私が初めてバルセロナに行ったのは1987年のこと。
昨年秋に完成したサグラダ・ファミリア内部の聖堂部分はまだ屋根もない工事現場だった。そして最初に作られた生誕のファサードに彫られた白い像はまだ3体のみだった。
それから月日が流れ、その後93年、96年、2006年、09年とバルセロナを訪れ、そのたびにサグラダ・ファミリアは新しい顔を見せてくれた。
去る6月2日木曜日の夜、セルバンテス文化センターで
「ガウディ ~自然の言語と建築学上の提案 ~Conferencia Gaudí: el lenguaje de la naturaleza y su propuesta arquitectónica」と題された講演会が開かれた。
ゲストのひとりは誰もが知っている外尾悦郎さん。サグラダ・ファミリアで長年彫刻の仕事を担当してきた日本人彫刻家だ。
テレビのCMや今まで何かの記事で受けた外尾さんの印象とは少し違った感じを受けた。
舞台の上の実物の外尾さんはアルティスタというよりも、哲学者か大学教授のような雰囲気に包まれ、少し近寄りがたい感じもした。
実際にはユーモアも漂わせた気さくな方なのだろう。長年の信頼関係に結ばれた仕事仲間たちと腕相撲に興ずるCMの様子を見る感じでは、そんな風に思うのだけど。
「ガウディを理解しようと思ったら、ガウディの作品を眺めるのではなく、ガウディと同じ目線で見てほしい。」
ひとりの人間の一生涯という時間を超えて、多くの人の手に受け継がれながら完成する日に向かって変化しているサグラダ・ファミリア。
私がかつて訪れた石切り場のようだった建築現場は、昨年秋ついに大聖堂として完成し、ローマ法王が来訪したそうだ。
初めて訪れた時から24年。生誕のファサードにはたくさんの外尾さんの手による彫刻の人々がふえてにぎやかに完成している。反対側の受難のファサードはドイツ人の手によるシンプルなもので外尾さんの手がけたファサードとは対照的。残るひとつはどんなふうになるのだろうか。
まだまだ果たされぬガウディの夢は建設途中なのだ。
講演会では外尾さんのほか、九州大学工学研究院環境都市部門教授・坂口光一さんと、カタルーニャ国際大学人文学科の教授・コンセプシオン・プイグさんのお話があった。
コンセプシオンさんのガウディの作品の解説は明快で(実はとても疲れて眠かったので途中意識が途切れてしまったりもしたのだけど・・。)ガウディの意匠が自然をモチーフにしたものであることにとても興味をもった。
地中海のイメージで作られたカサ・バトリョ。骸骨の顔か魚の骨のようなバルコニーの意匠は実はそうではなく、シンプルに海のイメージそのものであることなど、目からウロコのようなお話が面白かったし、たくさんのガウディの作品の写真と波など自然そのものの写真を多数対比させながらの講演はビジュアル的にも分かりやすかった。
自然と共存・・・というよりも自然の中にどのように人間が邪魔にならないように置いてもらえるか、そんな畏敬の念をガウディももっていたのかもしれない。
「自然に優しい」などという言葉は人間の奢りであり、荒々しく思い通りになどならないのが自然なのだと(正確に覚えていないので、間違っていたらゴメンナサイ!)いう外尾さんの言葉にとても共感を覚えた。
ところで、以前先生に「同時通訳機は禁止!!」と言われていたのに、すっかり同時通訳機を使用して日本語で聴いてしまいました(^^;)面目ないです・・。
もっと真面目に勉強しないと・・ね!
昨年秋に完成したサグラダ・ファミリア内部の聖堂部分はまだ屋根もない工事現場だった。そして最初に作られた生誕のファサードに彫られた白い像はまだ3体のみだった。
それから月日が流れ、その後93年、96年、2006年、09年とバルセロナを訪れ、そのたびにサグラダ・ファミリアは新しい顔を見せてくれた。
去る6月2日木曜日の夜、セルバンテス文化センターで
「ガウディ ~自然の言語と建築学上の提案 ~Conferencia Gaudí: el lenguaje de la naturaleza y su propuesta arquitectónica」と題された講演会が開かれた。
ゲストのひとりは誰もが知っている外尾悦郎さん。サグラダ・ファミリアで長年彫刻の仕事を担当してきた日本人彫刻家だ。
テレビのCMや今まで何かの記事で受けた外尾さんの印象とは少し違った感じを受けた。
舞台の上の実物の外尾さんはアルティスタというよりも、哲学者か大学教授のような雰囲気に包まれ、少し近寄りがたい感じもした。
実際にはユーモアも漂わせた気さくな方なのだろう。長年の信頼関係に結ばれた仕事仲間たちと腕相撲に興ずるCMの様子を見る感じでは、そんな風に思うのだけど。
「ガウディを理解しようと思ったら、ガウディの作品を眺めるのではなく、ガウディと同じ目線で見てほしい。」
ひとりの人間の一生涯という時間を超えて、多くの人の手に受け継がれながら完成する日に向かって変化しているサグラダ・ファミリア。
私がかつて訪れた石切り場のようだった建築現場は、昨年秋ついに大聖堂として完成し、ローマ法王が来訪したそうだ。
初めて訪れた時から24年。生誕のファサードにはたくさんの外尾さんの手による彫刻の人々がふえてにぎやかに完成している。反対側の受難のファサードはドイツ人の手によるシンプルなもので外尾さんの手がけたファサードとは対照的。残るひとつはどんなふうになるのだろうか。
まだまだ果たされぬガウディの夢は建設途中なのだ。
講演会では外尾さんのほか、九州大学工学研究院環境都市部門教授・坂口光一さんと、カタルーニャ国際大学人文学科の教授・コンセプシオン・プイグさんのお話があった。
コンセプシオンさんのガウディの作品の解説は明快で(実はとても疲れて眠かったので途中意識が途切れてしまったりもしたのだけど・・。)ガウディの意匠が自然をモチーフにしたものであることにとても興味をもった。
地中海のイメージで作られたカサ・バトリョ。骸骨の顔か魚の骨のようなバルコニーの意匠は実はそうではなく、シンプルに海のイメージそのものであることなど、目からウロコのようなお話が面白かったし、たくさんのガウディの作品の写真と波など自然そのものの写真を多数対比させながらの講演はビジュアル的にも分かりやすかった。
自然と共存・・・というよりも自然の中にどのように人間が邪魔にならないように置いてもらえるか、そんな畏敬の念をガウディももっていたのかもしれない。
「自然に優しい」などという言葉は人間の奢りであり、荒々しく思い通りになどならないのが自然なのだと(正確に覚えていないので、間違っていたらゴメンナサイ!)いう外尾さんの言葉にとても共感を覚えた。
ところで、以前先生に「同時通訳機は禁止!!」と言われていたのに、すっかり同時通訳機を使用して日本語で聴いてしまいました(^^;)面目ないです・・。
もっと真面目に勉強しないと・・ね!
サグラダ・ファミリアは未完の芸術のようだけど、確実に工事は進んでいるみたい。
ここ数年は目に見えて進んでいるような気がします・・・が、スペイン人のことだからいつ完成するのか(しないのか??)は謎ですね(笑)!
それに比べたらスカイツリーが小さく見えてしまうけれど・・・(比べちゃいけません!)
至言ですね。この視点はあらゆる芸術にも当てはまります。当然フラメンコにも。
それにしてもサグラダ・ファミリア一体いつ完成するのでしょう。完成しないのが完成っていうのもありかもっ!なんてことを連々思う今日この頃でございます。