川柳 ~日々新た~

「川柳で世の中小さく折りたたみ」
日々の喜怒哀楽を川柳に託して綴っています。

6/24(金) あまちゃんに惚れられ三鉄二度の旅・大津波想定内の大水門・七十年昔もあったぞこのお店

2022-06-24 | 川柳

 

今日の川柳

 

あまちゃんに惚れられ三鉄二度の旅

あまちゃんにほれられさんてつにどのたび

惚れられて惚れられて

 

みちのく潮騒トレイル4回目。

今回は岩手県久慈市~普代村を歩く。

岩手県九戸郡野田にある宿に三泊する。

 

 

大津波想定内の大水門

おおつなみそうていないのだいすいもん

巨大水門(高さ15m)、リーダー(普代村村長)の先見の明に脱帽する。

 

資料(ウイキペデアより)

普代川の河口から約300mに位置し、高さ15.5メートル・幅205メートルのコンクリート製の水門である。

水門南側をi岩手県道44号岩泉平井賀普代線が、北側を普代村立普代小学校、普代村立普代中学校からつながる道路がともに専用の通用門で水門内側を通過している。

普代村では、過去の大震災・大津波で多数の被害者(1896年の明治三陸地震で320名、1933年の昭和三陸地震で137名の犠牲者を出した苦い経験から、津波から住民を守る防壁設置を検討し、このうち普代水門は1984年に完成した。

  建設費は35億6000万円で、太田名部防潮堤と合わせた岩手県の事業として、国・県の負担のもと行われた。水門建設の検討時には、集落の集団移転も検討されたものの、土地の有効活用や生活環境の計画的整備などの観点から、水門の建設が決定された。

また15.5メートルという高さは、計画時に「高すぎる」と非難を浴びたが、当時の村長和村幸得氏が「2度あることは3度あってはならない」「15メートル以上」と譲らなかった。明治時代に15メートルの波が来たという言い伝えが、1909年(明治42年)生まれの村長の頭から離れなかったためである。

 

 

七十年昔もあったぞこのお店

ななじゅうねんむかしもあったぞこのおみせ

あったぞあったぞ昔から

 

  

    

上段左から八百屋・電気屋、下段左から工務店・酒屋・鰻屋(いずれも大田区蒲田地区 2022.6

 

先日、小生が生まれ育った街(東京都大田区蒲田)で会合あった。

参加したついでに当時の生活域を歩いてみた。

当時馴染みの店が今も営業している。がんばっていますね。

やはり地域に密着した店は強い。

 

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