徒然鯖日記

【青空・未来】管理人eriyによる「無人惑星サヴァイヴ」狂いな呟きと日常生活。
最近は歌い手アンダーバーさん狂い。

東北地方太平洋沖地震・追悼  その1『未来を守る為に』

2011年03月15日 00時01分58秒 | 思いつき小説(オリジナル)

 

TVのニュースを見てると、もらい泣きしちゃいます。

インタビューされている人々のエピソードはもちろん一部であって、この震災の裏側には様々なドラマがあったと思います。

「直接被害に遭わなかったから、良かった~」ではなく、現状を知らない遠く離れた人達にこそ、考えて欲しいな。

 

 

今の普通の生活が本当の幸せであるということ。生きてさえいれば、人生はどんな形にでも出来るものです。

それは、あなた次第。

今この時を、後悔なく暮らしましょう。

 

TVのニュースを見ながら、切なくなって書いていたオリジナルの話をいくつか載せていこうと思います。
これらのエピソードはフィクションです。

ですが、「不謹慎」と思われるより、これで皆さんに何かを感じていただければ管理人としては幸いです。

 

 

『未来を守る為に』

 

 

 

 

『明治以来、国内最大級の大地震』・・・・・今回の東北で起こった地震には、こう銘打たれた。

私は夫の転勤でこの仙台市に住むようになって1年、この大地震に遭遇してしまった。

 

地震は大嫌い。

 

そりゃ、好きな人なんていないのかもしれないけど・・・・・・・。

 

 

『よしっ!婆ちゃんが取ってきたるわ!』

 

・・・・・・・・・今から18年前。

北海道の小さな島出身の私は、この地震と津波に匹敵する震災体験者だ。
当時、私は10歳。

漁港から2キロ程離れた木造2階建ての小さな家に、両親と弟、祖父母の6人で住んでいた。

 

午後10時過ぎ。私と弟は既に布団の中にいて眠り際にじゃれて遊んでいた。そこへ大きな揺れ。

『ぎゃあ~~~!!』と叫ぶとすぐに隣の部屋にいた婆ちゃんが駆けつけてくれた。
倒れてくる本棚から私と弟を庇うくらいパワフルだった。

『大丈夫!大丈夫!すぐ収まるからね!』

揺れがようやく収まった頃、階下にいた父や母が大声で名を呼ぶ声が聞こえた。爺ちゃんも無事で青ざめた顔で現れた。

 

『津波が来る!』

 

10年前の日本海中部地震を経験していた祖父母や両親はすぐに口々にそう叫んで毛布を掻き集め始めた。慌てて着替えを始めようとした私を父はあっという間に抱え上げて、

『そんな暇ない!』『え~?』『津波はすぐ来る!はよ、逃げんと!』

私はパジャマ姿のまま訳もわからず外に連れ出された。5歳の弟も訳がわからず泣き叫んでいた。外は停電で真っ暗な中、同じように逃げ出してきた近所に人々が蠢いているのがわかった。

『早く!早く!!』
誰かが叫んでいる。父が車に向かおうとしたところで、祖父が『走った方が速いわ!』と怒鳴っているのが聞こえた。『高台に逃げろ!』

家の裏手の山に登ったところに公園があって公民館のような集会所がある。母はそこに向かっているようだった。

私は父に抱かれながらおもむろに、もう家に戻れないかも、と悟った。

 

『ミミちゃん、取ってこなくちゃ!』

 

咄嗟にそう叫んだ私に父が怒鳴りつけてきた。

『バカ!そんなんいらないわ!』『いやぁ~!!』

私は枕元にあったはずのうさぎのヌイグルミを思い出した。あれがないと眠れなくて、旅行にも持っていく。

今、考えればもっと他に持ち出すべきものがあったろうに、それしか思いつかなかった。

『また買ってやるから!』『ミミちゃんじゃなきゃ嫌なのぉ~!』

母の声にも耳を貸さず狂ったように泣き叫んだ私に、小さい弟までもが驚いて黙り込んだところで、すぐ後ろにいた婆ちゃんが。

 

『よしっ!婆ちゃんが取ってきたるわ!』

 

婆ちゃんの手には懐中電灯があって、その光の中でニッコリ笑った婆ちゃんが印象的だった。

『母さん、いいって!』『お母さんやめてください!』『もう間に合わん!』

両親も祖父も祖母を止めたが、祖母はもう元来た道を戻っていってしまった。父が私を下ろして後を追おうとしたが、それを止めて祖父が、『おれが連れ戻すから、お前ら先行け!子供ら連れてけ!』『父さん、危ないから・・・』『中部ん時も大丈夫やったろ!』

両親と祖父母の短いやり取りを泣き叫びながら私は頭の隅で聞いていた。

 

その時は、わかっていなかった。

 

私のこの我が侭が、悔やんでも悔やみきれない犠牲を強いてしまったことに。

 

その後も訳がわからないまま抱き上げられて、気が付いたら床の冷たい建物の中にいた。

周りはざわざわと騒がしくて、頭が痛くて。
誰かが、『外で変な音がする!』と叫んだ直後に。

ゴウ・・・・・という不気味な音に、場が静まりかえった。

ポツポツと点っていた懐中電灯やロウソクの明かりが瞬時に消えた。

 

・・・・・・・・・その不気味な音が、街や家を全て呑み込んだ津波の音だったということは後で知った。

 

祖母は戻ってこなかった。

祖母を追っていった祖父も戻ってこなかった。

翌朝、夜明けと同時に父が街の消防団と共に避難所を出ていった。

母がずっと泣いている。

弟も泣きながら、そんな母を慰めている。

私は。

 

