『ごめんね、よりも、ありがとう。』<o:p></o:p>
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・・・・・・・・・あの時。<o:p></o:p>
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いつもは街があるはずの場所に、『川』ができていて。<o:p></o:p>
最後に見たのは、縋るような母の瞳と。・・・・・・・掴めなかった、指先。<o:p></o:p>
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私は看護師をしている。<o:p></o:p>
看護学校を卒業してからずっと、大きな病院で働いてきたけど、昨年、遠くに住んでいた母が脳梗塞で倒れたので地元に戻ってきた。<o:p></o:p>
4年付き合った同じ病院で事務をしていた彼とは、そういうわけで別れてきた。<o:p></o:p>
彼は結婚したかったようだったけど、母一人・子一人の事実を伝えると黙り込んでしまったから。<o:p></o:p>
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母は病気のせいで半身麻痺になり、介護が必要だった。<o:p></o:p>
まだ若いと言われる年齢のはずなのに、病気を患った後から急に認知症状が激しくなって、デイサービスやヘルパーさえも受け入れなかったので、娘の私が自宅で面倒をみるしかなかった。<o:p></o:p>
子供に戻ったような母は、時々私のこともわからなくなる。<o:p></o:p>
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「あら、どなた?すみませんねぇ、お世話を掛けて。」<o:p></o:p>
「お母さん、いいからもう、早くご飯食べて。」<o:p></o:p>
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当たったって、嘆いたって仕方がないから、いつもそうやって単調に返す。<o:p></o:p>
介護は先が見えない。<o:p></o:p>
本当なら私だって、もっと人生を楽しんでいたはずなのに。<o:p></o:p>
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・・・・・・・・・・・コンナ、ハハ、サエ、イナケレバ。<o:p></o:p>
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黒いモヤのような汚れた思いは、何の前触れもなく私に襲い掛かってくる。<o:p></o:p>
すぐに頭を振ってかき消そうとするけど、身体の自由の利かない母の介護はこちらの体力も奪う。<o:p></o:p>
もう、限界だ・・・・・・・・・・。<o:p></o:p>
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日々。<o:p></o:p>
そう感じ始めた矢先だった。あの日の。・・・・・・・・・・・午後2時46分。<o:p></o:p>
「ひゃあああああ~~~~~~~!!!!」<o:p></o:p>
疲れていつの間にかウトウトしていた私は、母の絶叫で目が覚めた。<o:p></o:p>
母はちょっとしたことですぐ悲鳴をあげるから、「またか」と思い、立ち上がろうとして視界が大きく揺れたことに気が付いた。<o:p></o:p>
「何!?」<o:p></o:p>
グラリ!!と左右に大きく振られた。そして、周囲の窓ガラスがガタガタと震え出したところで、ようやく地震だと気がついた。<o:p></o:p>
「お母さん!!」「ひゃあああああ~~~~~!!!」<o:p></o:p>
絶えず悲鳴をあげるベッドの母を抱きしめるようにして身を伏せる。本棚の本や雑誌がバラバラと散らばり、テーブルがガタガタとずれてコップや皿が落ちて割れる。<o:p></o:p>
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多分数分だったろうけど、ものすごく長い時間のように感じて、その後にも続いた余震にもパニックになって、ようやく落ち着いた頃にTVを付けようとした私は、ようやく停電になっていたことに気付いた。<o:p></o:p>
情報がなく、現状を把握できなかったことで、津波の襲来に気付くことが出来なかった。<o:p></o:p>
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街は大丈夫だったろうかと窓の外を見て、人々が逃げ惑っていく姿を見て、やっと気付いたのだ。<o:p></o:p>
みんなが海の方向を見ている・・・・・・!<o:p></o:p>
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「お母さん!!逃げなくちゃ!!」<o:p></o:p>
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母を抱き起こして靴を履かせようと屈んだら、靴が見当たらない。<o:p></o:p>
裸足でもいいからと車椅子に乗せようとしたら、車椅子は倒れた本棚の下敷きになっていた。<o:p></o:p>
どうしようもなくて、立たせて支えて歩かせようとしたけど足場が悪くて母はすぐに転んだ。<o:p></o:p>
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「お母さん!お願い!!しっかり歩いて!!」<o:p></o:p>
