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57- 平安人の心 「浮舟 後半: 匂宮と薫への愛に悩む浮舟」

山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  匂宮は浮舟への想いから宇治での逗留を決め、浮舟の女房・右近に正体を明かす。右近は仰天しつつも浮舟を物忌みと偽り、浮舟との石山寺詣でを計画していた母・中将の君には月の障りと騙って中止させるなど必死で取り繕う。
  一方浮舟は、匂宮と惑溺の時間を過ごすうち、いつしか情にあふれた匂宮に心が移ってしまう。だが二月になり薫がやって来ると、浮舟は罪悪感のなかで二人を比べ、薫の静かな魅力を改めて認めるとともに、薫に捨てられたくないと悩む。
  皮肉にもその憂いは薫の心をひきつけた。薫が帰京後、内裏でふと宇治の橋姫の歌を口ずさむと、聞きとめた匂宮は激しい嫉妬に駆られて再び宇治へ。雪をおして訪れると浮舟を宇治川の対岸の隠れ家に連れ出し、二人は愛欲の二日間を過ごす。

  薫と匂宮の間で浮舟の心は揺れる。薫が浮舟を京に引き取る計画を進め、匂宮も対抗して京の家を用意するに至って、浮舟の苦悩はさらに募った。しかしやがて、匂宮と浮舟の密通の事実は薫の知るところとなる。薫は浮舟に和歌をおくってきつく詰(なじ)り、宇治邸周辺の警備を固めて匂宮の訪れを妨げた。
  浮舟はわが身さえなくなればと、宇治川に身を投げることを決意。浮舟と連絡の取れなくなった匂宮は宇治に忍ぶが、固い警護に阻まれて会うことはできない。浮舟は死を前に親しかった人々を次々に思い出し、匂宮と母に対しては格別の思いで文をしたためるのだった。
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穢れも方便

  生理日。この、ちょっと大声では言いにくい、月に一度の厄介者。実は平安時代、後宮に仕えた女官たちは、この日には祭りへの参加を免除されていた。即座に「生理休暇」という言葉が浮かぶ。しかし、理由は全く違う。血が不浄と見なされて、神事に関わるのを禁じられたのだ。
  当時の行政の事細かな規定集「延喜式」には「月の事有る者は、祭日の前に宿蘆(しゅくろ)に退下せよ (月経になっている者は、祭り当日の前に局に退くこと)」とある。神事では、死を最も汚らわしいものとして忌み嫌った。血は死と同類のものと見られ、整理による出血もやはり「穢れ」とされたのだ。
  内裏では年中神事が催されていたし、後宮には数百人もの女官が仕えていた。この規定が守られていたとすれば、祭りのたびごとに何十人もの女官たちが「私、今回は」と申し出たことになる。

  内裏の女官よりも、神に仕えることが日常の仕事だった伊勢斎宮や賀茂齋院は、もっと大変だった。斎宮が禊の最中に生理になったために日程が延期されたり、齋院が生理だからと祭が中止になったりした記録が、実際に残っている。それどころか、斎宮や齋院やその女房たちは、生理中には特別な建物に籠らなくてはならなかった。
  紫式部と同時代の齋院・選子内親王と女房たちの家集である「大齋院前(さき)の御集」に、宰相という女房が俄に「汗殿」なる所に退いたことが記されている。この「汗殿」が、生理中の御殿である。「汗」とは「血」のことで、このような言い換えを「忌詞(いみことば)」という。現代でも、結婚式などのおめでたい場では不吉な言葉を使わず、別の言い回しに換えるのと同じだ。
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