時には目食耳視も悪くない。

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2023年の総括②音楽(仕事)との向き合い方

2023年12月10日 | ひとりごと
 小学校に通い始める年からバイオリン教室に入り、楽器を弾き始めてから今年で、約37年が経ちます。
 私が今使っている楽器は、兄が音楽高校を受験する時にこれでは話にならないから新しい楽器に買い替え、もう弾かなくなった「話にならない」と言われた楽器です。

 兄の新しい楽器は親がお金を出して買いました。
 私は、その「話にならない」楽器で高校の音楽科に進学しました。同級生たちが使っている楽器は、私の楽器とは比べものにならないくらい高価なもので、音色からして見事なものでした。
 親はその後も、私には新しい楽器を買いませんでしたし、私も買って欲しいとは言えませんでした。

 私は自分の家が経済的に豊かではないことを知っていましたし、長兄が重度の障害者で、親がそちらに重点をおいて生活していることを理解していました。
 例え、末娘の私が何かを要求したり、主張したりしても、却下されるか無視されるかのどちらかでしかありませんでした。

 数百万円もする楽器を、自分で買えるような経済力は十代の頃はもちろん、今だってありません。
 それに、私自身、人前で演奏することがあまり好きではなく、子供の頃から父親に「やれ」と命令されて仕方なくやっていただけで、しかも上手だと褒められることもないので、自分のしたことの達成感などもなく、父親の言うことを聞いて、叱られずに済んだとしか思っていませんでした。
 音楽に対してその程度の意識しかなかったので、もっと良い楽器が欲しいという気持ちがなかったのも事実です。

 私にとってバイオリンを弾くということは、父親から大声で罵倒されたり、叩かれたりされないように、やらなければいけない義務であり、少しでもミスをすれば、嫌と言うほど怒られ、がっかりされ、蔑まれるのがとても憂うつだということでした。
 これが、私の音楽との出会いです。37年間のうち、ほとんどがそのようなネガティブな経験で埋まっており、本当にバイオリンが面白く思えるようになったのは30歳過ぎてからでした。

 それでも、学生の時から音楽教室で教える仕事はしていて、レッスン中にまったく弾こうとせず不愉快な態度でいる小学生や、子供を預けたきり後は知らん顔のコミュニケーションが取りづらい保護者との関係にストレスをためる経験はしていました。(これは今に生きている体験でもありますが)
 自分が何かを表現する音楽も、相手に技術を伝える講師の仕事も、自分に向いてないとその頃から思っていて、今もその苦手意識は変わらないのですが、だからといって今さら他にできる(あるいは、やらせてもらえる)仕事がないのだから、今ある目の前の仕事と向き合って精一杯頑張るしかないと自分に言い聞かせています。


 私がレッスンの中で、生徒さんに言うことは決して自分の勝手な思い込みや思いつきなどではなく、37年間のうちに教えていただいた先生方の考え方や弾き方であり、それは歴史的にバイオリンジャンルの中で受け継がれてきた技術や知識でもあるのです。
 中には、生徒さんより年の若い私の言うことを疑わしく思って信用せず、全く違うやり方を直そうとしない人もいます。
 反対に、私より年上の生徒さんでも、私の言うことをきちんと嚙み砕いて理解して、自らの技術に反映させる人もいます。

 もちろん、私にとっては後者の生徒さんとレッスンする方が有意義な時間が過ごせます。
 そうでない場合は、本来のやり方でない方向へ行ってしまっているので、当然のことながら弾けるようになりませんし、うまくいかない様子をただ見守るだけの無益な時間だけが過ぎていきます。時には、(あまりに弾けないので)アドバイスをしてみるのですが、見事に聞き流されてしまいます。

 専門教育を目的としない音楽教室では必ずしも「きちんと」弾けるようにならなければいけないわけでもありません。
 ですから、私は今までの人生の中で受けた教えを無視されても、全く違う変なやり方で楽器を弾こうとしていても、そういう生徒さんたちを心の中で「ありえない」と思いつつも、彼らを見守りながら決められた時間を過ごさなければいけないのです。
 それが仕事だからです。この点について言えば、講師のバイオリンの技術はあまり関係ありません。なぜなら、このような生徒さんたちにとって、講師が上手に弾くかどうかなんてことは問題ではないのですから。関心すらないでしょう。
 それでも、弾けなくなってしまえば、教えることもままならなくなるので、私も適度に練習を続けなければなりません。


 過去の記事を読んで下さった方は既にご存知のことだと思いますが、今の教室の講師になる前は、自宅でバイオリン教室を開いていました。
 その教室も新型コロナウィルスの感染第一波の時に閉鎖せざるを得なくなりましたが、その前は、市街地に場所を借りて教室を運営していました。
 その教室を立ち上げてから、軌道に乗るかと思われた頃に、大手の学習塾が進出してきて、立ち退きを余儀なくされたのですが、そんなふうに音楽の仕事が出来なくなる度に、派遣会社に登録して働いたり、履歴書を書いて一般の会社の面接に出かけ、なんとか社会の一員にしてもらおうと努力してきました。(結果は、惨敗なのですが…)

 今年、インボイス制度が導入され、音楽教室でもらえる報酬額が減りました。
 生徒さんが何らかの理由で教室をやめていき、もしも0人になれば、私の収入も0になります。
 もし、そうなったとしても、契約先の教室運営会社からは社会的なサポート(失業保険や、一般の人が再就職に向けてできる手続きなど)が一切ないので、教室とは別に飲食店でアルバイトをしています。

 正直、いつまで音楽教室の仕事が続くのか、私には分かりません。
 ある日突然、仕事がなくなって、経済的に苦しくなるかもしれないという不安は、心の片隅にいつもあります。
 アラフォーにもなって実家住まいだと世間では笑われるかもしれないけど、私にはそんなことよりも、自分のこれから先の生活のために何ができるかを考える方に必死なのです。(笑いたい人は勝手に笑っていて欲しい。頼むから他人の人生の邪魔だけはしてくれるな。)

 一昨年、母が亡くなった後の遺品整理がまだ済んでいないこともあり、今後、父がいなくなった後はどうしようということも悩みの種です。
 親の人生の片づけをしながら、自分の人生の後始末をどうするのかも、そろそろ考えなければいけない時期に突入しているのかな?と感じた一年でした。


(2023年の総括③へつづく)





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