「無理だよ~無理だよ~」<o:p></o:p>
「早くっ!」<o:p></o:p>
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転んだ母を引っ張るようにして外に出た時、通りかかった消防団のおじさんが母を背負ってくれた。<o:p></o:p>
背後から轟音が聞こえてきて、振り返る間もなかった。<o:p></o:p>
追い立てられるように山に向かって走っていって。<o:p></o:p>
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「逃げろ~~~~~~!!!津波や~~~!!」誰かの絶叫。<o:p></o:p>
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それからはもう訳がわからなかった。<o:p></o:p>
ずっと叫びながら逃げていたようだった。<o:p></o:p>
少しでも高台に逃げようとして、山へ続く土手に這い登る。<o:p></o:p>
裸足の足元に冷たい水を感じて、泣きながら這いつくばった時、ふいに母の泣き叫ぶ声も聞こえた。<o:p></o:p>
「お母さん!?」<o:p></o:p>
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振り返ったすぐ足元にあるはずのない、『川』が見えた。<o:p></o:p>
その川はみるみる、かさを増していき、その中に母の顔とマヒしてない右手だけが見えた。<o:p></o:p>
手を伸ばした。<o:p></o:p>
指先1本だけ掠ったようだった。<o:p></o:p>
無意識に追っていこうとしたところを後ろから近所の人々に押さえ込まれて背後に引っ張られた。<o:p></o:p>
「もう無理だ!」そう言われた気がした。「早く安全なところへ!」<o:p></o:p>
助けてくれた人々の手を振り払って、再び『川』の方を振り返った時には。<o:p></o:p>
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波間にはもう、瓦礫の山しか見えなかった。<o:p></o:p>
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人らしい姿さえ見えなかった。<o:p></o:p>
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周囲では、絶望と驚愕の声が上がる。<o:p></o:p>
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私はその後、高台にある避難所となった小学校へ連れていかれたが。<o:p></o:p>
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・・・・・・・・・・母を助けようとしてくれた消防団のおじさんの姿もなかった。<o:p></o:p>
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「夫と息子と連絡がとれないんだよぉ~」近所のおばさんが泣いている。<o:p></o:p>
「母ちゃんを助けられんかった」瓦礫の山を見つめながらそう呟くおじいさん。<o:p></o:p>
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一瞬で、一人になってしまった人は、私以外にも沢山いて。<o:p></o:p>
何日経っても行方のわからない人も沢山いて。<o:p></o:p>
こうやって生き残った人達だって、これから生きていくことも大変で。<o:p></o:p>
みんな。・・・・・・・・・・・・・・みんな大変なのに。みんな悲しいのに。<o:p></o:p>
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私は今日も一人、ずっと、呟いている。<o:p></o:p>
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『お母さん。・・・・・・・・・・・ごめんね。』<o:p></o:p>
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さっさと結婚して安心させられなくてゴメンね?<o:p></o:p>
病気になるまでずっと一人にしててゴメンね?<o:p></o:p>
いつも笑顔でいられなくて、ゴメン。<o:p></o:p>
いつも優しい娘でいられなくて、ゴメン。<o:p></o:p>
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お母さんさえ、いなければ、だ、なんて。<o:p></o:p>
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・・・・・・・・・・・・・・・・・一瞬でも思ってしまった私のせいだね。<o:p></o:p>
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そして。<o:p></o:p>
3日経っても泥と瓦礫にまみれたままの生まれ故郷を見て、私は。<o:p></o:p>
もう、ダメ、かもしれない、と。<o:p></o:p>
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そう思ってしまっている。<o:p></o:p>
