昨日のルナの日記は好評・・・・・だったかど~かわかりませんが、なんだかいつもの倍の人数の方々のお目に留まったようです。
でもでもマジに「タイガーマスク」検索で来ちゃった方スマンかったのぉ~ 意味わかんなかったと思いますが(笑)
でもでもこの現象に感動しているのは事実ですよ?
どうやらこの「タイガーマスク=伊達直人」は他にも矢吹丈(「明日のジョー」)、桃太郎、坂本竜馬、スティッチ・・・・など色々名前を変えて、とうとう全国制覇したようです。例に漏れず、管理人が住む北の地にも各地で伊達直人が登場。この街の高台にある児童養護施設には今朝方文房具とランドセルが届けられたとか。
参加しやすい善意っていいですよね。 でもですね~知ってます?横浜の児童施設にはスポーツバッグとビジネスカバンとボクシンググローブが届いたそうですよ??
これってど~ゆ~こと!??
・・・・・ここまでくると、完全に流行りに乗って遊んでるとしか思えないんですが・・・・・
「ボクサーになるんだ!」と望んでる子供が多数いたならともかく、いったい・・・・
管理人としては、こうやってすぐに面白おかしく目立ちたがる人間が出るこの国がとても悲しいのですが 新聞やニュースがすぐ騒いじゃうからかなぁ・・・・・。
とある記事より抜粋。
同じく寄付が届いた児童養護施設の職員の一人は「もちろんありがたい」としながらも、複雑な表情。子どもたちには「多くの方々に支えられて生活ができている」と教え、寄付者には直接感謝の気持ちを伝えるよう指導している。顔の見える関係こそ、教育の根幹と考えるからだ。だが、漫画の主人公の名前では「お礼の言いようがない」。
地元にはメディアに取り上げられずとも、長年、寄付や慰問をしてくれる支援者がいる。「地に足の着いた支援に、もっと目が向けられていいはずだ」。やがて施設を出る子どもたちに必要なのは、地域で支えとなる人たちの存在だからだ。「児童虐待に胸を痛めている人なのだろうか。福祉への関心が高い人なのだろうか」。寄付者の姿に思いをはせるこの職員は「子どもたちの教育のためにも、ぜひ名乗り出てほしい」と話している。
・・・・・ホントにそうだよなぁ。
これ読んで、あることを思い出しました。
うちの地元には障害者児童の為の福祉学校があるのですが、毎年クリスマスイブに『あしながおじさん』の名でクリスマスケーキを届ける初老の紳士がいるそうな。
これは毎年地元の新聞に3行くらいのローカルニュースに載ります。
おじさんの名前はもちろん学校の職員もケーキ屋さんも知っていて、あくまで子供たちにだけ『あしながおじさん』として姿を現さない。
そして、あくまで「善意の寄付」だと言い切っているそうです。
このおじさんの寄付は『地に足の付いた支援』ですよね。
たまたまタイガーマスクのニュースが全国に広がってしまったことで、こういった長年続けられてきた地道な支援が霞んでしまったな・・・・・とは思います。
最初に名乗った 『伊達直人』 さん、あなたは、今、この現象をどうとっていますか??
