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☆Voli alla gloria☆

路が見えぬなら飛んでしまえ。日々の思考と感覚の記録を綴ってゆきたい、とあるバンカーのブログ。

考えないと。

2006年09月09日 | 自身のこと
ちゃんと考えないとダメだろ。

自分だけの問題じゃないんだから。



しっかりしろ。


畜生。

uysuyk

2006年08月01日 | 自身のこと
日々の目標と将来の目標はなんだろうか。

人はそれを「理想」だ、なんて言うかもしれない。でも、それでいいのだ。

問題はその「理想」をどこまで現実っぽく、本当っぽく実現しうるかだ。

僕の目標は?

夢は?



語れるか?瞳は輝いてるか?


成長、成長。

僕の夢。

僕の今の夢は、めまぐるしく変わる自分の成長を追い求め続けること。

それが幸せなことだ。

夢だ。

心なしか、「夢」というものは、具体性を失ってゆく。

考えれば考えるほど、抽象的になってゆく。それは一種の自己防衛かもしれないし。着地点を広げることなのかもしれない。


インプット、インプット。インプットが足りないと思考力が落ちる。




ある日の出来事より。

萌芽。

感情も鈍る。どうでもいいと思っていたドラマに感動し、その理由を探そうと必死になる。そもそも、なんでそんなドラマを見たのかを考える。なるほど理由が見つかった。はて。感動の理由は何か。

探求。

何に感動した?何がよかったのか。自分に嘘をつくわけじゃないけれど、こんなこと言って取り繕えばいいんじゃないかなんて考えてみたりする。取り繕うなんて変じゃないか。自分がそう思ったんだから、そうなんだよ。間違いない。

疑念。

いや、本当に自分はそう思ったのか?いや、違う。違うもんか。そう思ったんだ。
いつから自分の素直な気持ちをすぐに表せなくなったのか。



回帰。




今の自分はどうだろう。幸せなのか?不幸なのか?
この毎日の生活の中で、何を得、何を失い、何を見、何を思っているのか。


一瞬一瞬を、もっとよく、もっと気持ちよく生きるにはどうしたらいいのか。

そんなことまじめに考えてたらトイレットペーパーみたいな人生になってしまう。

ボックスから出てくるティッシュペーパーのような人生がいい。

この夏は、どんな自分と向き合えるか。とことん自分と向き合ってみよう。

どんな自分がいるのか、一生の楽しみで。

それが僕の今の夢にもつながってゆく。変わる自分を追い求める。

どんどん変われ。

…己は己にあらず。


嫉妬。


独尊。


燃えず萌えたる草原の

我ここに立ち待つ人は

求めん夢の化身となるか

君知るや夢は幻


色々な要素が重なり合って。今の僕は出来あがった。

どんなものが欠けても今の僕は生まれなかった。

そして今から僕を形成せんとする要素に僕は身をゆだねる。

均衡感覚を養うために僕は今日も平均台を渡る。

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僕の生き方。

2006年04月12日 | 自身のこと
人との繋がりが僕の路を強くする。

どんな路を選んだとしても。

この路を選んだから君と出会えたと言える。

この路を選んだから

この路を選んだからこの幸せを噛み締めてると言える。

だからこれからも。

選んだ路だけでしか味わえない幸せを見つければいい。

選んだ路だけでしか出会えなかった人たちと人生を楽しめばいい。

それが僕の。

かっこ悪い僕の。

カッコイイ生き方なんだと思う。

夢と現実~リボン~

2006年02月10日 | 自身のこと
夢はいつしか現実へと収束するのか。

現実が夢へと昇華してゆくのか。

いや。

そんな言い方自体。

既にバイアスがかかっているのかもしれない。

様々なモノがある中でそれを選りすぐった末に「それ」を選んだのか。

色んなモノが溢れているこの世の中で。

「それ」を選んだ理由はなんなのだ。

彼は解らなかった。

そんな理由なんかいらずに。

ひたすらに。

ひたすらに。

それがよかったのだろうか。

でも彼を、今の「彼」を「僕」たらしめたこの今の環境に。

満足だとか不満だとか後悔だとか。

そんな感情を問題とする空間での出来事ではない。

しかし。

「僕」なんかよりももっと閉塞感に喘いでいる人は。

居るんだな。

その一角に気付いたような気がする。

振り返ってみると。

どの方向にでも転べるような選択をしてきたような気がする。

いや。

それは、どの方向に転んでもタダでは起きてこなかったということもありうる。

いつからなんだろう。

常に最悪の事態を想定するあたり。

それが冗談での想定であれ、親譲りの根性なのだろう。

いつしか彼の夢は次元が違ってきた。

具体的なものから。

より抽象的なものへ。

どこへ誘っていった。

どうありたいのだ。

そこが一番重要なのであり。

彼が小さい頃から思っていた夢というのは。

消えてしまったわけじゃなく。

どこかでまたリンクしてくるはず。

リンクしてくるのではなく。

夢と現実は必ず繋がっているものであって。

それはまるで「リボン」のように。

ならば繋がるというのも変な言い方で。

始めからそこに「ある」ということだ。

僕の今の。

今の僕の視野にて。

認識可能な次元からその。

夢という名の「リボン」は。

確かにここから出て行ったのであろう「路」を示しながらも。

その先端は霧中。

その視野を広げていくべきなのか。

彼の「リボン」は。

僕の「リボン」となり。

おそらく彼の「リボン」となる。

どこへ向かって伸びていった。

夢と現実を率いる。

「リボン」よ。

大学生の日記です - 日記・ブログ

エピローグからプロローグへ。

2005年12月19日 | 自身のこと
しつこいようですが

僕は毎日ゆずを聴きながら登下校を繰り返すゆずバカです。

今日気付きました。

ゆずのバラードって…。

こんなにも切なかったんだ…。

今まで気付きませんでした。

ゆずの曲でも僕はどちらかというと

気分が乗ってくるような

言わば岩ちゃんが作るアップテンポな

つまり

こないだリリースされた超特急のような

ああいう曲を聴いて感じることが多かった。

でも…。

今はバラードが妙に感じる。

良いではないか。

これも久しく忘れていた自分なんだろう。

街の景色もついこないだとは違って見える気がする。

手をつないで歩くカップル達を見て

腹立たしい気持ちを抱いてる自分を

微笑ましく思ったり。

腹立たしいって言わないのかな、これは。

こんな感覚って…。

多分誰にも理解してもらえないと思うけど。


中でも今日一番心に響いた曲の詩のフレーズの一部を記しておきます。


「何も無かったような顔して 今日も街に溶けてゆく

さよなら もう 新しい明日へ歩き出した

最後の 強がり きっとこれが二人の為だよね?」

「ありがとう さあ 振り返らずに 行けばいい

いつの日か また 笑って話せる 時が来るさ」

「変わり続けてく 見慣れた街並みも だけど今も目を閉じれば

あの日の二人がそこにはいる」

何故昨日これを歌わなかったか。

友よ、君とまた歌いたい。

もっと心の入った歌い方が出来ることを確信している。

でも

心配はしてくれるな。

僕は「もう」歩いて行けるから。

大学生の日記です - 日記・ブログ

僕は…大人か。

2005年12月03日 | 自身のこと
この年、22。そんな年ももう終わろうとしているというのに。
本当に自分はこれからどうやって生きていくのか。

「なるようにしかならないんだよ」

まぁそうなのかな。

それから根拠のない「君なら大丈夫」論。

なんだよそれ。

結局、我武者羅に「やる」しかないってこと。

どんな路であれ、僕は僕の路を行く。

…。

まわりの目~♪気にしてもしょうがないし♪気持ちのままいこう♪(地下街)

いこう~♪いこう~よ~♪焦らずに~いこうよ~♪(いこう)

そして…。

頑張ったなぁ、やったなぁ、あれ、もうこんなとこまできてるなって…自分でそう思えるようになりたい。あそこに見えていた遠い目標も今はなんだかかすれて…見えにくくなっているけれど。天候のせいだろうか。僕の目が曇っているのか。
そんな今だから、なおさらの事。しっかり、通過点、定めないと。ものすごく小さな目標を決めればいいんだ。毎日、毎日。遠くばかりを見つめすぎてるんだ。遠くばかり見ていたら近くが見えなくなってしまう。遠視だ。
目標があって、それを達成するために小さな目標を。…って。当たり前だよなぁ。

