時には目食耳視も悪くない。

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2021年の総括②仕事について

2021年12月10日 | ひとりごと
 いろいろあって、昨年から知人の飲食店でアルバイトを始めました。

 それまで自営業で続けていた音楽教室は、コロナ禍の影響で閉めることになり、それ以上音楽を続けたいとは思わなかったので―むしろ、辞めるきっかけを探していたようなところもあったので―、この機会にぱったりと辞めてしまいました。

 飲食店での仕事は初めての経験でしたが、やることはある程度決まっていますし、ありがたいことにこのコロナ禍でも客足の途絶えない人気店なので、何かと忙しく、余計なことを考えている暇もないくらいやることが次から次へと湧いてきます。
 その一つ一つをひたすらこなしていけばいいので、ある意味、苦手な音楽の仕事より、私に向いているかもしれません。

 これまでも、機会があれば音楽以外の仕事をしようと度々努力してきました。
 派遣会社に登録して運送会社のPC入力の仕事をしたこともあります。(派遣期間が短期で終了しました。)
 求人広告から応募して面接に行ったり、在宅ワークの求人に応募したり、某有名公立大学のインターンプロジェクトに参加したこともありましたが、ことごとく上手くいきませんでした。

 所詮、その程度の能力の人間だと言われてしまえば、何も反論はできません。社会の中に私の居場所はないということなのでしょう。

 しかし、何もないからといって不貞腐れていても状況は悪くなる一方なので、自分にできる精一杯の努力をすることにしました。
 スズメの涙の貯金を使って、街なかに場所を借りてチラシを配り、バイオリン教室を始めたのです。
 その教室も2年もしないうちに新規の大手学習塾が参入したため、立ち退きを余儀なくされました。
 仕方なく、街から離れた自宅に教室を移しましたが、以前の場所に比べて人の流れが少ないので、生徒さんは増えず、宣伝に投資してもその分を回収できずに赤字続き。

 何もしていないよりは世間的にはマシなだけで、経済的にはほとんど無職と変わらない状況でした。
 そんな時に始まったコロナ禍だったので、「もう音楽はいいよ。辞めちゃいなよ。」と言われているような気分になって、安堵したというのが正直なところです。

 コロナ禍の前から、心身ともに疲弊していたので、世間がコロナ禍による経済ダメージについて騒然としている様子を見ても、私はずっと前から苦しんでいることだから「何を今さら…」という冷めた気持ちでいました。

 実際、私よりも苦労している人たちは沢山いると思います。でも、コロナ禍以前にはそういう人たちがどんなに困っていても、世間的には自己責任ということで無視され続けてきたように感じます。
 コロナ禍で苦しむ人たちが増えたため、給付金や就業支援が叫ばれるようになりましたが、それでも、元々苦しんでいた人たちまでは手が届いていないような気がします。

 そんな中、音楽以外の経験に乏しいアラフォーの私を、古くからの知り合いだからという理由だけで雇ってくれた知人には、いくら感謝してもし足りません。
 とはいえ、未経験の仕事に慣れるまでは、手順を忘れてしまったり、間違えてしまったりと、やはり苦労しました。
 それでも3カ月ほどで、何となく仕事を覚え、生活リズムにも慣れてきたなと思えるようになりました。
 何より、義務になっていた音楽から解放されたことで心が軽くなりましたし、自由で前向きな気持ちで働くことができました。

 そんな時、知人のバイオリンの先生から突然、音楽教室の仕事の依頼があったのです。

 先生は急病で入院していて、病院から切羽詰まった様子で連絡してきました。
 病気で音楽教室の仕事を続けることが出来ないので、至急、後を引き継いでもらえないかという話でした。私の他に頼める人がいないとまで言われてしまいました。
 私は迷いました。せっかく音楽と決別できたのに、また義務的に音楽を続けなければいけないのかと思うと、目の前がどんよりと暗くなる思いでした。
 それに、その時点でもう半年近くは楽器に触っていなかったので、また以前のような感覚を取り戻すには多少の時間が必要でした。楽器も手入れをせずに放置していたので、すぐに仕事で使える状態ではありませんでした。

 それでも、その仕事で得られる対価は、先の見えない時代を生きていくには必要な額でした。飲食店のアルバイトだけで、将来的に生活していけるのかという不安は確かにあります。
 今のうちに貯蓄しておかなければ、老後は目も当てられないものになるでしょう。世間では、独居老人のセルフネグレクトとか孤独死が問題になっていますし、最悪の場合、ホームレスになってしまうかもしれません。

 私は、止む無く諸事情を飲み込んで、その先生の後を引き継ぐことにしました。
 コロナ禍の状況次第では、その音楽教室も閉鎖になる可能性も否めず―実際、一時、緊急事態宣言による休業期間がありました―、そうなった時の保証もないので飲食店のアルバイトも続けさせてもらうことにしました。

 長い目で見れば、音楽の仕事しかしていないというよりは、一般のアルバイト経験がある方が、後の仕事に有利だろうという希望的観測もあります。年齢のこともあるので、実際どうなるかは分かりませんが。

 音楽教室での講師と飲食店のアルバイトの両立は体力的にキツイと感じることもあります。
 母が亡くなってからは、家事も増えたので時間をやりくりしながらなんとか日々を過ごしています。

 趣味や好きなことに費やす時間は大幅に減ってしまいましたが、時間を見つけて細々と続けていこうと思います。
 来年も今年に引き続き、「言葉」に関わる何かを企画していきたいです。
 こうしてブログを書いたり、文学作品に触れていると、不安や心のストレスが軽減されるので、「言葉」は私にとってお薬みたいなものかもしれません。




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