『 入学 おめでとう 』
僕は、今年の冬で35歳になる。
世でいえば、完全におじさんだ。
それもそのはず。7年前に結婚したけど3年前に離婚して、いわゆる『×イチ』。
それから女っ気もなく見た目は「40代でしょ~?」と会社の女の子に言われるほど老けているらしいし。
その通り。気持ちのうえでも老けている。
理由はわかっている。死んだ息子のことをいつまでもグチグチと悩み続けて引き摺っている。
妻と離婚したのも、それが原因だ。
息子は、思えば妙にませた子供だった。
3歳児のくせに、いつも『新1年生』を夢みていた子供だった。
幼稚園児から見れば、ランドセルを背負ったお兄さん・お姉さんはとてもかっこよく見えたらしい。
彼にとっては、「ランドセルを背負えば大人になれる」的な考えだったのだろう。
「パパ!ランドセルは『ブルーグリーン』!っね!!」
妻に英語を習わされていた息子はませた口調で言う。
近年のランドセルは色鮮やか。
「・・・・・・黄緑って言えよ・・・・・・」
「ちっがうよっ!黄緑とはビミョ~に違うのっ!ブルーグリーンッ!!」
「はいはい・・・・・・あと2年は待ってね。」
「おそい~~!」
「ランドセルは1年生が使うのものなの!幼稚園児が使うものじゃないの!!」
「ソツエンしたら買ってくれるよね!?」
「じいちゃんかばあちゃんがな。」
「なんでパパは買わないの?」
「昔からそういう決まりなの。」
「え~~~~??」
こんな息子とのやり取りを物静かな妻はいつも笑ってみているだけだった。
思えばそんな妻が始めて言った我が侭が、それから一ヵ月後のこの言葉だったのだと思う。
「お願い。・・・・・・・・・・・・・私を解放してください。」
「・・・・・・・・おじさん、何してるの?」
「えっ・・・・・・・・・・」
急に後ろから声を掛けられて我に還った時、目に映ったのは電信柱に張り付いた雪の塊だった。
振り返ると着古したスキーウエアのような上下を着て毛糸の帽子を被った少年が、白い息を吐きながら僕を見ていた。
「何だい?」
「オレ、そこに、これから、かまくら作るの。ユウくんとシマちゃんと。おじさん、その花、そこに置かなくちゃダメ?」
「え?かまくら?」
交差点の隅にあるその電信柱は、確かに少し道路から下がった場所にあって、奥に繋がるガードレールの向こうは空き地になっているからかっこうの雪捨て場となっていた。
子供にとってはちょっとした小山になっているし、かまくら掘りたくなるか、登りたくなるかのどちらかだろう。
しかし、ここは・・・・・・。
「ボク、ここは危ないよ。こっちの道路、けっこう車来るだろう?この雪の壁で見えにくいから、事故にでも遭ったら大変だよ。お父さんとお母さんが心配するだろう?」
「平気だよっ!」
少年は僕の顔も見ずに雪玉なんぞ作り始めた。
「平気なわけないだろう。もっと安全なところで・・・・・・」
「オレ、父さんも母さんもいない。ユウくんとシマちゃんもだよ?」
「えっ・・・・・・・・」
一瞬、頭が真っ白になった。
「いないって・・・・じゃ、ボク、どこに住んでるの?」
「そこ、だよっ!!」
少年は雪玉を丸めながら坂の上にある横に細長い古びた建物に目をやった。
そういえば、この近くに児童福祉施設があったことを思い出した。
この子は、そこの子供か・・・・・・・・・・。
僕は、それに気づいてから思わず少年にこう聞いてしまった。
「ボク、いくつだい?」
「なんで?」
「教えてくれたっていいだろう?」
「5さいっ!来年1年生だもん!」
「あれ、そっか・・・・・・。息子と同じくらいだと思った。」
「おじさんの子供、何歳?」
「え~と、3つ。」
「あ、なんかぁ~傷付いたぁ~」
思わず笑ってしまった。
確かに5歳にしては少し小柄だ。それで幼稚園でもからかわれているのかもしれない。
ませた口調は息子にそっくりだが。
「1年生か。良かったな。ランドセル、何色にした?」
「ないよ、そんなの。」
「え、何で?」
「うちのね~、しせつはビンボ~なんだ~って。園長せんせ~、いっつも言ってるもん。カコ姉ちゃんがチュ~ガクに行くからランドセルあげるって言ったけど、古いし~赤いし~やだ~」
「赤は嫌か。」
「赤は女の色じゃん!」
「あはは」
「やっぱさ~男は黒か青か緑か~・・・・・紫もいいよな~!」
少年の言葉に再び懐かしい光景が浮かんだ。
