真珠

深海の真珠は輝かず。

イラク戦争の新局面

2005年08月13日 | 政治・経済
戦争は人類とその歴史を同じくする。人類の歴史と戦争とは切り離すことができない。その人類を戦争から解放することは永遠の課題だということができる。これは現代においても変わることがない。


すでに戦後六〇年、私たちの世代は戦争を体験せずに済んでいる。これがどんなに幸せなことか。



戦争の時代に生まれ合わせた人たちは、不本意にも、戦争に巻き込こまれ、そして、人を殺すことを余儀なくされ、戦争がなければ生涯犯すことのなかったはずの、略奪、傷害、強姦などの犯罪を犯すことになった。そして、自己の生涯を突然に断ち切られ、妻子との平和な生活を失い、自他ともに筆舌に尽くせない苦難を運命づけられた。戦争の悲惨はいまさらいうまでもないことである。なくて済ませるものがあれば、戦争ほどのものはない。


イラク移行政府のドレイミ国防相は26日、首都バグダッドで近くイラク軍や警察などの治安部隊4万人以上を動員し、武装勢力の大規模な掃討作戦を実施することを明らかにしたそうである。イラク国民自らの力で国内の治安を確立する能力を高め、アメリカ軍がイラク国内から、一刻も早く撤退することのできるときの来ることを願うものである。


このイラク戦争に際しても、日本国民の多くが戸惑い、自己の態度決定に悩んだことと思う。イラク戦争についての私の立場はすでに明らかにしておいた。このイラク戦争についても、日本国民の間でも、さまざまに見解が分かれ、それぞれの異なった対応となって現れた。こうした問題については一人一人が自分の良心にしたがって決断せざるを得ない。


私は原則的に小泉首相の選択を支持するものである。私の判断と時の政府の政策と一致できるのはある意味では幸せであるといえる。私の現在の思想は、少なくとも小泉首相の対イラク政策、自衛隊のイラク派遣などの問題で反対せざるを得ないものではない。


イラク戦争はイラクの政治体制とアメリカの政治体制が根本的な敵対的矛盾関係に至ったために起きたものである。あるいは、少なくとも、それが将来において予測されたということである。時間を引き延ばしにして、敵に軍備に猶予を与え、将来の戦争でさらに被害を大きくするよりも、一昨年の時点で、この矛盾の早期解消を目指してブッシュ大統領はイラク侵攻を決断するに至ったということができる。10年前の湾岸戦争では、父ブッシュは、フセイン・イラクとの敵対的矛盾を解決できなかったからである。


私が基本的にブッシュの選択を支持するのは、結局、自由主義と民主主義という価値観をアメリカと共有していることを自覚しているからである。フセイン体制は、アメリカと比較すれば、より抑圧的で不自由であることを認めざるを得ない。フセインの息子たちの高級な外車を何台も所有するような放埓な行動や、フセインが亡命した娘婿たちに対して行った処刑などを見ても、また、国内に居住するクルド人に対する政策を見ても、この政権が民主主義とは程遠いことがわかる。


少なくともアメリカにおいては、ブッシュを選挙によって落選させることもできるし、また、映画監督のマイケルムーアのように、映画でブッシュ大統領を痛烈に皮肉ることによって、金儲けをすることもできる。市民も自由にブッシュ大統領のイラク戦争を批判することもできる。少なくとも、イラクのフセイン体制では、そうしたことは不可能だろう。どちらが自由な社会であるかは一目瞭然ではないか。


この戦争の選択の根底には、イラクのフセイン体制とアメリカのブッシュ体制のいずれを支持するかという問題がある。さらに積極的には、未来において、より自由で民主的な世界を作り広げて行くという意思の選択の問題もある。基本的な人権を侵害する抑圧的、独裁的な政権をこの地上からなくしてゆくという価値選択の問題でもある。もちろん、それは基本的には言論と選挙という手段を通じて実現して行くべきものであって、戦争という手段は、最後の最後の手段であるべきであることはいうまでもない。


アメリカのブッシュ体制とイラクのフセイン体制が、敵対的な矛盾に陥り、戦争が避けられないとすれば、選択は限られてくる。中立的な立場の選択は、問題を先送りするだけの無責任な選択であると思う。もちろん、現在のアメリカの民主主義政治体制にも問題の多いことは十分にわかっているつもりである。しかし、また、現在の日本はアメリカとは安全保障条約を結んでおり、対中国や対北朝鮮の関係もあって、アメリカとの同盟関係はこれからも堅持して行かなければならない。


そして、すでに賽は投げられたのである。もう、イラクの戦争で後戻りすることはできない。イラク国民が、将来において、より自由で民主的な社会を豊かに享受することができるように支援することがあるのみである。フセイン一派の反体制派も、早く武器を捨て、言論と選挙によってのみ自分たちの価値観を実現して行く政治体制を認め、それに参加して行くべきである。どんな恨みがあるとしても、人質たちを残虐に処刑したり、まして、それをネットで公開するような非人間的で愚劣な行為はやめるべきである。


自衛隊の皆さんが今もなお異郷の地イラクにあって、社会復興に貢献していることを、私も誇りに思っている。もちろん、自衛隊が、やがて、堂々たる民主国家日本の国防軍となることを願い、現在のように、オランダやイギリスやオーストラリヤ軍などに守られて職務を遂行せざるを得ないような、情けない状況を改革して行くのも国民の責務であると思っている。

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