こうま座通信

終わりのない文章

釜ヶ崎芸術大学へ行く

2013-09-15 | Weblog
新幹線が大阪駅に近づく。
自分は、大阪がニガテだった、
ということを、減速する新幹線と共に、思い出す。

モロッコの旅があまりにすばらしく
以後、しばし「旅恐怖症」に陥る。

(あれよりすばらしい旅はどこにもありえない)

ところがその思い込みは釜ヶ崎にて
いともかんたんにくつがえされる。

初日は岩橋ゆり先生による「表現」。
学長があいさつをする。
谷川俊太郎による、釜ヶ崎芸術大学に寄せることば。

かねてより、岩橋さんのワーク、いいよぉ・・・!と
お弁当やさんを営む友人が
絶賛しつづけていたので
いつか参加したいと願い続けてきた。
噂にたがわぬユニークで力強い、受容と集中のファシリテート。
場にすべてをゆだね、
沈黙もまた表現であることを前提に進む。
ひとりひとりの存在感とことばの重みが、ずしり、と内臓にのしかかる。

参加者はとつとつと語る。
空虚感。
釜ヶ崎の労働者でありつつ、同時にここの労働者に対して
持っている差別意識。
母親のこと。
競馬のこと。
哲学のこと。
ふとヨイトマケの歌が頭にうかぶ。
そのとたん、シンクロするように
「ヨイトマケの唄が、去年の紅白で話題になりましたが、
最後、あそこはエンジニアではなく、
あいりん地区の労働者、ではどうか、そうしたらもっとよくなるとおもうんですよ」
というカバー(?)案が飛び出す。

そこにもまた意見がとびかう。
「『あいりん』て、行政のつくったことばだろ」
「いや、それはそれとして、あいりんは、ブラックホールかオアシスか、という短歌を作ったことがあるんですけど・・・」

いいぞ、いいぞ。
桑田、マキハラ、けちらして、
ここにいるあなたたちがカヴァーすれば
美輪さんかて本望だろうとおもう。

小休止の時間。
キラキラした瞳で、ここに来た理由を語る。

「以前からいっぺん
 大学ってとこに行ってみたかったんですわ。
 そしたら朝日新聞に(学長の)紹介記事、みつけてな?
 すぐにこれや!おもて、切り抜いて、朝日新聞に電話しましたんや」

平均年齢、68~69歳、というところと推定する。
高齢化がすすむ街で、今、学ぼう、
学びたい、と思い、行動する人たちがいる。
はさみを手に、新聞を切り抜く姿を思う。
ふいに、自分の学位記がはずかしくなる。

野村誠先生による「音楽」。
多くの方は、野村さんとの音楽づくりを、去年体験済み。
今年は、前々から出ていた
「五線譜を読めるようになりたい」
というリクエストに応えることになる。

面白くもないはずの楽譜の読み方を、
野村さんらしく、理にかないつつ、わかりやすく教える。
いつも、こんなふうに面白く話しているのか、という疑問が浮かぶ。
「僕もあんまり五線譜の読み方とか教えたことないんでー」
教えたことがないのに、このクオリティである。

個人的に私が教えられたのは、ここでは
五線譜の読み方だけでなく、
自分が本当に腑に落ちていることのもつ、強さ、である。

上田假奈代先生による、詩の授業がある。
ペアになって、テーマに沿ったおしゃべりをして、
そこから聞き取ったことを詩にしていく。
人の話を聞く練習でもある。

今日のテーマは
「誰かを思い浮かべて、その人について話をする」

夏に、アパートの一室で亡くなっていた、という方の
写真が、飾られている。

私の話を聞いてくれたTさんが 
すてきな詩を作る。

「理解ある友達」という詩。

観光ではなく、釜ヶ崎のことが知りたくて
釜ヶ崎にやってきた
釜ヶ崎にくることに
友人が理解を示す

(私は、理解ということばがもともと好きではないし、
一度も話に使っていないのに、のっけから、理解、ということばが
でてきて、びっくりする。
しだいに、理解の使い方とは、こういうものなのだ、とびっくりしながら、
理解する)

今の日本、どこへ行っても
画一化されている
釜ヶ崎は、大阪らしさが残る街

(そんなこと、ひとことも言っていないのに、またまた、
びっくりする)
(Tさんの朗読を聞きながら、
 気がつくと、涙が頬を伝っている)
(「自分のした話」に涙するって、これいかに?とつっこみながら、
 Tさんの詩を書き写す)

上田さんの取材をしているという、
朝日新聞の記者が、Tさんの詩を撮影する。

つい昨日まで、誰かと詩をつくる、なんて
考えたこともなく、
ましてや「釜ヶ崎のおっちゃん」と詩を作るなんて
夢にもおもわなかった。

どちらかといえば、自分にはあまり関わりのない人たちだろう
と思っていた。
でも釜ヶ崎芸術大学のおかげで、
安心・安全な場で、一緒に表現すること、音をだすこと、詩をつくること、
そんなことができるんだとわかった。

そこでは才能も努力も必要なく
ただ学びたいと願い
その意思を表示すれば
昨日までの不可能は現実になり、かたちになる。
そのための場がある。
そこでは
この街にたくさんの谷川俊太郎が住んでいる、潜んでいる、
ということが、じかに伝わってくる。

数時間のワークで何がわかる。
私がみたのは上澄みに過ぎない。
そんな冷笑者の声が、自分の中に響く。
けれども
学びと、ことばと、存在の原点が交錯する場に
何かがある。

多くの挫折や、傷や痛みがひりひりとにじむ。
でもなぜか、いや、だからこそ。


学長の上田假奈代さんは
釜ヶ崎に何年も住み、釜ヶ崎のど真ん中でカフェを営みながら
それでいて
「大阪がニガテで~」
と笑う。
最高だと思う。
これが、
大阪さいっこおおおお!!
とかいってるおねーさんだったら
私はここにくることはなかったんだろうな、と思う。

そもそも日本がニガテな私は
居場所のなさにかけては第一人者ですが?
と上田さんにそっと名乗ってみる。

いただいた資料を振り返る。
平田オリザ×谷川俊太郎×栗原彬の対談がある。

そう、
ここで行われていることは、釜ヶ崎だけに必要なことじゃない、
こういう学びを必要としていない場所が、あるだろうか。

ひとの話をきくこと
ひょうげんすること

シンプルなのに、
ただただ難しい

そして、ほんとうは、たのしいこと。

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