早く…小さい頃に見た。あの公園へ行きたい…。大事な人を連れて…。




「日だまりにて」作詞、作曲:岩沢厚治


久しぶりだよ この町を 歩いてる

風はまだ 春の訪れを 僕に教えてくれないのに

ついさっきまで一緒に居た 憂鬱な心は

青い空のずっとずっと向こうへ そしてまた

ここへ 帰ってきたわけさ 風の音を聞きながら

いつの間に うとうとしてた 日だまりの あの公園へ


ちょうど町は 昼下がり 人々が日に照らされて

しばらく見ないうちに 変わった様子など どうでもいい事さ

葉の付いた観葉植物は 相変わらず僕に

何も教えてはくれないけど 針葉樹の

揺れる 長い冬の中で 風に吹かれながら

そっと 語り合えた あの頃の様に

ここへ 帰ってきたわけさ 風の音を聞きながら

いつの間に うとうとしてた 日だまりの あの公園へ




…皆さんの「日だまり」、どんなところですか。いろんな「日だまりの公園」行ってみたいです。

ストイックな一週間に…。

2005年11月29日 | 自身のこと


なりそうです。
どうしよう。
こんなにストイックになるような期間て大学始まって以来かもしれない。
まぁ何もないだろうけれども。

でもなんだか不思議な感じだなぁ。

これが一般的なんだろうけれどもなぁ。

毎日当然のように顔を合わせ、当然のように共に食事をする。
時には同じベッドで寝るときもあれば、共に寝坊しちゃったりもするわけだ。
こんな大学生大学生してる日常。

大げさかなぁ。普通に今まで通り携帯メールも出来るし。夜にはチャットで会話が出来る。
一週間なんてすぐだもんなぁ。一週間くらいならメールやらチャットやらでも事足りるんだろうけど。
でも、月に一度しか会えない状況になってしまったとしたら、多分僕はどうにかなってしまうだろう。二ヶ月に一度?死にます多分。
いつからなんだろう、こんなにも寂しがりや。でも案外なぁ。そういう状況になってみないと解らないなあって思ったり。

独りになれば、解るんだろうなぁ。

独身…。と言うとなんか「未婚」って感じが強くなるけど。

彼女が居なくって…ていうのは。毒男とでも言うのか。

毒男かぁ。

なるほどなぁ。僕は今…「毒男貴族」にあこがれているのかもしれない…。なんか逆説だなぁこれも。毒男って、「独り身が痛い」から「毒」なわけなのに、そんな「毒男」で悠々やるっていう状態。
なんか、うらやましいと思うけどなぁ。

今日も、そんなことを思いながら「ゆず」を弾き語ります。
というわけで、写真は「ゆず」のバンド名のルーツ、「ゆずシャーベット」です。

TAMEIKI。

2005年10月19日 | 自身のこと
調子が悪い…。

胸がなんか苦しい。

凄くだるい…。

おまけに昨日カミングアウトしたことに加え。

左上の親知らずが外側に向かって生え。

それは前から知っていたが。

最近またムクムクと生えてきたらしく。

痛い。痛い。

歯医者さんは怖い。

ちょっと我慢してみよう。

「M」の悲劇にはならないように。

空の旅、街、青い空、海、山。

2005年08月28日 | 自身のこと
仙台空港に行ったあと、天気がよかったから海にでも行きたいと思った。塩釜。近くにそんな港があるので行こうか。でもやっぱりやめた。それなら相馬行こう。相馬。何度か行ったことがあるなぁ。ドライブ仲間で行ったこともあれば、当然家族で行ったこともある。松川浦とか。懐かしい…。
台風一過ということもあって、天気が物凄くよかった。運転していても、普段とは違った景色が周りに広がっているのがよく解った。刈田病院の向こう側にあんなに綺麗に山の景色が見えたことがこれまでにあっただろうか。
九州に行って見たことのない景色に感動した。北の大地に行ってもまた然り。しかし、普段目にしている景色だって、その表情はやはり、日によって、天候によって全然違うものとなってくる。そして、そのまた、見たことの無い表情をした景色に出会うことによって、僕は旅先で初めてその「景色」と出会った時と同じような感動を覚えるのだ。それは車を運転するようになって、益々そう思うようになったかもしれない。よく通っている路だったりすると、あるときふと、「何かが違う」という感覚に気づくようになるのが不思議だ。表情が違う。雰囲気が違う。明暗が違う。そんな感覚。これだからドライブって止められない。
恋人を助手席に乗せて。どこまでも行きたい。

家族を乗っけてずっと走った。相馬に着いて行きつけの海鮮屋さんに入って刺身定食をいただく。最近、旨いものばかり食う機会がありすぎて、近々死ぬのではないかと。そんな風に思いながらも間食し、帰路へ。115号線を走り抜けて。

ドライブしたいなぁ…北東北あたりに行ってみたい。僕の、東北に散在する「故郷」を巡りたい。

矛盾?

