ママチャリでカメラ散歩

レンズ越しに見える花や小さな生きものの世界に魅せられ暇さえあればカメラ散歩三昧。
(まだ写真は初心者ですが)

魔女の1ダース

2013-06-21 | 
電車の中で読む文庫本を図書館で探していたら
米原万里著の「魔女の1ダース」をみつけました。
副題のー正義と常識に冷や水を浴びせる13章ーに興味を
をそそられ読んだのですが面白いです。
まだ全部読んでないのですが他の著書も読んでみたくなりました。




同時通訳等の仕事で出会った人のエピソードも紹介されていて
その中の「宇宙の日本人」では日本人ではじめて宇宙にいった宇宙飛行士の秋山さんが
なぜ選ばれたのかが紹介されいて今頃そうだったのかと納得。

秋山さんはその後東北で農業をされていると記憶に
ありましたが

地球帰還後とTBS退職後~ウィキペディアより

帰還後は報道総局次長などを歴任したほか、『クイズダービー』の解答者、『ブロードキャスター』の初代コメンテーター、『筑紫哲也NEWS23』で筑紫哲也休暇期間中のキャスター代理を務めていたが、1995年に退職。宇宙飛行士だったということから、次第に会社での居場所がなくなっていったことを退社した理由の1つに挙げている。宇宙に行ったことで、「お金や権力や名声などといったものがあまりにもちっぽけでそういったものに興味がわかなくなった」ことも理由とされている。

1995年からは福島県へ移住したうえで、「あぶくま農業者大学校」を主宰。自身もひとめぼれなどの米の無農薬栽培を手掛ける一方で、「宇宙飛行士」の肩書で、環境についての講演や本の執筆活動をこなしてきた。なお、現在も旧ソ連認定の宇宙飛行士の資格は有効であるため[2]、『元宇宙飛行士』と紹介されるのは誤りである。2003年に日本で初めて開催されたASE主催の第18回世界宇宙飛行士会議に「宇宙飛行士、ジャーナリスト」の肩書きで実行委員会委員[3]として参加している。

2011年3月に福島第一原子力発電所事故の発生を受けて、福島県から群馬県に避難。避難先でコシヒカリの無農薬栽培を試みるかたわら、“原発難民”の立場から折に触れて原子力発電所や放射能に関する意見も披露している。また、同年11月1日付で京都造形芸術大学の芸術学部教授に就任したことを機に、2012年からは京都府内へ移住している[4]。

なお、TBS退社後の2003年4月から2004年3月までは、福島県で農業に従事するかたわら山陽放送(TBS系列局)の報道番組『どんぶらこ』でメインキャスターを担当。京都へ移住後の2012年10月からは、『with…夜もラジオと決めてます』(MBSラジオが2012年度ナイターオフ期間に放送する4時間6分の生ワイド番組)水曜日のパーソナリティとして、TBS記者・宇宙飛行士としての経験談や“原発難民”としての意見などを語っている




一方、米原さんは残念ながらもう故人となってるのですね。
生前の映像がないか探してみたら過去にNHKで放送した「世界わが心の旅」がありました。
うれしいですね、過去の映像が簡単にみられて。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする