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山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集

  桐壺帝が退位し、光源氏(母は桐壺更衣)の兄・朱雀帝(すざくてい:母は弘徽殿女御)が即位。その外祖父・右大臣の一派が権力を握る。そんななか、六条御息所の娘が伊勢斎宮となる。六条御息所は、光源氏との関係を清算して、娘の伊勢行きに同行しようか悩みながらも、やはり愛執の想いを断ち切れない。いっぽう左大臣家では、光源氏の正妻・葵の上が懐妊し、喜びに沸く。折しも、新しい賀茂齋院を迎えて賀茂祭が行われ、祭りの前の御禊(ごけい:天皇の即位後のみそぎの儀式)には光源氏も随行する。六条御息所は光源氏の姿を一目見ようと網代車に身をやつしてやってきたが、後から来た葵の上一行により、公衆の前で愛人の立場を暴露されたばかりか、車を壊され屈辱を味わうのだった。
  葵の上は出産が迫り物の怪に苦しめられる。世はそれを六条御息所の生霊と噂し、六条御息所自身も、まどろみの中で葵の上を打ち据える夢を見るようになる。そして光源氏も、妻が臨月の床でほかならぬ六条御息所にかわり、恨みの歌を詠むのを見て驚愕する。葵の上は男子を出産、光源氏はじめ一同は安堵し喜ぶが、数日後、物の怪により急逝する。光源氏は激しい喪失感に苛まれつつ、嘆く左大臣夫婦に子どもの養育を任せ、婿として十年を過ごした左大臣邸を出る。
  二条院に戻った光源氏は、引き取って四年、成長した若紫を初めて抱く。初めて知る男女のことに衝撃を隠せない若紫だったが、光源氏は三日の夜の餅(もちい)など結婚の儀式を整え、心からの誠実さを見せた。
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  父が娘を思うのは権力がらみの場合だけに限らない。父が娘の身を案じ、嫁げば夫婦仲を案じ、幸福であった欲しいと願ったことは、現在の父とそう変わらない。ただ、今と違うのは、女性の立場の不安定さだ。たとえ公卿の娘でも、父が亡くなり後見を失えば、女房にまで身を落とすことが珍しくなかった時代だ。高貴な父たちは自分の亡き後こそ、娘を思って気を揉み、時に亡霊となる。
  その代表が、「栄華物語」(巻十二)の描く具平(ともひら)親王(946~1009年)だ。彼は娘の隆姫を藤原道長の息子・頼通に嫁がせていた。ところが具平親王の死の六年後、頼通に新しい縁談がもたらされる。相手は今上・三条天皇(967~1017年)の内親王。結婚が成れば、押しも押されもしない高貴な新妻に、隆姫が圧倒されることは間違いない。加えて隆姫には子もなく立場が弱い。夫の頼道は乗り気ではなかったが、道長は「男が妻を一人しか持たぬとは痴(しれ)の様」と冷たく言い放ち、縁談を進めた。

  そんななか、頼通が重病に倒れ、彼に取り憑いた物の怪の一人として、具平親王が名乗りをあげるのだ。霊は道長をそばに呼んで、泣きながらこんこんとかきくどく。死後も娘が心配で、片時もそばを離れず見守り続けてきたこと。頼通の縁談という危機に、いても立ってもいられず出てきたこと。平に謝る道長に、霊は何度も「どうだ、子どもが可愛いか」と言う。親として子を思う気持ちは同じはず、頼通の命が惜しければ縁談をやめよというのだ。道長にしてみれば背筋も凍るような言葉。だが隆姫にとっては、死後もここまで案じてくれる、怖いほど愛に満ちた親心だった。果たしてこの縁談は沙汰止みとなる。

  「源氏物語」で葵の上が臨月を迎えた時、取り憑いた数々の物の怪の中には、六条御息所の故父大臣の霊もいると噂された。葵の上の父左大臣との、政治がらみの怨みなのか、それとも光源氏をめぐり、御息所を守ろうと現れたのか。物の怪に聞けるものなら聞いてみたい。
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