時には目食耳視も悪くない。

読んだ本、観た映画、聴いた音楽、ふと思ったこと、ありふれた日常・・・

2022年の総括②からっぽの時間

2022年12月24日 | ひとりごと
 最近、何もしない時間が大切だと思うようになりました。
 眠るというわけでなく、ただ布団の上に転がっていたり、どこへ行くというわけでなく、そちらへ用事があるわけでなく、ただ歩いてみたり、とにかく何も考えずに何もしないという、からっぽの状態でいることです。

 こう書くと、何か得体の知れない不審な行動をしているように思われそうです。
 多くの人は、人間は常に何かの目的のために行動していると考えていて、疲れたから公園のベンチに座って、ただボーっと池のカモを眺めていたり、気分転換に何も買わずに商店街をブラブラとウィンドウショッピングしたりする人の気持ちが理解できないのかもしれません。

 ある時、友人が私に「一日家で何をしてるの?」と聞いてきました。
 私はいわゆる「会社勤め」をしていませんが、個人事業主として大手音楽教室と契約して講師という仕事をしています。
 それは、雇用契約ではないため、世間一般では職歴と見なされませんし、何年働いても退職金もありません。
 ハローワークに申請できるような失業保険などもありません。

 多くの人と仕事をする際の条件が違うというだけで、仕事をしていないわけではないのです。
 それに、仕事以外のプライベートにおいて自宅ですることは他の人と変わらないと思います。食事をして、片付けして、掃除をして、お風呂に入って、就寝してというように。
 にもかかわらず、友人は私が音楽の自営業をしているということで、他の人とは違う生活をしているのではないかと考えているようなのです。
 少なくとも、私は「一日家で何をしてるの?」と聞かれた時、会社に勤めていないのだから、さぞ優雅でお気楽な日常を送っているんでしょうね?と言われたような気がしました。
 もしくは、人よりも時間があるのだから(勝手な想像ですが)、何か特別のことをして他人よりも楽しいことを(あるいは大変な苦労を)しているのではないかということを知りたがっているのだと感じました。

 私はあまり、他人に興味がないので、誰かのプライベートを知りたいとは思わないのですが、世の中にはそうではない人もいるのだなと改めて気づかされました。
 他人に興味がある人は自分と周囲を比べて物事を考える傾向にあると思います。
 そして、人は社会人として何かしらの目的と明確な意味のあることをしていなければならないという考えに縛られているし、自分がそういう考えに囚われていることにも気がついていないのでしょう。
 どう考えても自由ですが、自分の考えにそぐわない人間を批判的に見たり、生き方を否定するのだけはやめてほしいです。

 傍から見れば、何もしていないんだろうと思われるかもしれませんが、実際の私は音楽教室の生徒さんたちの課題曲をどうするか考えたり、レッスンの準備をしたり、自分自身の人生を豊かに過ごすために続けているYoutubeチャンネルの動画作りの計画を立てたり、動画を作ったり、さらには日常生活を営むうえでしなくてはならない事や、それらにまつわる人間関係のことなど、頭の中は雑多な事柄でパンパンになってしまうことがほとんどなのです。

 ですから、時にはすべてのことから解放されて、講師でもない、家族でもない、社会人でもない、ただ存在しているだけの人間として、何もしない、何も考えない、からっぽの時間を楽しみたいと思ってしまうのです。
 他人はそれを贅沢だと、怠惰だと、なんのかんのと思うかもしれませんし、そういう私を1%も理解できないのかもしれません。

 今の私は世の中とは、人間関係とはそういうものだと、自分自身を納得させる以外に術はありません。
 もっと年齢を重ねていけば、自分を取り巻く人間関係も変わっていくと思いますし、私に接する人の態度も変化していくことは今までの体験からも予想がつくのですが、私の本質がそう簡単に変わるとは思えません。

 私は変わらないのに、周りの環境が変わっていきます。
 私が今の時点で感じている不都合や困難もやがて、自然に解消する時が来るのかもしれません。
 それが来年かどうかは分かりませんが。。。

(2022年の総括③へつづく)

=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi



コメントを投稿