2005年07月16日 | 自身のこと
僕は個別指導というアルバイトをしているが、ある高校一年生の生徒に関することだ。
この生徒は去年から、つまり中学校三年生の頃から僕が指導を担当しており、二年目の指導を引き受けたというわけなのだが、去年は結構成績もよく、頑張っているのかな、という印象を受け、その努力の成果もあって、市内でも上位校である高校に入学を果たした。
しかし、四月から指導してきて、あることに気づいた。彼の、勉強に対するインセンティブが見当たらないということだ。何か、上昇志向がないというか、頑張ろう、という気力が感じられないというか。今振り返ってみれば、去年も、それほど彼は頑張ってはいなかったのかもしれない。でも成績上位で、やってこれた、そういうタイプだったのかもしれない。

問題はここからで、彼に対して僕はどういう姿勢で指導をしていったらよいのか、ということだ。僕の中での矛盾というか、葛藤に気づいた瞬間。というか、改めて実感した、といったほうが正確かもしれない。勉強はしてほしいとは思う。でも部活もやりたいという気持ちもわかるし、是非部活は続けて欲しいとも思う。しかし、彼の場合、インセンティブがないのだ。どこの大学に行きたい、とか、将来、こうなりたい、など。これらだけがインセンティブたりえるとは思わないし、どんな形であっても構わないのだけれど、彼にはそれがない。目標を設定して、それに向かって頑張る、という「何か」が欲しい。それを毎回休憩、雑談の時に伝えようとしているが、馬耳東風といった感じだ。どうすればよいのか。

その反面、伝えようとすればするほど、彼はまだ一年生だしな…なんて思ったりもする。そう考えれば、そんなに熱く、勉強しろだの、目標を決めろだのと言う必要もないのかな、なんていう結論に帰結する。

しかし。

僕はアルバイト、という身分で指導をしているが、個別指導教師の存在意義はなんなのか、期待されていることはなんなのか、と「真面目に」考えてみれば、やはりそれは生徒の成績を伸ばしてあげることなのだ。そして、学ぶ楽しさを伝える(ってここまで書くと気持ち悪いけれど、本当のことだ)。
安くはない月謝を払って、生徒を通わせている、その親御さん達も、それを期待しているのだ。

僕はどうすればよいのか。生徒が物事を知らないからといって、色んな本を読めとか、いろんな事を知ろうとしろとか、そういったことを伝えるのは必要であるとは思うが、肝心な成績が伸びないのでは、どうしようもない。それでも僕は何とか彼のインセンティブを見つける、少しでもいいから手伝いをしてあげようと、頑張ってしまう。

「彼、頑張るように、少しきつく言ってくださいね~」

指導が終わって、本部長に言われた言葉に、考えてしまった僕であった。

きつく…かぁ。まぁ本部長も自分の実績を上げるためには、そりゃ生徒の成績が上がって欲しいと思うのは当然なわけだが。

結局…

固定給を貰って「アルバイト」という身分で指導する僕らにとって、一般的には「指導教師として」の意義などを付与できるはずはなく、アルバイト教師一人一人の、良心の問題に過ぎず、だからこそ、悩む、ということだ。どう指導するのも人それぞれだ。適当にやっても同じ額の給与は貰えるし、熱心に指導しても同じ事なのだ。良心、持ってるんだなぁ自分…(笑)

どうしたものかな。(阿藤快風に言えば、なんだがなぁ!って感じ)

夏が近づいてくる…

2005年07月14日 | 自身のこと
さて、そろそろ大学の期末テストが始まります。今回履修しているのは、ファイナンス、国際経済、財務会計、民法、の四つです。すべてテストで単位評価となります…だから、こんなブログ更新してる暇なんかねぇ!!って感じかもしれないですけど、まぁ、息抜きがてら書き込んでいるわけでありまして…

テストが終わったら、夏です。今年もやってきます。本当に、大学生活あっという間ですよね。もう三年生の夏です。本気で、夏を終えたら、本気で、本気で(しつこい)、将来を考えなくてはならないのです。僕自身、今進んでいる路が本当なのかどうかなんてわからないですし、僕の周りの友達だって、思うところは同じなんです。今、「これだ」って、進んで行ける人って、羨ましいとも思う反面、この人、周り、ちゃんと見えてるのかな、なんて思ったりもしてしまいます。そう言っておいて、周りを見て振り回されているのも、どうかと思うし…自分ですねこれは…。