避難所の2階の窓から、朝陽に照らされた荒れ野原をただ呆然と眺めていた。

そこに生まれ育った街があったなんて信じられなかった。

そこはただの瓦礫の山が点々とする沼地のようで。

 

その沼地の下に、祖父母が埋まっているだなんて、考えもしなかった。

 

『よしっ!婆ちゃんが取ってきたるわ!』

 

どうして、あんなことを言わせてしまったんだろう。

どうして、私はあんな我が侭しか言えなかったんだろう。

なんて、私は、バカだったんだろう。

 

『後悔』は。

 

誰にも責められなくても消えることは決してなくて。

 

消えないのは。

 

・・・・・・・・やっぱり、自分で自分を許せないから。

 

 

だから。

 

 

『・・・・・・・とにかく、良かった。こっちもかなり揺れたし、交通網マヒしてるから、しばらく帰れそうにないなぁ。』

「仕方ないよ。でも良かったね。偶然出張中でさ?潰れた家、見なくて済んだでしょ。」

『やめてくれよ、もう~!』

 

避難先の小学校の屋上で、かろうじて通じた携帯に、東京に主張中だった夫から連絡がきた。

家は仙台市の海岸沿いの街にある木造二階建ての借家で、非難勧告が出る前に3歳の怯える娘を羽交い絞めにして、避難先の高台の小学校に避難した。

娘は泣き叫ぶ。『しまじろう~~~~~!!』『しまじろうはまた買ってあげる!』『ダメェ~!ユウちゃんのしまじろう~!ユウちゃんのはあの子だけ~!』『ばかっ!!』

聞き分けない娘に、私はいつの間にかこう叫んでいた。

 

『今、戻ったら死んじゃうんだよ!ユウちゃんもママも死んじゃうんだよ!死んじゃったらもう誰にも逢えないんだから!ユウちゃんが死んじゃったら、パパがすっごくすっごく泣いちゃうんだから!!』

 

当然戻る気なんて更々なかったが、多分私がものすごく怖い顔をしていたらしく、娘はひきつけを起こしたように黙り込んで抱きついてきた。

そんな娘も途中で顔見知りの園児の子と逢うと笑顔になる、さすがの現代っ子だ。

小学校へ続く石階段を昇っていると、一緒に避難所に向かっていた知り合いのママが青ざめた顔で海を指差す。

『ユウちゃんママ見て!!』

 

海からは、まるで生き物のような津波が押し寄せてくるのが、はっきりわかった。

海岸沿いの建物をオモチャのように崩しながら徐々に呑み込んでいく。

全く映画かドラマのワンシーンを見ているような現実味のない光景だった。

貝殻拾いをした海岸も、昨日買物に行ったスーパーも、お気に入りのお洒落な喫茶店も全部・・・・・・・・。

 

『ママ、行こう・・・・・』

初めての光景に怯えた娘が服の裾を引っ張った。

『海がユウちゃんのこと追いかけてくるよ?』

 

・・・・・・・・・・・・・あの日。

 

18年前の私も、こんなふうに怯えていた。

怯えていた孫の私を、慰めようとして、祖母はああ言って笑ってくれた。

・・・・・・・・・・私の為に。

 

だから、私も。

 

『追いかけてこないよ。ママがユウちゃんのこと守るからね。』

『ホント~?』『ホント、ホント。』

 

今は、私の大切な存在を精一杯守ろうと思う。

この大切な命さえ無事であれば、何でも出来ると思う。

 

もうこれ以上、自分を苦しめない為、にも。

 

 

『さっきさ、ユウと話したけど、「ママにしまじろういらない」って言われたって怒ってたぞ。』

「当然でしょ、借家、津波でペッシャンコよ?取りに戻ってたら今頃こんな会話できてないから。」

『うん、でも俺が言う前に、あいつもわかってるみたいでさ。「パパ、海のお化けからママがユウを守ってくれたよ!」だってさ。いや~俺がいたら娘のヒーローは俺だったのにな~』

「バカなこと言わないでよ。」

『ゴメン、ゴメン。』

 

夫は当然、私が18年前の南西沖地震の被災者であることを知っている。

こんな軽い口調だけれども、かなり気を使ってくれていることもわかっている。

 

『そっちから連絡つきにくいと思って、お義母さんとお義父さんにも連絡しておいたから。札幌のシュウ君にも伝えておくって。』

「ありがと。バカ弟なんて気にしてないと思うけど。」

『何言ってんだよ。地震直後から災害伝言板にずっとアクセスしてたってさ。お前、頭になかったろ。』

「だって、ずっと携帯使えなかったし。」

『まぁ、そうだよな。とりあえず、俺から連絡できる人にはしておくから。』

「うん、ヨロシク。」

 

 

この屋上から見える景色には今、18年前のような津波の襲われた後の瓦礫の山が広がっている。

まるで戦後のような荒れ野原を見ると、無力感だけが募るけれど。

 

だからこそ、助かった命を大切にしなければ、と、そう思う。

 

 

「ママ、ルカちゃんとチイちゃん、ここにいたよ?」

「そっか、良かったね~」

「でもね、ミワちゃんとレンくん、いないの。」

「そっか・・・・・・・・」

「ミワちゃんのママ、泣いてたの。レンくんのおばあちゃんがね、まにあわなかったよ、っていうの。」

「・・・・・・・・・・・・。」

「ユリカせんせいが泣いてるの。どうしよう、っていってるの。だから、ユウがね、だいじょうぶ、っていってきた!」

「そうだね・・・・・・・・」

 

 

 

この度の地震被害に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 

END

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eriy

北海道在住者には記憶に新しく感じる『北海道南西沖地震=奥尻島』も主に津波被害でした。

あれから18年近く経って、奥尻は元のような観光地に立派に復旧を遂げてます。

 

 

 


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