ランドセルに憧れた息子にせがまれて、一度デパートのランドセル売り場に行ったことがある。
きれいに並べられた様々なカラー。
鮮やかなパステルカラーから奇抜なビビッドカラー、はてまた奇妙な柄のブランド物まで昨今のランドセル事情はいったい・・・・と頭を抱えた覚えがある。
それでも、その華やかな空気に少しだけ幸せな気分になったっけ。
あと2年もすれば、また来なくちゃならないのかな~とかぼやきながら。
その予想された未来、は。
夢、で終わった。
「ねぇ、おじさん、この花、どうしてここに置くの?」
「ああ・・・・・・・」
再び少年の声に我に還った。
さっきの雪のこびり付いた電信柱の根元に置いた、小さな花束に目をやる。
さっきからサラサラと降り続いていた粉雪がいつの間にか花弁に降り積もっていた。
息子がずっとランドセルを欲しがっていたのはわかっていたのに、何故だかどうしてもランドセルだけは供える気にはなれなかった。
「なぁ。・・・・・・・・・・・ランドセル、欲しい?」
「欲しいけど~~~~ビンボ~だし~~~?」
「ここにかまくら作るのやめたら、もらえるかもしれないよ?」
「ウッソじゃぁ~~~ん!!」
「う~ん、でも、おじさん、どうしてもここに花飾りたいんだよね。ここにかまくら作ったら、この花埋もれちゃうじゃん?だから、この先の公園に場所移してよ。」
「それでなんでランドセルもらえるのさ~?」
「ここに花飾ったら喜ぶ神様がいるわけ。おじさんがお礼に神様にお願いしておくからさ。」
「おじさん、子供だからってバカにしてる~~!・・・・・あっ、ユウくんとシマちゃん来たっ!」
少年が走り去る後姿を見送って、僕は電信柱の根元にしゃがむと花束に付いた雪を払った。
短く手を合わせて、再び振り返ると、公園の方向に走っていく3人組の姿が見えた。
先頭を走るさっきの少年が、チラリとこちらを振り返ったようだった。
思わず手を振ってみたが、もう少年がこっちを見ていないこともわかっていた。
電信柱の花束に向き直って、少しだけ微笑んでみる。
・・・・・・なぁ、『神様』。まさか巻き込もうだなんて思っちゃいなかったよな?
そう思った瞬間、雪が強くなったから反省して、こう口に出す。
「・・・・・なぁ、『神様』、パパもちょっと大人のふりしてみてもいいかな?」
年も明けて、世の中はまだまだ正月気分も抜けていなくて僕もなんとなく生きていて。
自分は不幸な人間なんだから、手を差し伸べてもらうのは自分なのだと疑わずに生きてきて。まるで、この世の不幸を全て背負ったような顔して。
なぁ、我が息子よ、お前はあの世で笑っているかい?
『情けないパパだよね~』と、ませた口調で。そして。
『そろそろ買ってもいいんじゃない?パパ。・・・・・だって、ぼくも来年1年生だよっ!』
世の中が、正月気分を無理矢理抜いていつもの生活に戻った頃、東京のとある児童施設に届けられた数個のランドセルと贈り主のユニークな名称が話題となって、夕方のニュースにのぼった。
その『伊達直人』の名が、実は、贈ると決めたはいいものの、無名じゃ不審物だと思われるし、実名じゃ恥ずかしいし、とたっぷり30分悩んだ挙句、たまたま傍にあったダンボールに突っ込まれたままの「タイガーマスク愛蔵版」が目に入って、「伊達直人ならどっかにいそうな名前だしいいかぁ~」とお気楽に決められたものであるとは。
ここまで広がってしまった今では、誰にも言えないな~・・・・・・・と、思う。
今日も雪は降っている。
こんな日は、いなくなってなってしまった人達を思い出して切なくなるけど。
来年の冬は、ちょっと暖かい気分になれるかな?
例え、自己満足でも、一時の流行に終わってもいいんだ。
『差し伸べられる手』は誰でも持っているのだ、ということに、この世の人々が気づいてくれるといいよな。
・・・・・・なぁ、『神様』。我が息子、よ。
『 入学 おめでとう 』
END
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eriy
・・・・・・・・なんか、こ~ゆ~エピソードの元に生まれた運動だったらいいなぁ、という願望。
いや、マジに。
最初に名乗った 『伊達直人』 さん、あなたは、今、この現象をどうとっていますか?
ちなみにバックアップもとらずに完全即興で書きました。
一応確認はしてますけど、誤字脱字失礼!