時には目食耳視も悪くない。

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2022年の総括①

2022年12月22日 | ひとりごと
 気持ちの上では、つい先日令和3年度分の確定申告を終えたばかりなのに、気がつけばもう年末で今年度分の確定申告の準備に追われる今日この頃です。
 本当に信じられない速さで月日が過ぎ去ってしまい、その中で心に浮かんでは形に残そうと思うものの、そんな暇もなくどんどん消えて行ってしまう思考の数々をただただ見送ることしかできないことが歯がゆく、また所詮、その程度の自分なのだろうと妙に冷めた心情でもいます。

 とはいえ、そうしたはかない刹那を言葉にしておくという努力は、たとえ少しずつでも続けておきたいという意欲はまだ残っているので、今年も一年を振り返って印象に残っていること、感じたことなどをまとめておきたいと思います。
 (一年分の愚痴とも言いますが、、、)

 実のところ、日々思うことは沢山あります。
 学生の頃だったら、とても落ち込んで対人関係に影響を及ぼすようなことでも、今の私は客観的に判断し冷静に対応できていると思います。
 まるで何事も起きてないかのように。

 周囲の大人たちの反応を窺ってビクビクしていた昔の私とは別人のようにふてぶてしく、厚かましいと思われるかもしれません。
 しかし、他人からそう思われることでさえ、あまり気にならなくなりました。
 あまり物事に執着しなくなっているのかもしれません。

 それと同時に、一つ一つの感情を言葉にしようという意欲も薄れてきたような気がします。
 1つの事柄についてじっくり考えたり、文章や言葉の表現について推敲したりする集中力がなくなってきているのも事実です。
 調べ物をしたり、気づいたことをまとめたり、何らかの形にしようとする目的意識も低下しているようにも感じます。

 あれこれ新しいアイデアを思いついて、何かを作ってみようと一応はやってみるのですが、次第に気持ちが冷めていって、「こんなことをして何の意味があるのか」と疑問に思ったり、面白いと思ったアイデアが急につまらないものに思えて、作業をやめてしまうことも増えました。
 なんとなく、これが年を取るということなのかもしれないと妙に納得したりもします。

 そうはいっても、依然として言葉について考えたり、考えをまとめることは好きですし、それらの一連の作業を終えると気持ちがスッキリするのは確かです。
 一方では、その作業量や内容がここに来て以前とは変化したという実感もあるのですが。

 思えば、母は亡くなる前日まで日記を書き続けていました。
 80歳を過ぎていましたので、ペンを持つ手の握力も落ち、手も震えてばかりで正直、字というよりは模様に近い筆跡でしたが、そんな状況でも日々文字を綴ることをやめませんでした。
 やはり、日々自分の中から幾ばくかの言葉を「ひねり出す」ことが、母にとっての生きがいだったのだと思います。
 私にも、そうした母の一面が引き継がれているのかもしれません。

 年を重ねるにしたがって、集中力も意欲も減っていくのかもしれませんが、そんな自分と向き合いながら来年も「本や言葉に関わる何か」を続けていこうと思います。

(2022年の総括②へ続く)

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