とにかく、この夏だけは無駄には過ごせない!そう思います。一日一日を、深くかみ締め、大切に過ごしたいですね。今までの人生で一番、充実した夏となるよう。

いまだにろくに「桜坂」弾けないながらも、頑張って「F」は出るようになったような気がする、ということにしておきたい、ギター持ち腐れ人間が綴る、今日の思い、でした。

そして、新たな一歩へ。共に歩もう。三年目、ここから始まる(引っ張りすぎ?)。

合言葉は「***」…僕らの二周年に寄せて☆~月日は百代の過客~

2005年07月13日 | 自身のこと
「***」…スリーアスタリスクって、皆さん知ってますか?

こちらをクリックしていただければ、その意味を知ってもらえるかと思います。

ミスチルの桜井さんも、「僕らの音楽」にて、ホワイトバンド、着用してましたね。
それで、僕らも今日から着用させてもらっています。なんか、付き合って二周年というこの日から、プロジェクトに賛同できたってことが、なんかよくわからないけれど、嬉しく思います。遠からぬ縁を感じたりなんかして。ささやかな、喜びを今、二人で感じているのです。


さて、今日、彼女と付き合い始めてちょうど二年経つ。思うところはたくさんある。今までのこと、そして今日この頃のこと、それから、これからについて。

今まで、二年間という月日を共に過ごせたということを、嬉しく思うし、誇りにも思う。過ぎ去った日を思い起こせば、長かったなぁと感じる。でも今、一緒に時間をすごしている「時」のことを考えると、なんだか二年なんてあっという間だったのかなぁと感じもする。

一般的に聞けば、二年っていう歳月は長い、のだろうか。確かに僕らの年代で二年間付き合いが続いているという例は、多くはないのかもしれない。彼女と付き合ってどのくらいなんですか?なんて、知り合いとの会話で恋人の話題ともなれば必ず訊かれるが、二年、なんて答えると、歳が近い人たちからは「長い」という感想が返ってくる。まぁ、一般的に言ったら、長いほうなのかもしれない。

中学のときの恩師とお話する機会があって、「もうすぐ二年ですね」なんて言ったら、「期間を意識してるところが、若いというか、初々しい」なんてゆう趣旨の言葉を賜ったが、すかさず。「いつまでも、そういうの、大切にしたいと僕は思ってるんです。」「なるほどね、相変わらずかっこいこと言うね」なんて、言われはしなかったけれど(いや、多分言われたってば)、本当にそう思う。

「飽きる」なんて言う言葉は、人との付き合いを馬鹿にしていると思うし、付き合いを「飽きる」なんて言う人は、人間を馬鹿にしていると思う。

付き合いが長くなってくると、相手がどう思っているのか、本当によく解ってくる。最近は彼女の僕に対する「読み」が的確かつ核心を突いてくるので驚かされる。二人同時に同じ言葉を思い出して、二人同時にその言葉を叫んでしまったり、なんてゆう、漫画のような出来事も、たまにあるのだ。

と、なんだかのろ気な文章になりつつあるのだけれど、でも、のろ気られるっていうのは、初々しさの裏返しであるわけであって…なんてリカバリーショットを打ってみたりして。

なんだか、思っていること、正確には記せてないような気がするけれど、でも今日という日を、祝いたいというわけで。



ありがとう、そして、これからも末永くよろしく。

自分への課題 その1

2005年07月11日 | 自身のこと
自分への課題を課して、考えるという機会を、これからは少しずつ設けていければなぁと思う。ただ、ここでは僕自身の答えは明かさない。時には明かしえないこともあろう。そういった場合も含めて、「考える」という機会を自分に与えたい、そういうことである。

