秘密が筒抜けの豪邸寝殿造」

 山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  寝殿造様式の豪邸での平安貴族たちの毎日は、いわば現代の高級ホテルの大宴会場で日常生活を送るようなものだ。
  例えば「年中行事絵巻」に描かれる邸宅「東三条殿」。藤原兼家やその息子・藤原道長も住んだ藤原氏長者歴代の豪邸だが、その中心部分である母屋(もや)はワンルームだ。広さは、この寝殿の場合で南北約6m、東西18m。母屋を取り巻く廂の間は、東・南・西は幅3m、北側は孫廂も合わせて6m。合わせれば南北15m、東西24mと、体育館級の面積になる。
  そのスペースの間仕切りを取り払って、大臣任官を祝ったり正月ごとに客を招いたりの大宴会「大饗(だいきょう)」が華やかに催された。宴会時には外との仕切りである「蔀戸(しとみど)」を開け放つ。御簾を通して、庭の池に浮かべた竜東鷁首(げきしゅ)の船の雅楽隊が奏でる音楽が、寝殿の中に流れ込む。こうした、行事中心の絢爛たる貴族生活のために欠かせない装置が、寝殿造の豪邸だった。

  しかし、宴会には良いが毎日の生活には広すぎる。そこで普段は、主人は母屋、女房は廂の間など居場所を分け、間を仕切って暮らすことになる。しかしその間仕切りは、近づけば向こうが透けて見える御簾、布製カーテンのような「壁代」、最も分厚い間仕切りでも襖障子だ。
  プライバシーをめぐる攻防戦がここから始まる。室内に几帳や屏風を立て、姿を見られたくない女主人や女房はその陰に隠れる。いっぽう男たちは、妻戸の背後や御簾の隙間から目を凝らす。なかには恋に胸をときめかせ、忍び込む好機をうかがう者たちもいるのだ。夜になって蔀戸を下ろすや、外界の光が遮断され闇の世界になってしまうことも、秘密の攻防に拍車をかける。

  ところで、女房たちはこうした空間に局を与えられ、主人たちと共に暮らした。多くの場合は、母屋を取り囲む廂の間を御簾などで仕切って局とした。縦横約3m、六畳弱の広さだ。恋人を招き入れることもある。その逢瀬に聞き耳をたてる隣室の女房もいる。清少納言は「枕草子」の「心にくきもの(いい感じのもの)」の中に、寝殿内で聞く物音を挙げた。夜中にふと目を覚まし、耳をそばだてると、女房が男と話している。内容は聞き取れないが、忍びやかに笑う気配。ああ、何を言っているか知りたい・・。別の段「嬉しきもの」には「人の破り捨てた手紙を継いで見たら、何行もつながって詠めたのがうれしい」などとも記されている。文面からは、清少納言のじれったい気分、思わずほころぶ笑顔が浮かぶ。

  隣室の男女の会話、捨てられた手紙。人の秘密に興味津々の女房が、それを漏らすとどうなるか。いわゆる風聞、噂話が、やがて書き留められれば説話となり物語となる。「源氏物語」-「帚木」巻の冒頭は、いかにも老いた女房らしき人物を語り手に仕立て「これは光源氏様の恋の失敗の暴露話」と始められている。もちろんこれは紫式部の設定した架空の語り手だが、現実においても寝殿造邸宅を舞台に、秘密を知る女房、漏らす女房、語り伝える人々が連鎖して、世間の周知の「世語り」ができてゆく。いわゆるゴシップ、スキャンダルだ。女房とはある意味で、「世語り」の標的である貴人の身辺と世間とをつなぐ、噂のパイプといってもよいかもしれない。だからこそ、貴人たち、特に女主人たちは女房を警戒する。

  その様子は「源氏物語」にも窺える。「帚木」巻で、光源氏に抱き上げられ、連れ去られるところを女房・中将の君に知られてしまった空蝉は「どう思われたか」と死ぬほどに気をもむ。光源氏も「空蝉」巻で軒端荻と契った帰り、老女房に見とがめられ、騙しおおせたものの冷や汗を流す。「若紫」巻で、光源氏との一夜の後、藤壺女御は「世間の語り草になるのでは」と思い乱れ、光源氏を連れ込んだ女房・王命婦を、以後は遠ざける。対照的に、「若菜下」巻で柏木に踏み込まれた女三の宮は、密通を仲介した女房・小侍従を、思慮のないことにその後もそばに置く。案の定、不義の子・薫はやがて「橋姫」巻で、この女房の筋から出生の秘密を知ることになる。

  強固な作りのようでいて、住まう者の秘密は守れない寝殿造。腹心の部下のようでいて、時には裏切り口さがない女房たち。平安貴族の、とにかく世間を気にする感覚の一端は、こうした環境によるものと言ってよい。優雅に見える生活だが、実は常に緊張を強いられていたのだ。
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