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私は、多分。・・・・・・・・・・一人になってしまった。<o:p></o:p>
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一週間経ち、この絶望的壊滅と言われたこの街にも救援物資が届くようになった。<o:p></o:p>
ガスも水もまだ出ないけど、電気が復旧したことで、日本列島全域に少なからず影響を与えた前代未聞の地震であったことをようやく知ることになった。<o:p></o:p>
この街以外にも跡形もなく流された街が多数あったことも知った。<o:p></o:p>
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自分が生きていることが不思議だった。<o:p></o:p>
こんな私が何故、生きているんだろう?<o:p></o:p>
もう・・・・・・・全て、どうでもいい。一人ではどう生きていったらいいのかわからないから。<o:p></o:p>
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つけっぱなしのTVを空っぽの頭でただ眺めていたら、突然肩を叩かれた。<o:p></o:p>
顔を上げるとずっと世話をしてくれていた近所のおばさんが「あなたを探してきたっていう人が尋ねてきてるよ。」と玄関を指差してこう言った。<o:p></o:p>
立ち上がる前に、玄関から走ってきた人と目があった。<o:p></o:p>
その人は私を見るとみるみるうちに表情を崩していった。<o:p></o:p>
「俺っ・・・・・・・ずっと探しててっ・・・・・!携帯も電話も通じないしっ・・・・・・!」<o:p></o:p>
「携帯・・・・・持ってこなかった・・・・」<o:p></o:p>
「TV見て、いてもたってもいられなくてっ・・・・!でもこの地域ずっと入れなかったしっ・・・・・!」<o:p></o:p>
「土砂崩れだったから・・・・・・・」<o:p></o:p>
「良かったっ・・・・・・良かったあ!無事で~~~~!」<o:p></o:p>
泣き崩れた『元・恋人』の一連のドラマは、その場の被災者や関係者の多数の涙を誘って、最後には拍手喝采になってしまった。<o:p></o:p>
私は呆然としていたのと予想外の事態をいまだ飲み込めず戸惑っていて。<o:p></o:p>
次に彼の発した、<o:p></o:p>
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「お母さんは大丈夫だった?お母さん身体不自由だって聞いてたから心配で・・・・・!」<o:p></o:p>
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の、言葉に、一気に涙が押し寄せてきた。<o:p></o:p>
急に泣き出した私に、彼が慌てて駆け寄ってきて抱きしめてくれた。<o:p></o:p>
彼の腕の中はとても暖かくて。<o:p></o:p>
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ああ、私、生きてるんだ・・・・・・・・・と。<o:p></o:p>
今更ながら、そう感じていた。<o:p></o:p>
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・・・・・・・・・・・・この海沿いの街の犠牲者は、数万人いると言われている。<o:p></o:p>
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日に日に死者の数は増えていくが、この泥流の下には、きっとまだまだ埋もれたままの人もいる。<o:p></o:p>
・・・・・・・・・・・・私の、母も。<o:p></o:p>
それでもやっぱり一瞬で一人になってしまった人は、私以外にも沢山いて。<o:p></o:p>
一週間以上経っても行方のわからない人も沢山いて。<o:p></o:p>
こうやって生き残った人達だって、やっぱりこれから生きていくことこそ、大変で。<o:p></o:p>
みんな。・・・・・・・・・・・・・・みんな大変で。・・・・・・・・・・みんな悲しい。<o:p></o:p>
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そして、私は呟く。<o:p></o:p>
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『お母さん。・・・・・・・・・・・ありがとう。』<o:p></o:p>
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それは、彼の携帯に届いた、おそらく母が私の携帯から勝手に送ったと思われる『むすめ をよろしくおねがい しま す』という読みにくいたどたどしいメールのことを知ったからだけではなくて。<o:p></o:p>
あの日以来、毎晩、笑顔の母の夢を見続けたこと。<o:p></o:p>
その笑顔は「悲しむよりも前を向け」と私の背中を押してくれているように感じたから。<o:p></o:p>
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『ゴメンねよりも、・・・・・・・・・・・ありがとう、だね。』<o:p></o:p>
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この度の地震被害に遭われた方々に、心からお見舞いを申し上げます。<o:p></o:p>