今回の題は

「今までの人生の中で、ここだけは譲れない、という局面に出会ったことがあるか」

について。


ここだけは譲れない、というモノ。人生を振り返る。
なんだろうか。何か、負けられない、とか、これは自分にしかできない、とか、そういった事になるのだろうか。

思えば、今はそうでもなくなってしまったような気がするけれど、高校、大学と進学する前は、特に勉学に対する気持ちというものは誰にも負けない、という姿勢で取り組んでいたんだと、思う。ただ、小学生の頃なんかは、特別、成績として優劣が出たりという機会がなかったから、取り立てて自分は優秀だったとか、出来が悪かったとか、そんなことはわからない。
しかし、中学校に入学して、定期考査、というものが現れる。これは新たな、色んな意味で当時の僕自身の価値観に、良かれ悪しかれ、影響を与えるものであったことは紛うことなき事実である。人と、比べられるという事実。それが良いのか悪いのかは、考えることも当時はなかったのは言うまでもない。ただただ、頑張れば結果がついてくる、そんなことを学んだ程度だろうか。特に成績が良かったからといって、両親から褒められるわけでなく、ただ、成績が下がったときだけ叱咤された(これは「定期考査」というインセンティブがよく機能していないと思われる例である。当時の僕はどこか理不尽を感じざるを得なかったわけだが)。スポーツでも、小さいころからスクールに通っていた水泳と、卓球はほどほどには出来たし、当然、中学の時に頑張っていた部活動の卓球は「譲れない」という気持ちを常に持って、一年生の頃は他の誰よりも素振りを多くやろうと思ったし、玉拾いだって、積極的にやった。その甲斐あってか、三年生では団体戦のレギュラーを務めもした。しかしそれ以外、つまり他の代表的な球技に自信が持てなかったという事実があった。しかしそれがある意味では、責めて勉強は頑張ろうと、そんな気を僕に持たせしめたのではないかとも思う。

勉学もそうだけれど、割と幼い頃というのは、何をするのでも自分が一番になりたい、そんな気持ちは誰しも持っているのではないかと、僕は思う。たとえば、僕の覚えている範囲では、玩具等、流行のものを友達の間で一番乗りで所持したい、という気持ちであるとか、または、ブランコからのジャンプの飛距離を一生懸命伸ばそうと一人で練習したり。「これだけは譲れない」そんな気持ちを胸に秘めてブランコに乗る当時の僕らの姿勢は、並み大抵ではなかった。時には危うく大怪我をしそうになったことだって当然ある。飛び降りたら次の瞬間、頭から着地して頬を強か砂利に打ち付けていたり…。また、競馬に今より興味があった頃は、サラブレッドの歴史を覚えたり、血統がどうのこうのって、そんな知識を詰め込もうと躍起になってるときもあった。好きな漫画を題材にした、一枚20円のカード集めに夢中になることもあったし、100円のカプセルにも夢中になった。どれもこれも、「譲れない」、そんな気持ちが当時の僕を突き動かしていたのではないだろうか。


その気持ちを、成長するにつれて持てなくなるのは(僕自身が昔ほど多くは持たなくなった気がするだけで、一般論たり得ないかもしれぬが)、いや、持つ機会が制限される、というより、持とうと思えなくなってしまう原因を考えてみれば、童心を忘れるとか、そういったレベルの話ではないだろう。成長するにしたがって、僕ら人間は、生活する範囲というものが、少しずつ広くなってくる。そうすると、今までは一緒に遊んでいた友達数人のうちだけで、「譲れない」という気持ちを持ち合わせていればよかったものが、明らかに自分の遥か上で戦う何者かの存在を知ることとなるのだ。この世界の広さに驚嘆を覚える。それがインセンティブとして働く場合もままある。しかし、同時に多かれ少なかれ落胆もする。「上には上がいる」、そんなことを思わずにはいられなくなる、そういうことだ。ここから先は各個人の価値観、生き方の問題になってくるのだろうと思うけれど。

ここは「譲れない」そんな局面、最近は出会わないような気がする。気づいてないだけかもしれないけれど。ほんの些細なことで、案外僕なんかは食い下がったりしているのかもしれないな、結構熱くなりやすい性格だと思うので…。

コード進行…

2005年06月19日 | 自身のこと
桜坂…

きみがい~た~♪…の部分。

コード進行…Em→Bm…なめらかに移行できません…しかもBmは不完全な和音になってるような気がするし…

しかも久しぶりに弦押さえたから…指先が、いてぇぇぇぇ!!

久しぶりだけど特に弾けなくなってるわけではなかった。しかし指先が痛くなるので調子乗って弾き続けてたら20分も経たずに痛さに耐えられず休憩…

何事も…継続は力なり。いや、むしろ継続「が」力なり。

弱い自分。強い自分。

2005年05月27日 | 自身のこと
弱いんだなぁ自分。

でもさ、強くなったんじゃないかな自分。

全然強くねぇよ自分。

強くならなきゃ自分。

結構強くなったんじゃないか自分。

やっぱり、やっぱり弱いんだよ自分。

もっと強くなれよ自分。

もっと…もっと…



…ずっと繰り返すんだろうなぁ死ぬまで。人間だもの。

こんな、精神強弱錯覚スパイラル。