時には目食耳視も悪くない。

読んだ本、観た映画、聴いた音楽、ふと思ったこと、ありふれた日常・・・

2021年の総括③日々の過ごし方

2021年12月17日 | ひとりごと
 よく、「有意義な人生」とか、「一日一日を大切に」という言葉を目にするのですが、では人生の中でいったい何が有意義で、何が無意味なのでしょうか。大切ではない日とは、いったいどんな日のことを言うのだろうとふと思うのです。
 
 一日の終りに、「今日は有意義だった」とか「今日という日を大切にできたぞ」という実感のある人は、いったいどのくらいいるのでしょうか。
 私はいつも「無駄だったかもしれない日」をどうにかこうにか、やっとのことで乗り越えながら生きています。
 何を達成したというのでもなく、何らかの業績を残したというわけでもなく、ただ日々の仕事や課題を淡々とこなし、気がつけばもう一年が終わろうとしているのです。

 今年、そんな自分の気持ちを満足させるためにしたことは語学学習です。
 なぜ語学なのかというと、それはもし、音楽を仕事にしていなかったら、美術か文学、語学関係の仕事をしたかったからなのです。

 私の父は、子供を音楽家にするという夢を決して捨てようとしませんでしたから、子供がいくら音楽以外の進路を選択させてほしいとお願いしても、それを聞き入れてはくれませんでした。
 私の兄は一度、音楽大学を卒業してから看護学校に入り直して、今は看護師として働いています。看護師という仕事が、兄が本来希望していた職業かどうかは分かりませんが、音楽家になることが兄の夢ではなかったことは確かです。

 私は子供の頃から、本を読むのが好きでしたし、大勢の人の前で演奏したり、楽器の練習をすることよりも、日本の古典文学やその時代の歴史に親しむのが好きでしたし、高校の時には外国語の翻訳への興味が強くなり、語学系の大学へ進学したいと思うようになりました。

 しかし、私の希望を父は理解しようとしませんでした。実際、大学受験時には未成年である私の主張は、保護者である父親の前では無力なもので、周囲の理解も得られませんでした。
 教育虐待という言葉が言われるようになった現在なら分かりませんが、私が受験生だった当時は、子供は親の言うことに従って当然だという社会通念があり、親が無理やり望まない人生を子供に押し付けているとは思われなかったのです。

 その時の私には音楽で仕事をするという具体的なビジョンは持てませんでしたし、やりたくないことをやり続けなくてはいけない上に、周囲の理解も得られないばかりか、逆に「ありがたい」音楽を学ばせてくれる親に感謝できない人間的に問題のある人物だと非難されかねない立場に立たされて、精神的にとても追い詰められていました。

 今ならば、子供のことを一向に理解しようとしない親なんて相手にせず、自分のできる範囲でやりたいことを少しずつ実現すればいいんじゃないかと思えるのですが、その時は背負わされた荷物の重さに押しつぶされないように自分を保つのに必死でした。

 苦しい状況から逃げ出したいと思っていましたし、いっそ自分から人生を終わらせてしまおうかと考えたこともありました。(幸せなことに、私は「人には必ず終りがくるので、わざわざ自分から終わらせる必要はない」という自論を持っており、この考えを遂行するには至りませんでした。)
 結局、一年浪人した後に、親が見つけてきた音楽系大学に進学することになりました。

 以前の私には、親が子供の人生を勝手に決めて無理やり押し付けたことを自覚してもらいたいという願望がありました。
 そして、自分たちがしたことは間違いだったと認めてもらいたかったのですが、実際、彼らにそんな意識は全くありませんでしたし、これからもそれが変わることはないと、今は確信を持っています。

 私が受験生の時に、自分の人生の行く末を駆けて誰一人味方のない孤立無援の状況で、音楽大学以外への進学、もしくは、音楽以外の仕事をしたいと必死に主張していたのを、母は「急に親の言うことを聞かなくなって、拗ねてしまった」とか「過剰にピリピリしちゃって扱いづらかった」程度の認識でしかなかったことを、後で知りました。

 その頃には、子供を理解しようとしない親への不信感や反感の気持ちはすっかり冷え切って、「やっぱりそうか」としか思いませんでしたが、自分の人生を無自覚な親に無責任に決められてしまった救いのない惨めさやら虚しさやらを、あらためて感じざるを得なかったです。


 母は私がどんな人間なのかということを理解しようとしないまま、独善的な愛情を一方的に押し付けて亡くなりましたし、父に至っては自分の考えだけがこの世で一番優れていると信じて疑うことがありません。
 それに、いまさら謝ってもらっても、私の人生が変わることはありません。すべては手遅れなのですから。
 そんな親と決別して、自立する力がなかった自分にも責任はあるのでしょうし。

 40歳を過ぎた今、自分の人生が有意義かどうか、正直私には分かりません。自分の人生なのに、自分で判断できないのです。
 自分の人生なのに、半分以上が親が決めた人生なのです。自分で決めたことならば、もっと単純な気持ちで人生と向き合えるかもしれません。

 もちろん、世の中の人たちが全員、完全に自分で決めた人生を送っているとは思いませんし、私よりも苦しい人生を送っている人も沢山いると思います。
 でも、それはあくまでも他人の人生であって、私には関係のないことです。多くの人にとって、私の人生がどうでもいいことであるように。

 結局、自分の人生について真剣に考えようとすると、今まで書いたような煮え切らず、中途半端で解消できないものがグルグルと思考の中を半永久的に回り続けます。
 私にとっての問題は、何一つ解決されていません。そして、どんな解決が有り得るのか、そもそも解決することが正解なのかも分かりません。

 とりあえず、私の人生が有意義だったにせよ、無意味だったにしろ、私が過ごしてきた時間が今の自分を構成しているのは間違いありません。
 この記事を読んで下さった人には、私の人生のことなど知りたくもないでしょうし、何をグダグダ言ってんだと思われることも十分承知の上です。
 それでも、どのくらい残っているか分からないこれからの人生を楽しく生きていくために、今できる範囲で今までのことをまとめてみました。
 すべてを言葉にすることはできませんでしたが、自分の身に起こったこと、それに対して自分にできたことは何か、何ができなかったのかを確認することができました。


 40代の今は、自分が今までできなかったこと、本当にやりたいこと、やり残したことを実現する最後のチャンスなのではないかという気がしています。
 今までみたいに、唐突に思っても見なかった困難が突然、目の前に立ちはだかるのかもしれませんが、このチャンスを活かせるように頑張りたいです。

 2022年はどんな困難、あるいは幸運が待ち受けているのでしょうか。
 相変わらず、少ない体力の中で健康に気をつける生活になりそうです。



 



 


コメントを投稿